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キップルさん

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キャプテンとノル

17/07/16 コンテスト(テーマ):第138回 時空モノガタリ文学賞 【 猫 】 コメント:0件 キップル 閲覧数:354

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「来たっ、真ん中にスライダー!一本出れば同点だ…、うっ!」

 バットの下方をかすめたボールは、コキン、と力ない音を立てて転がった。二塁手はやや緊張したぎこちない動きでボールを取り、一塁へ送球。

「アウト!ゲームセット!」

審判が声高々に宣言した。まるで間に合いそうもないタイミングでヘッドスライディングした俺は、ファーストベースにしがみついたまま放心していた…。

 県大会での敗北から一ヶ月、何度このイメージがフラッシュバックしたろう。その度にこれまで感じたことのない大きな虚無感に襲われるのだ。野球…。俺が小さな頃からすべてを注ぎ込んできた挑戦がその瞬間終わったように感じた。
 部活を引退してから自由な時間ができた。これまでそんな時間なかったから過ごし方が分からなかった。友達と遊びに行ったりもしたが、どうもしっくりこない。

「いらっしゃいませ!」

 ある日の放課後、街をうろうろしながら、何気なく目に付いたお店に入った。

「へぇ、犬や猫ってこんなに種類があるんだ。」

ここは繁華街のペットショップ。店いっぱいに所狭しとショーケースが並び、その中に様々な種類の犬や猫がいた。トイプードル、チワワ、ヨークシャーテリア…。スコティッシュフォールド、ロシアンブルー、マンチカン…。何気なく店内を歩き回っているうちに、毛の長い銀色の子猫が目に止まった。ケースの中をせわしなく動き、俺が見ていることに気付くと近寄って来た。つぶらな瞳がかわいい。この猫はノルウェージャンフォレストキャットという品種のメスらしい。

「あっ、水を飲んだ!そっか、今日は暑いもんな!」

くすぐったいような温かいような不思議な気分になって、俺はしばらくその猫を眺めていた。

「ノルが気に入りましたか?」

後ろから店員さんに話しかけられた。猫にデレデレになる姿を見られていたのだろうか。ちょっと恥ずかしい…。

「ええ、動物って今まであまり興味なかったんですけど、この子を見たとき不思議な気持ちになりました。くすぐったいような愛しいような…」
「ふふ、この子を抱っこしてみませんか?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん!ノル、人と触れ合うのが大好きだから。」

 そう言って店員さんは慣れた手つきでケースを開け、ノルと呼ばれた子猫を連れ出した。動物なんて抱いたことのない俺は、おっかなびっくりノルを抱え込んだ。そんな心情とは裏腹に、ノルは涼しい顔して腕の中に収まっている。初めて抱いた猫は思ったより軽かった。ふわふわして柔らかく、少し力を入れたら潰れてしまいそうだ。一方、ノルはコロコロと喉を鳴らしてあくびした。ずいぶんリラックスしているようだ。

「お前は気楽でいいな。俺もそんなふうになりたいよ…。」
「どうかなさいました?」
「あっ、なんでもないんです。ありがとうございました!」

聞かれちゃいけない心の声を聞かれたようで恥ずかしかった。俺はサッとノルを返して、ペットショップを出た。
 夕日に染まる街を歩きながら、再びあの光景がフラッシュバックした。最後の試合、相手チームがリードしたまま9回に入った時、俺の頭に一瞬ある考えが浮かんだ。

「ここで負けたらどうなるのだろう…?」

 今まではずっと野球だけしてればよかった。だけど、部活を引退したら現実的な進路を考えなきゃいけない。俺には就きたい仕事があるわけでも、大学で勉強したいことがあるでもなかった。野球だってプロで活躍できる可能性はゼロに近い。自分が逆立ちしたって勝てない才能を持った選手をこれまで嫌というほど見てきた。そんな俺に何が残されるのか…?空っぽだ。空っぽじゃないか!
 振り払ったはずの雑念がスイングを鈍らせた。これまで幾度となくヒットにしてきた甘いボールは力ないゴロになった。そして腑抜けた俺がここにいる。

 その後も現実逃避するように、俺は放課後ノルに会いに行った。ノルはいつも気ままだった。ノルを見ている間だけは、将来のことを考えずにいられた。

「でも、俺はこのままでいいのだろうか…?」

その思いは日に日に積もっていった。ところが、ある日ペットショップを訪ねると、ショーケースからノルの姿が消えていた。

「ノルに会いに来たんでしょ?ごめんね、今日ノルを買いたいって人が現れて、引き渡しちゃったの。」

店員さんはすごく残念そうな顔をして俺に告げた。

「そうですか…。」

と短く返して、俺は店を後にした。不思議とさみしさはなかった。

「そっか、お前も新しい場所でがんばるんだな。」

 帰り道、公園で子供たちが野球をしていた。足元にボールが転がってきたので投げ返したら、遥か遠くへ飛んでしまった。すげー!と驚く子供たちと美しい放物線の残像。俺の中で一つの決意が固まろうとしていた。


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