1. トップページ
  2. 海女と真珠の街にて

冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで3年目に入りました。これからも勉強を重ね、たくさんの作品を書いていけるよう頑張りたいと思います。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

投稿済みの作品

1

海女と真珠の街にて

17/07/03 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:2件 冬垣ひなた 閲覧数:369

この作品を評価する

 三重県の先志摩(さきしま)半島。北は真珠の養殖で有名な英虞(あご)湾を囲み、南に面する太平洋の恵みは素晴らしく、海女たちがこぞって潜(かず)く豊かな漁場であった。


 1963年、夏。
 ウエットスーツに身を包む女たちが、磯メガネを付け、光が波打つ水面から、ほぼ垂直に海底へと降下する。海の青に映える赤や緑の海藻が、巡る四季の移ろいを告げ、さまざまな魚群が視界をすり抜けてゆく。
 頬を洗う潮の流れは冷たい。しかし、素潜り漁の海女にとって時間は貴重だ。
 海女は射貫くように眼を動かし、岩に同化した鮑(アワビ)やサザエを次々と手で捕えてゆく。抱えきれない量の海の幸を手に、音もなく光へ舞い上がる姿は天女のようだ。海上へ顔を出すと、視界には揺れる船と空の青。息を整え、海女独特のヒューッという磯笛の呼吸で息を整えながら、決められた時間一杯に繰り返す。
 今日は、誰もが大漁だった。
 喜びを隠しきれぬ海女たちが船で港へ戻ると、男が腕時計を見ながら船の帰りを待っている。海に似つかわしくない洒落たシャツには磯の匂いが染み付くだろう。海の男が多いこの街で、彼の肌はやけに白く違和感を与える。最近よく見るこの男が、どこから来たのか噂し合う海女たちの中で、若い初江だけがそっと彼に手を振った。


 男は、初江の兄の友人で、郷土資料館に勤める木戸という。伊勢神宮など文化遺産の多い三重県の歴史研究の傍ら、こうして現地へ赴くのだという。
 子供の時から海に親しんでいた初音は、彼に海女の話を聞かせていた。やがて木戸は家に訪れる回数が増え、「先生」と呼ぶ初江の心に、淡い恋心が宿るのに時間はかからなかった。


「これは大王崎灯台、それから御座白浜海岸……」、木戸が嬉しそうに見せる写真と調査記録には、海の傍らで暮らす人々のありのままの姿が事細やかに綴られている。
 特に海女を語るとき、木戸は熱弁を振るう。
「海女は、縄文時代からいたと言われている。伊勢神宮が鎮座した折にも鮑が奉納され、以来2000年も続いている。海の文化は絶やしてはならないんだよ」
「先生。安心して、小さすぎる鮑は海に帰してあげるから。ずうっと長い間、海女は海の幸を取りすぎないよう、自然を守ってきたの」
 彼の真剣な眼差しを思うと初音は気恥しかった。
 ある時、真新しい木綿の手ぬぐいを木戸はそっとくれた。「無事に帰れるように、いつでも祈っている」、手ぬぐいに書かれた、海女に伝わる魔除けの『セーマンドーマン』の印にはっとする。
 毎年、どこかで命を落とす者のある海の闇に、初音も身体の芯から冷える程の恐怖を感じたことがある。陸の者には分からないと思っていた感覚。触れた木戸の手の温かさに秘めた情熱に、初江はようやく気付き頬を染めた。
 もう、磯の鮑の片思いなんて、思わなくていいのね……。


 季節が一巡し、また夏がやって来る。リアス式海岸の複雑な海岸線が鮮やかな緑に包まれる英虞湾は、大小さまざまな60もの島が美しい海に浮かぶ。
 真珠王といわれた御木本幸吉の研究から始まった、養殖用の真珠筏(いかだ)が並ぶ光景は、海の歴史の名だたる1ページ。
「知ってるかい?アコヤ貝は昔、筏でなく海の底で育てていたので、海女が活躍していたそうだ」
 展望台から湾を見下ろす初江と木戸は、慎ましく重ねてきた日常が、海から与えられた貴重な恩恵だと改めて気付く。
 空が夕焼け色に変わるまで、二人はずっと海を見つめていた。幸福な予感が、将来を誓い合う恋人を包む。
 黄色から橙、やがて東の空の端が群青色に染まってゆくにつれ、光と闇が濃くなってゆく。夜が訪れる前の束の間、真円の太陽が茜色の輪郭をもって、海に沈んでゆくこの時を木戸は待っていた。


 初江は、掌の上の小箱を開ける。
 この日のために生まれた、淡く輝く大粒の真珠。
 エンゲージリングを、木戸は彼女の左手の薬指にはめた。
「結婚しよう」、木戸の言葉に、はにかみながら初江は「はい」と頷く。二人には遠い昔からのさだめのように思われた。
「私たちはいつまでも変わらないわ。この真珠は待つ男と海の女の、約束の証だから」
 木戸の胸に初江が左手を当てると、真珠が太陽に染まる。
 確かな鼓動が指先に触れた。
 無垢な真珠を抱いた母なる海に、誓いを立て抱き合う二人の姿は、やがて夕闇に溶け込んでいった。






 ……あれから50年が過ぎ、海は少し変わった。
 鮑は獲れず、若い海女もなく、この稀有な文化が衰退しつつある中、年老いた海女は80代までも現役で潜ぎ、今もなお海を見守る人の優しさは変わらない。
 妻・初江とともに、私は愛する海の行く末を見届けるつもりである。
                                (2017年 郷土資料館 館長・木戸昇平)


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

17/07/06 冬垣ひなた

≪補足説明≫
・作中の地名や名所は実在ですが、登場人物と郷土資料館はフィクションです。
・右の画像はクリエイティブ・コモンズのライセンスのもとに利用を許諾されています。(投稿者Manmaru~commonswiki 様)
・左の画像は、画像素材 - PIXTA(ピクスタ)からお借りしました

≪参考文献≫
・海女をたずねて 漁村異聞その4(川口祐二・著)
・現代の海女 伊勢志摩の海女に魅せられて(李相海・著)

17/07/06 冬垣ひなた

・上記、画像の説明が左右逆になっていました事、お詫びします。

ログイン