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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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僕らの猫救出作戦

17/07/17 コンテスト(テーマ):第138回 時空モノガタリ文学賞 【 猫 】 コメント:0件 そらの珊瑚 閲覧数:187

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 街を抜け、山道を上る。うねうねと続くカーヴの手前で慎重に車のスピードを落とし、曲がりきったあとから加速する。助手席で寝ている栞を起こさないように、ゆっくりと慎重に。オートマチック車はギア操作をしなくていいので、楽ちんだ。以前はマニュアル車に乗っていた。十年乗ったそれなりに愛着のあったスポーツタイプのツーシート車。買い替えたのは、栞と結婚したのがきっかけだった。僕のしがない賃金だけで二人が生活するともなれば、燃費の良いハイブリッド車の方が有難かったし(もちろん中古車だ)もし家族が増えれば二人乗りでは都合が悪い。選択は正しかった。結婚三年目にして栞は妊娠し、あと半年もすれば家族は三人になる。三十才で僕は父になり、二十九才で彼女は母になるだろう。そうして新しい命を二人は得るのだ。人生においてひとつ得るものがあれば、ひとつは手放してゆく方が賢明だと思う。欲張るとロクなことはないというのが僕の持論だった。だから面倒だからこそ愉しくもあったギア操作のある車の運転を僕は手放した。
 山頂近くにある見晴台の駐車場で車を停める。サングラスを取ると、眼の前に広がる一面の山の緑が息を吹き返したように鮮やかに見えた。目を覚ました栞が小さなあくびをした。
「起きた?」
「ごめん、いつのまにか寝ちゃった」
「よく寝てたね」
「寝言云ってた?」
「ううん、なんにも」
「そう、良かった」
 結婚して一緒に住むようになってから知った事がある。夜中、時折栞はひどくうなされる事があった。「ごめんなさい、ごめんなさい、おかあさん」あまりにも大きな声で叫ぶものだから、僕はその度に起きた。栞は、小さい頃母親に虐待を受けて育った事を僕に打ち明けた。その頃の悪夢を見るのだ、と。「小学校の先生が私の痣に気づいて、児童相談所に通報してくれなかったら、死んでいたかもね」夢の中で流した涙の跡が白く残る顔で栞は笑おうとした。「無理をしないでいいよ」僕は優しく栞を抱きしめた。シングルマザーだった栞の母親が養育出来なくなり養護施設で育ったという風に聞いていたが、本当の理由はその時まで知らなかった。僕が知っている栞はいつだって笑っていた。その笑顔の裏にあった涙を知って僕は抱きしめる事しか出来なかった。二人で生きているこの現実こそが本当の世界だよ。
 僕らは車を降り、見晴台の端まで歩き、山を見下ろした。九月に入ってもまだ残暑が残る街とは違い、涼しい風が吹き抜けていく。
「寒くない?」
「ううん、ちっとも。気持ちいい」
 栞が安らかでいる事は、お腹の中の小さな命もきっと安らかだ。そしてその事は僕をも安らかにさせてくれる。
「ねえ、猫の声がしない?」
 あのへんから、と栞は見晴台の下を指さす。三メートルくらいある崖下は、うっそうとした緑が生い茂っていた。しばらく僕は耳を澄ませたが、何も聞こえない。
「ほら、今、みゃあって。きっと猫よ。猫が鳴いてるのよ、助けてくれって」
 僕には聞こえないその声が、栞には聞こえるらしい。そんなもの聞こえないよと僕には云えなかった。その猫、――それが架空の猫だったとしても、の存在が少女だった頃の彼女のような気がして。周りを見渡すと、見晴台の隅に下へ降りる小さな階段を見つけた。
「ちょっと見てくる」心配そうな栞を残して、僕は下へと降りていく。急な斜面には太いツルがはびこっていて、それを頼りにして這いつくばりながら横へ移動し、栞が指さした辺りを探した。斜面を一歩踏みはずせば、深い谷底へ転げ落ちてしまうかもしれない。高所恐怖症でなくて良かったと心底思った。
 猫は、いた。木の根元にしがみつくようにして。半分くらいは栞の空耳だと思っていたが、猫は現実にちゃんとそこにいて、か細い声を上げていたのだ。(ごめんよ、猫)僕が発見した猫は二匹だったが、一匹は既に死んでいて体は置物のように硬直していた。かろうじて生きていた猫は薄茶色の仔猫で、抱き上げると必死にしがみついてきた。「痛っ。そんなに爪立てるな」僕は着ていたウインドブレイカーのポケットにそいつを入れた。どうして山の中に仔猫がいたのかその訳は不明だが想像はつく。人間の仕業だろう。けれど僕はその事については何も触れないつもりだ。もちろん死んでいた猫についても。栞の奥底に眠っている悪夢を再び起こしてしまう呼び水になりそうだから。
 栞を仰ぎ見て、親指を立てて猫の救出作戦無事終了! のサインを送った。栞からも同じサインが返ってくる。おそらく三人家族になる前に猫が加わりそうだ。明日からキャットフード分余計に働かなくちゃ。少しだけ残業時間を増やすか。仕方ない。人生で何かを得たら、別の何かを手放していかねばならない。本当に大切なものだけで僕らは今日という現実と戦い、明日も生きていくのだ。なあ、猫。帰ったらおまえに名前をつけてあげよう。 


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