1. トップページ
  2. Walk in the sea

浅野さん

性別 女性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

Walk in the sea

17/07/03 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 浅野 閲覧数:152

この作品を評価する

 空が、好きだった。
 視界に広がるのは、どこまでも凪いだあお。時折、目映い白光があおの上に模様を描いていた。白群の中に膝を立てて座り込み、ただぼんやりとする。柔らかな冷たさを孕んだ風が、くすぐるように私の髪に触れてはすぐに離れていく。遠くからは微かに波音が聞こえている。まるで、この世界に私ひとり。そんな錯覚を覚えるような静謐さがこの場を支配していた。
「お嬢さん」
 不思議な声がした。しわがれているようでいて、百日紅の木のような滑らかさのある声。周りを見渡すも、誰の姿も見当たらない。誰、と私は問いかけた。
「わたくしは貴女の目の前に居りますよ」
 再び耳に声が流れ込んで、それに導かれるように私は視線を正面へと向けた。そこに居たのは、真っ白な羊だった。
 今の声はあなたなの、と私は言った。羊は一つ頷くと、私に向かい一体こんなところで何をしているのかと尋ねた。
「あなたには関係ないじゃない」
「そんな冷たいことを仰らずに」
じっとこちらを見つめてくる羊に一瞬私は黙ったが、仕方なしに息をついて、妹を探しているの、と答えた。
「妹さんを」
羊が私の言葉を反芻する。真っ白い、羊。私は羊を見続けるのが耐えきれなくなって、上を見上げた。その先にあるのは、空に似ているけれど、全く別の青さを持つ、海だ。半年前に起きた、空と海が逆転する怪現象の様相。
「……あれは海と呼ぶべきかしら。それとも、空と呼ぶべきかしら」
「空なら貴女の足元に、今も広がっているじゃあないですか」
何とも不思議そうに羊は言う。どうやらこの場で今の世界に違和感を覚えているのは私だけのようだった。羊の言葉に私は答えなかった。
「お嬢さん。わたくしと共に、海へ行きませんか」
「うみ」
羊の言葉を反芻した私に、羊ははい、と返事をする。
「わたくしが海まで連れて行ってあげましょう」
何故とは聞かなかった。気が付けば、私はただ素直に頷いていた。

羊は飛んだ。飛んだというと語弊があるかもしれないが、語彙力が豊富な私ではないので飛んだとしか言い様がない。強いて言い表すならば、空中を飛ぶように歩行している、という表現が的確だろう。
風がびゅうびゅうと吹いて、風に煽られた髪の毛が頬を叩く。地上に居た時には微かだった波音が、上へ上へと昇るごとに大きくなっていく。ふと、潮の香りが鼻腔をくすぐった。
本当に海なんだなあと、今更ながらに深い感慨を覚える。これから先の将来、海は空のままなのだろうか。空は、海のままなのだろうか。
「さあお嬢さん。ここから先は海中ですよ」
「えっ? あ、ちょっと――」
私の制止の声など意にも介さず羊は更に上昇を続ける。目前に海面が揺らめいて、私は反射的に目をきつく瞑った。
「――……」
思っていたより、水圧による圧迫感はない。ゆっくりと目を開ける。海水が目に染みるようなこともない。しかし、呼吸はどうしたらいいのか。段々と息苦しくなって、私は羊の背を叩く。羊は「大丈夫ですよ」とでも言うかのように私を一瞥した。何が大丈夫だと言うのか。溺死などたまったものではない。けれどついに私は酸素を求めて口を開いた。死ぬ、と思った次の瞬間、私は地上と同じように、普通に呼吸が出来ることに気が付いた。羊が、ほらねと笑う。一方の私は、もう驚きを通り越して呆れ返った。何がどうなっているのかさっぱり分からない。
「ほらお嬢さん。せっかくの海の散歩なんですから、景色を楽しんでくださいな」
そう言われて、ようやく私は周囲の景色に目を向けた。
色も大きさも違う目に鮮やかな魚たち。ゆらり揺らめく海藻。目の前でちらちらと舞うマリンスノー。頭上を見上げれば、ゴツゴツとした岩が生え、まるでアートのよう。岩の間からはほぼ黒に近い藍が顔を覗かせていて、恐らくまだ先があるだろうと思われた。二人は暫く黙ったままで景色に見蕩れていたが、その沈黙は羊によって破られた。
「――死は、選んではいけませんよ、お嬢さん」
「何のことかしら」
「妹さんを追って自殺しても、誰も、喜びません」
「どうかしら」
「海中は、綺麗でしょう」
ゆっくりと、羊は海中を歩く。
「そうね」
「今死ぬのは勿体ないですよ」
「……あなたって、妹のお気に入りだったぬいぐるみにとても似てる」
「左様ですか」
羊は、柔らかく目を細めた。
「あなたは私に、生きろと言うのね」
その問いには、羊は答えなかった。

ピピピピピと騒がしい音を立てて目覚まし時計がなる。私は時計を止めて、瞬きをした。
「……ゆめ」
起き上がり、窓の外に目を向ける。
暖かい陽射しと共に、部屋には穏やかな波音が打ち寄せていた。

最愛の妹は、もういないけれど。
「……今死ぬのは、勿体ないものね」
ふと、どこかで誰かが笑ったような気がした。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン
アドセンス