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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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お魚くわえたどら猫を追いかけて

17/07/06 コンテスト(テーマ):第138回 時空モノガタリ文学賞 【 猫 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:397

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 とある日曜の夕方。ハナエは台所で機嫌が悪かった。
 今朝は町内会の草刈なのに、夫も姑も知らん顔。仕方がないので自分が出向いたら、木に上って下りられなくなった野良猫を何故か助ける羽目に。おかげでパートに遅刻するわ、参加賞のビールはもらい損ねるわで朝から踏んだり蹴ったりだ。
 仕事中は、若い主婦からカゴの詰め方を細かく指示され、そのおかげで後ろの老人からレジ打ちが遅いと怒鳴られた。休憩時間には、楽しみにしていたお菓子を床に落とし台無しに。
 ぷりぷりしながら帰宅すると、買い物袋の中身を物色した姑が夕飯用の秋刀魚を見てひと言。
「肉が食べたいのにねえ。これどうせ安かったんでしょ」
 苛々しながら豆腐を味噌汁の鍋に入れようとすると、手元が狂い、豆腐が床に落ちた。
「もう!」
 腰を曲げて豆腐を拾う。その時、下げた頭の上で小さな物音がした。顔を上げて唖然とする。どこから入ってきたのか食卓の上に猫がおり、その口には生の秋刀魚が一匹。たっぷり3秒見つめ合った後、ハナエははっとした。
「あんた、今朝の……」
 猫はくるんときびすを返し、あっという間に勝手口の細い隙間から外へ飛び出した。
 何を思ったか咄嗟にお玉を手にしたハナエは床を蹴り、同じく勝手口から飛び出した。裸足のまま木戸を押し開け猫を追う。「こら、待ちなさい!」

 はたして猫は石田さんの庭の松の木にいた。石田さんはそれに気づかず、のんびり打ち水をしている。
「あらハナエさん、今日は大活躍だったわね!」
 石田さんが興奮して言った。
「パート間に合った? 木に登って猫を助けるなんてすごいわぁ」
 「その猫が」と見上げたハナエの視線を追い、石田さんも松を見上げる。
「あらやだ、あの猫じゃない! また上ってる!」
 見つかった途端、猫が秋刀魚を咥えたままぴょーんと隣の家に飛び移った。石垣の上をトトトと走る猫を、ハナエは鼻息荒く追う。
「もう! なんで恩を仇で返すような真似をするの!」
 角を曲がると、何が起こったのか、ベビーカーの側で水筒やらオムツやら玩具やら、ありとあらゆるものが地面に散乱していた。それをせっせと拾っているのは、昼にくどくど指示をしたあの若い主婦だ。子供が泣きながら主婦にしがみつき、難儀している。
 一度は無視して通り過ぎようとしたものの、ハナエは瞬時にその場にあるものを見てとり、レジ打ち8年の腕前で華麗にすべてをママバッグに収めていく。
「あ、ありがとうございます。これ、お礼に……」
 半泣きで礼を言う主婦が差し出したのは、ハナエ大好物の焼き菓子だった。
 お玉とお菓子を持って猫を追う。
 すると、今度は道端で男が未使用のコンビニ袋を必死で開けようとしている。よく見ると、ハナエを遅いと怒鳴ったあの老人だ。
「犬の始末袋を忘れたからさっきそこの店でもらってきたんだが……、開かん!」
 老いたカサカサの指でぴたりとくっついたそれをこすっている。
 ハナエは嘆息し、日々何十回とレジ袋を開ける見事な指さばきで、一瞬にして袋を開けた。
「おじさん、時には忍耐も必要よ。そんなに苛々していたら開くものも開かないよ」
 ちくりと言うと、老人は気まずそうに口を尖らせる。ハナエが背を向けたところで、老人が「おい」と声をかけた。
「豆腐、いらんか」
 老人が不服そうにポリ袋に入った豆腐を差し出した。
「呑み仲間の豆腐屋のオヤジがな、散歩途中に寄るといつも売れ残りをくれるんだ。いい加減飽きてきたから、やる」
 ハナエは目を丸くして受け取った。あ、これで味噌汁ができる。
 顔を上げると、タバコ屋の角でこちらを待つように猫が振り返っている。ハナエはお玉とお菓子と豆腐を持ってぺたぺたと地を駆けた。
 猫がさっと逃げた先は袋小路だった。
「観念しなさい」
 仁王立ちのハナエが肩で息をしながら猫ににじり寄ると、猫はあっさり秋刀魚をぽとりと落とし、にゃあと鳴いた。それを見て、ふと我に返る。何やってんだ、私。裸足でお玉もってこんなところまで来て。どうせこの秋刀魚は食べられっこないのに。
「いいよ、あげる。ご馳走だよ」
 ハナエは言い、来た道をとぼとぼ引き返した。
 秋刀魚は夫と姑にあげて、私はこの豆腐で冷奴でもしよう。

 家に帰ると、姑が浮き浮きと出かける用意をしていた。
「今日あたしごはんいらないわ。川崎さんに急に誘われちゃった」
 男やもめの川崎さんは姑のカラオケ仲間だ。いつもなら「生魚が余るじゃない!」と憤慨するところだが、今のハナエはむしろ安堵した。一匹減った秋刀魚。これで解決だ。
 そこへ夫が帰ってきた。
「今日大活躍したんだって? 冷蔵庫のビール見たか? 自治長が多めに届けてくれたんだ」
 なんだ、今日はいい日だ。
 ハナエはクスクス笑い、秋刀魚を火にかけた。
 勝手口から猫の声がした。


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