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忍川さとしさん

創作趣味に目覚めたのは、ブログ活動の結果です。

性別 男性
将来の夢 小説家
座右の銘 夢見ることが人生

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サーシャとのこと

17/07/09 コンテスト(テーマ):第138回 時空モノガタリ文学賞 【 猫 】 コメント:0件 忍川さとし 閲覧数:211

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 俺は疲れていた。
 仕事とか人間関係とか、つまり人生とかに全部。
 気分転換に足の向いた屋上。鉄柵の向こう側に女が立っているのも、また不運との出会い。
 女は俺の気配に気付くと一言。
「止めないでっっ!!」
 こんな時走り込んでしまうのが、俺をいつも不運にさせてきた理由。
 女が跳ぶのと、俺が柵を乗り越えて、その肩に手をかけたのが同時だった。俺は空中で女を抱きしめると、不思議に助かるような気がした。下には植込みが見える。あれをクッションになんとか。打算は巡る。
 二階ならなんとかなる。三階なら運次第。(運には自信がないが……)四階の高さに運も何もあったものではないが、じたばたできない状況だからこそ活路がある。
 俺は運よりも重力に身を委ねて、女に言った。否、叫んだ。
「だ・い・じょ・う・ぶ……だあっ!!」
 コント・スターの様だったなどと振り返れたのは、助かった証拠である。
 そして、茂みにズボッとはまり込んだ俺は、女が居ないことに気付く。
 代りに猫がいた。


 目撃者は居なかった。俺は少し気を失っていたのだろう。多分、女は助かり去った。それでいい。
 俺は服の葉っぱを払い、体を確かめながら歩き出す。
 そして数歩進んで、また茂みに戻った。猫はまだ、そこにうずくまっていた。
「だいじょうぶって、言ったもんなあ……」
 猫を抱き上げると、足でもくじいているのか、なんの抵抗も示さなかった。
 その日は体調不良ということにして、俺はアパートに帰った。道すがら、妙なささやきが聞こえてくる。昼間から猫を抱いて歩くサラリーマンが居たら、誰だってささやくだろう。ただ不思議なことには、ささやきの主(つまり人間)が見当たらない事だった。
「覚悟した方がええ」 「その子は記憶を失くしているかも知れん」
 ささやきは、そんな風に聞こえた。
 帰りついて、俺は猫とあらためて向き合ってみる。同居心得でもないが、猫に水道とトイレを教えると、落ち着いた顔で「分かったわ」などと言う。
 俺は分からない。
 なぜ俺は、猫と会話できるように、なってしまっているのか。


 数日過ぎた。
 猫の言葉が分かっても俺は普通に生活できたし、むしろなんのメリットもなかった。まあ、人にも言えない。
 それでも、猫と話すことは俺の生活の楽しみになっていたし、こんなことならもっと早くにこうなりたかった。道すがらのささやきも、近所の猫たちのものである。
 俺は猫に名前を付けることにした。とっておきの名を、今夜あいつにプレゼントするのだ。そんな俺の高揚を見透かしたように、道行く猫がささやく。
「あまり肩入れせんほうがええ」 「やがてあの子の記憶は戻る」
 そんなことを言われても困るのだ。俺はもう、あの猫なしには寂しくて、一人暮らしには戻れない。
 アパートに帰ると、猫は少し複雑な表情をしていた。足はすっかり治って、自由に歩き回れるまでに回復している。俺は猫が、足が治ったら出ていくのではないかという変な心配を、無理した笑顔で隠しながら、暖めていた名前を切りだした。
「サーシャ……って、どう? 気に入ってくれるかな?」
「うん、可愛い名前。ありがとう。大切にする」
「ちなみに本式にはアレクサンドラ・ニコラエヴナ」
「えっ? アレクさん……なに?」
「ま、覚えなくていいよサーシャ。それにひょっとすると、別の名前があるかもだろ?」
「ううん、サーシャがいいの……」
 サーシャの姿が見えなくなったのは、その晩の事である。


 俺はもう分かっていた。
 あの時、共に跳んだ女が猫に姿を変えていた事を。
 そしてサーシャはビルから跳ぶほどの辛い過去の全てを、思い出してしまっていたのだ。
 名付けにどれ程の癒やしがあったろうか。俺は夜の街を、色んな猫に聞きながら、サーシャを探しまわった。
 そしてやっと、高層ビルの前でサーシャを見つけた。
 俺をみとめたサーシャは哀しい目をしていた。俺たちはエレベータに乗った。屋上へのボタンを押したのは俺。屋上の高い金網を、サーシャは簡単に越えてみせた。俺も後に続く。足の竦む高さ。俺は一体、なにをやっているのか。
 サーシャは俺を見つめながら、決してついてこないように念を押した。
 俺は無我夢中で叫ぶ。
「サーシャ!! 俺を置いていかないでくれよお!!」
 もう一度跳んだら、俺も猫になれるだろうか。気付くと俺の方が取り憑かれたように、サーシャを抱いて跳んでいた。
 下には既にレスキューがネットを張っていて、俺は助かった。サーシャは居ない。代りに女がいた。俺は猫にはなれなかったようだ。
 代りの女は、俺に覆い被さって言った。
「サーシャ――アレクサンドラ・ニコラエヴナ、であってるかな……」
 俺はサーシャ越しに星を見た。


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