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入江弥彦さん

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逃げ水と逃げない水

17/07/23 コンテスト(テーマ):第139回 時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:0件 入江弥彦 閲覧数:333

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 ポケットにいれた小銭が、じゃらりと擦れる音がした。
 光が差し込むたびにホコリが舞っている様子が見えて、息を吸い込めば湿ったカビのにおいがした。額を流れた汗がぽたりと床に落ちる。僕は耐え切れなくなって冷たいお茶を飲んだ。お母さんが、出かける僕を水筒と一緒に見送ってくれたのだ。
 僕よりもたくさんの汗をかいている体の大きなアキヨシは、僕とエリの顔を見てから地面すれすれにグッと拳を突き出した。日に焼けた腕は僕らなんかよりもずっと太くて、バスケットボールなんかも簡単に投げられることに納得した。
 もったいぶるように一本一本開かれた指の隙間から数枚の硬貨が落ちて、チャリンとした小気味のいい音が倉庫の中でこだました。
 僕とエリもそれに倣うように小銭を取り出す。三人の真ん中に小さな硬貨の山が出来て、いいようのない高揚感が僕らの胸に同時にわき出すのを感じた。
「これだけあったら、どこにいけるかな?」
 ワクワクを抑えきれないエリが、僕らを交互に見ながらそうたずねた。
 硬貨の山を数えていたアキヨシがその手を止めることなく、ちょっと待てよと呟いた。
 それからすぐに、その山を三つに分けた彼はにいっと悪い大人みたいな笑顔をうかべる。
「一人四百円だから、すごく遠くまで行けるんじゃないか?」
「四百円っ! 私のお小遣い四回分だ!」
 エリが興奮を抑えきれずにそう言う。
 きっと頭の中はたくさんのお菓子を買えるということでいっぱいになっているのだろう。
 僕らはその小銭を集めて、倉庫の中から出た。
 じりじりと照り付ける日差しから逃げるように早足で駅に向かう。遠くに水のようなものが見えてエリがはしゃいだが、本をたくさん読んでいる僕はあれが逃げ水と呼ばれるものだと教えてあげた。
 セミの声を全身に受けて駅にたどり着く頃には、僕らは全身汗でぐっちょりになっていた。今年の夏は特に暑い。既にふらふらになっていた僕らは、水筒のお茶を一口ずつ飲んだ。
「四百円の切符、ないよ?」
 背伸びをして券売機にお金を入れたエリが、首をかしげて僕らの方を向く。
 何もしなくても届くアキヨシが近づいていって、画面をのぞき込んだ。
「そういうときはな、一番高いやつを買うんだよ」
「じゃあ、三八〇円だね!」
 アキヨシも同じものを買って、僕はこっそり半分の運賃を残した。
 路線図を見てこの切符がどこに行くのかを確かめようとしたが漢字も英語も、僕らには読めなかった。けれども、僕は電車に乗って帰ってくるにはもう一枚切符が必要だと知っていた。僕の切符で行けるのは、三つ目の駅までだ。
 改札を通って、ホームで電車を待つ。切符は失くさないように、左手の中に隠した。
 僕らの他に人はいなかった。
 日陰で待つこと数分、ホームに電車が滑り込んでくる。扉が開いて、中のひんやりした空気がホームに漏れ出した。
「ケイト、行くぞ」
 ぼうっとしていた僕の手を引っ張って、アキヨシが電車に乗り込む。掴まれたところがにゅるにゅるしているような気がして、それが僕の腕の汗なのかアキヨシの手の汗なのかわからなかった。
 エリが嬉しそうに窓の外を見て、アキヨシも落ち着かない様子で足を動かしている。
 はじっこに座った僕は、正面をじっと見つめていた。
 次の駅は、人が多かった。制服を着た女の子が乗り込んでくる。その子は僕らと違って汗ひとつかいていない。僕らの座っている座席のシートは濡れて変色してしまっているし、足元には水たまりが出来ていた。
 電車が橋に差し掛かって、エリが自然と静かになった。
 お茶を飲んで落ち着こうと思ったのに、水筒を持っていないことに気が付いた。どこかに水筒を落としてきてしまったらしい。
 橋を過ぎたころ、次の駅に止まった。
 僕らと同じく汗だくの、ズボンだけをはいた男の人だ。
 派手な柄が特徴的で、あれが水着だという事に気が付いた。男の人は僕らを見つけると、近づいてきてヤァと言った。
「子供だけなのかい?」
「うん! そうだよ!」
 エリが元気に返事をする。その頬からは、まだ滴が垂れている。
「俺らはいつも三人だから、な、ケイト!」
 アキヨシが胸を張って僕に話を振る。
 僕が何も答えないでいると、男の人が君は違うんだねと少し嬉しそうに言った。
 次の駅に止まった時、男の人が僕を持ち上げた。アキヨシとエリは分かっていたように、静かにしていた。
 男の人は僕をホームに降ろして、帰りの電車を待つようにと指示して再び電車の中に戻っていった。
 帰りの電車に乗り込んだが、退屈さでいつの間にか眠ってしまっていたらしい。自分を呼ぶ声に目を覚ますと、お母さんが泣いていた。
「よかった……水筒が浮きになったんだって……」
 ぎゅっと握りしめていた左手を開くと、数枚の硬貨が音を立てて床に落ちた。


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