1. トップページ
  2. 相互通行

本宮晃樹さん

ふつうにサラリーマンをしております。 春夏秋冬、いつでも登山のナイスガイ。 よろしくお願いします。

性別 男性
将来の夢 魁! 不労所得!
座右の銘 定時帰社特攻隊長

投稿済みの作品

0

相互通行

17/07/07 コンテスト(テーマ):第108回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:388

この作品を評価する

〈ホール〉に潜ってどれくらい経ったのか、勘定するのをやめて数年になる。
 そりゃもちろん、香苗が奈落の底へと消えていったのは全部が全部、俺のせいってわけじゃない。つまらないけんかだった。なぜあんなひどい口論になったのかもいまとなっては思い出せない。ともかく俺はそのとき、衝動的にこう言ったのだけ覚えている。「〈ホール〉へ消えちまえ!」
 さてその〈ホール〉はほぼ真円の途方もなくでっかい大穴で、外周には階段がらせん状にどこまでもどこまでも、闇の底へと伸びている。側面に繁茂したヒカリゴケがぼんやりとあたりを照らす以外に明かりらしい明かりはない。見えるのはじっとりと湿った土の壁だけ。まさに一寸先は闇である。
 俺が〈ホール〉に潜ってる理由? あれの下降点に立ってその途方もない大きさ――対岸のふちが霞んで見えない、超弩級の大穴――を実感すれば、そんな疑問なんざ抱く気にもならないはずだ。だって誰が抗える? 地獄の底へと続く階段を目の前にして、先を進もうと思わないようなやつは男じゃない。
 だから例のけんかののちに幼馴染の香苗が涙を浮かべ、弾丸みたいにあの穴へ飛び込んでいったのを俺が目撃した、という事実はこの気ちがい沙汰になんの関係もない。あしからずご了承願いたい。 
 そういうわけで俺はいまだに、この穴の奥深くへと突き進んでいる。終わりはまだ見えない。そもそも終わりがあるのかも知らないが。

     *     *     *

〈無限階段〉は単調に円を描きながら斜め下へと続いてるわけじゃなく、周期的に踊り場のごとき平坦な空き地がある。そこにテントを張って眠るわけだ(むろんヒカリゴケでぼんやりと照らされただけの穴の底では昼も夜もない。にもかかわらず視床下部によって統御されている概日リズムが自動的に俺を睡眠へいざなうのだ)。
 ぶっ通しで十時間以上も歩き通し、眠気のせいで右に左にふらふら揺れながらすわ滑落といった危機的状況のなか、実に都合よく踊り場に辿りついた。
 このままどさりと倒れ込みたいところだが、過去に何度も空腹と疲労で踊り場の幻覚を見たという恐怖体験が俺を思いとどまらせた。本当に足場があるか確かめねば。
 じりじり踊り場を這い回っていると、いよいよ幻覚が強まってきたらしい。よりにもよってべつのテントが張ってあるのだ。こんな深部に俺以外の人間がいるはずはない。するととうとう孤独と闇のせいで精神が蝕まれたのか?
「おおい」声をかけたつもりが空ぜきが出ただけだった。〈ホール〉に潜って数年以上、独り言をときおりつぶやく以外には誰とも話していなかったのだから無理もない。何度も耳障りなせき払いをやったあげく、「誰かいるのか?」
 内部から衣擦れの音がして、テントからひょっこり顔がのぞいた。若い娘だった。
 潔く白状すると、俺はあまりのショックで腰を抜かしてしまった。「あ、あんた、こんなとこでなにやってんだ」
「なにって、旅だけど」当節の幻覚は口も利くらしい。
「旅?」情けないことにまだ立てない。「あんたも〈もぐら〉ってわけか」
「〈もぐら〉って?」
 だんだんいらいらしてきた。「〈ホール〉に潜りたがる気ちがい野郎どものことだよ。俺みたいな」
「あ、そういうことか」若い娘はテントからのっそりと出てきた。ヒカリゴケの薄明かりが彼女を闇から浮き立たせている。文句なしに美しい。「あなた、〈目明き〉なのね」
 それがなにを意味するかは聞くまでもなかろう。〈もぐら〉の対義語なのだ、きっと。
「あんたはどこからきたんだ?」
 娘はさも当たり前だと言わんばかりに下を指差した。「〈シャングリラ〉からに決まってるでしょ」
「すると〈ホール〉には終わりがあるのか!」しかも〈シャングリラ〉が実在するとは。村の年寄りどもの世迷言じゃなかったわけだ。
「あたしからすればそこが始まりなんだけどね」
「で、その〈シャングリラ〉は――」盛大に腹の虫が鳴った。「飯食いながら話さないか」

     *     *     *

 その夜――しつこいようだがこれは便宜上の区分にすぎない――、俺たちは数年のブランクを大急ぎで埋めようとするかのように、夜通ししゃべりまくった。〈シャングリラ〉は〈ホール〉の底に広がる村で、そこには俺たちと同じ人間が住んでいる。
 歯がゆいことになぜこんな大穴が空いてるのか、またなぜその底に彼らが住んでるのか、誰も知らないのだそうだ。連中はずっと〈シャングリラ〉で生活してるし、これからもそうし続けるだろう。
「で、あんたはなんで上を目指してるんだ」
「意地になっちゃったんでしょうね」彼女は遠い目をしている。「つまらないけんかを幼馴染の男の子としたんだけど、その彼があたしにこう言ったのね。『〈ヘヴン〉へ消えちまえ!』って。じゃあそうしてやるって思った」
 どこかで聞いた話だ。「引っ込みがつかなくなったのか」
「そう。それとあたしと同じような女の子に元気づけられたってのもあるかな」
 心臓が跳ね上がった。「聞かせてくれ」
「ちょっと前に下へ向かう女の子とすれちがったことがあって。その娘もあたしと同じようないきさつで村を飛び出してきたんだって言ってたな」
 俺は早くもテントを解体し始めていた。「そいつは香苗という名前じゃなかったか」
「どうして知ってるの?」
「さあて、なんでだろうな」俺は大きく伸びをした。「あんたも意地を張ってないで、ここらで引き返したらどうだい」
「なかなか踏ん切りがつかなくて」ぱっと顔が輝いた。「そうだ、あたしと一緒に〈ヘヴン〉まで登ろうよ」
「すまんがどうしても降りてかなきゃいけないことになってな」すっかりザックにテントをパッキングし終え、気合い一発背負った。「どうだろう、一緒に降りる気はないか」
 彼女は乗り気でないようすだ。俺はだめを押した。
「予言してやろう。〈シャングリラ〉に戻る道すがら、たぶんその幼馴染の男とやらとばったり出会うはずだぜ」
 彼女は嬉しそうな表情をひた隠しにしている。「どうしてそう思うの?」
「強いて言えば」無断で彼女のテントも解体し始めた。「似た者同士の心理ってやつかな」


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン