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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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旅芸人の娘

17/07/16 コンテスト(テーマ):第139回 時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:336

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 僕が小学校3年のとき、白戸かなえという女の子が転入してきた。くるまえから、その子が旅芸人の子供だと、生徒たちは教室で噂しあっていた。僕の家から、河ひとすじ挟んだ向かい側にある、イゲタ座という大衆演芸場に、芝居公演にやってきた一座の娘なのだ。
 みたところは、小柄で、とてもおとなしそうな生徒だった。
 イゲタ座は、いつも向こう岸にみえているので、どんな建物かはしっていた。遠方からも、ここの芝居を観劇にくる人々がいるような話だった。いろんな役者たちが初期のころにこの舞台をふんでいるとか。いまでもビッグな名の役者が、客たちひとりひとりに挨拶していたという話を、僕は祖母からきかされた記憶がある。
 白戸かなえがイゲタ座の舞台にあがっているとわかったのは、ある日彼女が顔を白粉で真っ白にしながら授業をうけるのをみたときだった。それからも化粧したままの顔で彼女は登校した。その顔できたときにはまたきまって途中で早引けするのだった。
 彼女はいったい、どんな芝居をするのだろう。こんどはそのことが、気になりだした。これまでいちどだって、芝居小屋をのぞいた経験などない僕だった。親もいかないし、姉兄たちもおなじだった。映画の全盛期がすぎさり、テレビがそろそろ台頭しはじめていた時期だった。いくら遠方よりやってくる年寄のファンがいるとはいえ、大衆演芸はそのころでもすでに人気は下火になっていた。
 そんなところに、小学生の僕がでかけるのは、よほど勇気が必要だった。それでも僕は、転校してきた白戸かなえの芝居をみたくて、橋をわたり、入場料を払ってイゲタ座の入り口をくぐったのだった。
 内部はおもった以上にひろかった。大相撲の升席のように観客たちはそこここにかたまって座って、ものを食べ、酒をのみ、それにタバコだって平気で吸っていた。案の定老人たちが大半で、僕と同じような年ごろの子供もまれにだがいて、周囲の雰囲気に圧されたようにみんなのなかで小さくなっていた。
 僕はすみの席に座って、舞台の幕があがるのをまった。
 記憶のなかでは、チョン髷頭に着物姿の男たちが、刀をふりまわして切った張ったの大立ち回りを、眩い照明の下で演じていた。僕は劇の内容など度返しで、めまぐるしく舞台上を動き回る役者たちのふるまいに目をうばわれていた。テレビや映画とはまるでちがう、度迫力な生の世界に、半ば茫然としてみいっていた。劇のあとには歌謡ショーがあって、そこに煌びやかな衣装の女の子が、マイク片手にいやに大人びた声で歌いだすのをみた僕は、何秒かあとにようやく、それが白戸かなえなのをしったのだった。もしかして芝居にもでていたのかもしれないが―――子役が何人か登場した―――舞台という非日常の世界の中から、教室でみるひとりの目立たない生徒をみつけだすことなどとてもできない相談だった。
 その彼女が、舞台の上でこぶしをきかした力強い声で、当時流行していた演歌を堂々と歌っている姿に、僕は衝撃にちかい驚きにうたれた。
 翌日、教室に入ってきた彼女を僕は、なんだかスターでもみるような目でみつめた。その白戸かなえが僕の机にそっとちかづいてきたのは、昼休みのことだった。
「きのうは、ありがとう」
「え」
「みにきてくれたのね」
 僕がだまっていると、彼女は小さくわらいながら離れていった。
 僕とかなえはそれからも、特別親しく交わることもなく、彼女もまた最初のときどうよう物静かで控えめな生徒としてすごし、そして三か月後に転校していった。
 僕は、舞台で歌うかなえの姿が、それからもずっと頭からはなれなかった。もういちどみたいという強い気持が、ふたたびぼくをイゲタ座にかりたて、何月何日にここで芝居をしていた一座の名前と、いまはどこの芝居小屋にいるのかを、係りのものからききださせていた。
 旅費と観劇料をねだったとき、母親がなぜそこまでと訝しむほど、僕は彼女に夢中になっていたようだ。
 いま僕が手にしている手紙は、芝居のフィナーレに一座のものといっしょに客席におりてきたかなえに、意を決して僕がわたしたファンレターの、数週間後にわが家に届いた彼女の返事だった。
「あなた、その手紙、なんなの」
 手紙の文面にみとれるあまり、部屋に妻が入ってきたのに僕は気づくのが遅れた。
「昔の手紙だよ」
「隠さなきゃいけない理由でもあるのかしら」
「なんでもないって」
 妻はつめよってくると、無理やり僕から手紙をうばいとってしまった。
「………まあ」
 旅の空の下、あなたのことが忘れられずに、さびしいおもいをしていますと、まるで当時はやった歌の文句のようなことをつづった自分の手紙に、かなえもまた数十年ぶりにふれたせいかおもわず、赤らめた頬に、あのときのようなあどけない笑みをうかべたのだった。


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