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アシタバさん

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感情の旅

17/07/22 コンテスト(テーマ):第139回 時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:2件 アシタバ 閲覧数:421

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 田村玲二はかつて喜怒哀楽の感情を切り捨てるのに成功した。そして、高校に行かなくなった引きこもりである。
 心配する母親とも顔を合わせない彼は、今、部屋のベッドに横たわり、じっと目を閉じていた。笑い方も泣き方も怒り方も忘れて、とうとう動くことすら忘れてしまったかのようにも見える。
 しかし、これには理由があった。彼の頭の中では今、ある旅の光景が映っているのである。

 事の始まりに遡る。
 ランドナーと呼ばれるツーリング自転車には大きなバッグを前後左右合わせて四つつけられる。そこにテントや寝袋といった野営道具を詰め込めば、あとは自転車旅行の始まりである。 
 旅に出るのは何を隠そう田村玲二が捨てた感情だ。
 田村玲二が捨てた感情がある日姿を現して服を着て歩き始めたのだ。さらに、それに留まらず、「旅がしたいです」と、彼と彼の母親を説得したのである。感情の容姿は田村玲二と瓜二つで、母親は引きこもりの息子が、例え感情だけでも、外に出てくれたと大層喜んだ。迷わずクレジットカードを渡したのである。
「ありがとうございます」
 感情は涙を流しながら礼を述べた。
 感情は田村玲二本人とは違い、感情であるだけに喜怒哀楽を迷わず表に出してくる。
「お礼に僕の見て感じたことは玲二の頭の中に送りますね」
 田村玲二は自分の感情が取る行動に対して賛成も反対もせず無関心だった。それ故、感情が旅先で経験したことをテレパシー出来る、という提案も特に拒みはしなかった。
 もともとパソコンくらいしかやることのない彼は何となく感情の旅路を眺めるのが日課になった。
 感情は都会を離れて、野を越え、山を越え、川沿いを走り、海沿いを走り、ひたすら北を目指したのである。
 その道中色々あった。
 走り始めてすぐ補導してきた警察官に怒って喰ってかかるが訳を話すと暖かく見送られた。海沿いの道で夏の日差しに耐えきれなくなり、自転車を止めて海に飛びこむが密漁者と間違われて地元の海女さん達に捕獲されて泣く。自転車ごと田んぼに突っ込み、泣きながら農家の人に謝罪して、田植えを手伝いご飯をご馳走になる。キャンプ場で大学生達と笑いながら裸踊りに興じたり、峠の走り屋たちとの間で道の譲り合いならず、奪い合いをして喧嘩になった。夏の夕立ちと雷に見舞われて全身ずぶ濡れになり大泣きする。自転車がパンクしたら通り掛かりのトラックに乗せてもらい、山の夜営地ではまっ暗闇に恐怖しながらも、満天の星空に気がついて歓声をあげた。北海道行きのフェリーで酔っ払いに絡まれ怒鳴り合いになり、旅行中のカップルが痴話喧嘩をしていれば必死に仲裁し、厳つい顔したバイカー達と一晩中笑い話の花を咲かせた夜もあった。
 感情は思うがままに旅を楽しんでいた。
 田村玲二はまさか自分の感情がこんな旅をするなんて思ってもみなかった。そして、無関心だった心の中で次第に何かが芽生えていった。
 かつて同級生達に『お前は笑い顔も泣き顔も怒り顔も気持ち悪いからするな』といじめられ、無表情になった。そんな自分の分身がこんなにも感情を曝け出している。そして、旅先で出会った人々に受け止められていた。そのことに冷え切っていた胸が熱くなるのを感じていた。

 そして、田村玲二は人生で初めて目の当たりにした。
 北海道の広大な大地を。
 大地を突っ切ってどこまでも道が伸びる。そこに自転車に乗った自分の感情が走っている。
 車はなく静かだった。アスファルトはたっぷりと陽の熱を吸い込んでゆらいでいる。周囲は瑞々しい葉が茂る畑に囲まれ、その遥か向こうに青々とした山が見える。山の頭上には白い入道雲が湧き出ていて、吹く風は汗ばんだ身体を優しく冷ましてくれた。後方に吹き去る風に自分の汗の匂いが混ざっていくのがわかる。身体は疲れて息が切れるし、鼓動は早くなり喉がカラカラに渇いたが、それでも太陽の下にある幸福感に支配されていた。いつまでもこうして走っていたいとさえ考えていた。ペダルを回すたびに油不足のチェーンが鳴いた。自転車は夏の空気の中を泳ぐ魚のイメージであり、それが田村玲二の脳にありありと伝わったのだった。
 羨ましいと感じた。
 こんなにも世界は広く、自然は雄大であり、色んな人と出来事で溢れていたのだ。そんなことも知らず感情を捨ててしまったのだ。
 目に忘れたはずの涙が浮かんだのである。


 旅を終えた感情がニコニコしながら家の扉を開けて玄関に入ってきた。自転車に積んだ荷物を玄関に降ろしていると田村玲二が出迎えて、口をモゴモゴさせた。
「あの、それ貸してくれないか? 次は僕がいく」
 その問いかけに「もちろん」と感情が嬉しそうに答える。そして、感情はずっと言いたかった一言をようやく口にするに至った。
「ただいま」
 田村玲二のもとに感情が帰ってきた。


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このストーリーに関するコメント

17/08/13 木野 道々草

人の感情が身体を離れて自由に旅をする、というストーリーがとても面白かったです。道中泣いたり笑ったりで忙しい様子や、のびのびした旅の情景から、主人公の感情が生き生きしているのが伝わってきました。一緒に旅をしているようでした。最後は、旅から戻った感情が「ただいま」と、無事主人公のもとに帰ることができて、あー良かった!と読者の私も嬉しくなりました。

17/08/13 アシタバ

木野 道々草様
ストーリーや旅の様子などにそのような感想を持っていただけて、とても嬉しい限りです。お読みいただきありがとうございました。

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