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千野さん

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性別 女性
将来の夢
座右の銘 沈黙は金

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式神の邸宅

17/07/22 コンテスト(テーマ):第110回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 千野 閲覧数:149

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 時刻は午前5時、玄関の郵便受けに新聞の投函される音がした。これが家を起動させるための電源であり、それにより、つつがなくこの日は始められた。

 ゆっくりと静かにカーテンが引かれる。未だうす青い外の光を取り込んだ部屋は、さながら幾年も前に水底に沈んだ船室のようなものにも思われた。実際のところその印象は事実から遠く離れているというわけではない。この家には、いや、この世界にはおよそ人の影と呼ばれるようなものの一切が見られないのである。何らかの仕掛けにより決まった時刻に窓は開けられ、一定の時間をおいたのちにまた閉められた。台所のやかんには常に水が蓄えられており、前触れもなく着火されたコンロの上でそれが沸騰した後にはかぼそい音を立てて鳴いた。

 居間の机の上には特に何も用意されていないが、ソファの向こうではテレビの電源がひとりでに入れられる。画面に写し出されているものは気象予報でも最新の世界情勢でもなく単なる無人の部屋だった。それはまるで機材の詰められた箱のようなもので、向けられたカメラやマイクの先には何も存在しておらず、しかし何かを示唆するかのような空気だけは確かにそこに存在している――本日は晴天なり。その静寂は破られることのないまま、数分後に画面は暗いときの状態へと戻った。時間が来たからだ。しばらくすると浴室の方で洗面台の蛇口がひねられ、コップ数杯分の水を吐き出したのちに止まる。

 やがて居間から廊下へと出るための扉がそっと開いた。その突き当たりにあるものは玄関で、朝6時きっかりに外へと繋がる扉が開閉され、鍵がかけられる。それが行われることによってこの一連の「動作」は終了するのだ。

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 生活においてこの種の空白を感じる瞬間というものが確かに存在する。それは例えばひと月の中でほんの1週間ほど、幸運なことにあらゆる物事が首尾よく進められ、予定の時間に遅れることも極端に早く目的地に着いてしまうこともなく日々を過ごしているとき。日常にまつわる雑事に気を取られることなく職務を遂行できているようなとき。その中のある日、朝に身支度を終えて扉に手をかける瞬間、ふと思うのだ。昨日も今と全く同じ時間に家を出た。今日もそうする。そしておそらくは、明日も明後日も。けれどもし、もしも私が明日体調を崩して、その日は外出しないことに決めたとしたらどうなるのだろう。

 ある種の確信があった。きっと私が触れるまでもなく、何事もなかったかのように決まった時刻に扉は開き、そして閉まるのだ。まるで誰かがちょうど、その時に家を出ていったことを示すかのように。

 窓際に生けたまま放置していた一輪の花に目をやる。最近は自宅のことに気を配ることをすっかり忘れていたはずなのに、瓶の中の水は濁ることも蒸発して量が減ることもなく理想的な水位を保っていた。また透明な筒のふちについた数滴の粒が、この水が替えられてからさほど時間が経っていないのだということを静かに示していた。


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