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奈尚さん

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エンは異なもの

17/07/03 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 奈尚 閲覧数:274

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「ねえ、手伝ってくれない」
 夏の陽射しがまぶしい無人駅で、麦わら帽子の女性にそう声をかけられた。足元には大きな荷物。見かけない顔だ。
「いいですよ」
 ちょうど予定もなく、暇していたところだった。退屈しのぎに綺麗なお姉さんと散歩。悪くない。二つ返事で引き受けた。

「引っ越してきたんですか」
 ずっしりと重い旅行鞄を背負う。
「ええ。昔、ここに住んでいたの。帰ってくるのがずっと夢だった」
 ごろごろとスーツケースを転がして、彼女はゆるやかな坂を下っていく。
 道なりにカーブを曲がると、海が現れた。太陽を反射してきらきらと輝いている。潮くさい風が女性の髪をなびかせ通り過ぎていった。
「この先に?」
「そう」
 だが、こっちにはもう海しかないはずだ。不思議に思ったが、彼女がどんどん進んでいくので慌てて後を追った。

 彼女について砂浜に入る。海に来るのは初めてだった。
「珍しい?」
 めり込む足をもたもたと引き抜いていると、女性が振り返って笑った。
「泳ぎに来たりしないの」
「止められているんです。危ないからって」
 海に近づきすぎると、戻れなくなってしまう。だから絶対に近づくな。海水に触れるな。大人達にそうおどかされて育った。
「ガキをおぼれさせないために、ああ言ったんでしょうけどね。でも、今でも不気味で」
 しばらく歩くと、小さな家が見えてきた。半ば砂に埋もれるようにして立つ一軒屋。くまなく砂にまぶされているせいで、ひどく色あせて見える。
 ひどい物件もあったものだと思っていると、女性はずんずんとその家に近づいていった。
 鍵を回し、戸を開ける。
 ちらりと爪が見えた。赤いマニキュアの施された右手で、なぜか人さし指だけピンク色のままだった。単なる塗り忘れか、それともああいうのが流行っているのだろうか。

「どうぞ。散らかっているけれど」
 申し出に甘えて中に入る。
 そしてギョッとした。
「こ、れは」
 床一面に白いものがまき散らされていた。
 いや、床だけではない。机や戸棚、ありとあらゆるところが白く汚されている。一歩踏み出すと、靴底でじゃりっと音がした。
「塩、か」
 こんもりと積もったそれに人さし指で触れる。
 潮風が長い年月をかけて結晶化したのだろうか。しかし、あまりに量が多くないか。
「ご家族がいるんですか」
 玄関に男物のサンダルや幼児の靴が並べられている。
「今は、お出かけ中ですか」
 家の奥、リビングルームらしき部屋に入っていった女性へと声をかける。
「あら」
 彼女はさもおかしそうに笑って、机に積もった塩を両手ですくいあげてみせた。

「ここよ。みんな」

「え」
「随分時間が経ったけれど、変わらないものね」
「ここ、って」
「どうして『こう』なったのか、実はよく知らないの」
「待って。それはつまり」
「あなたの話を聞くに、この海がいけないのかしら……でもそう、きっと子どもを守るための作り話なのよね」
「冗談ですよね。だって」
「私、当時はまだ高校生だったの」
「あり得ない」
「いつも通りに学校に行って、いつも通り帰ってきたら『こう』なっていた。とっくに帰っているはずの父も、部屋で遊んでいるはずの弟もいなくて。そして」
 唯一まだ形の残っていた母は、目の前で。
「怖くなった私は逃げ出したの。家族を置いて、海から遠ざかって。ここのことは思い出さないようにして」
 おだやかな笑みを浮かべ、彼女はさらさらと指の隙間から塩を流す。塩は波のような音をたててこぼれ落ちていく。
「だけど、本当はずっと苦しかった。そしてある日気がついたの。私、帰りたがっているんだ、って」
「帰る?」
 って、どこに?
「手伝ってくれてありがとう。少し時間がかかるかもと思っていたけれど、そうでもないみたい。これで私、やっと」

 どさり。
 先刻とは明らかに質量の異なる音がした。

 塩と一緒に、彼女の両手も落下した音。
 そう理解するまでに一呼吸かかった。

「うわああぁっ!」
 気がつくと無我夢中で走っていた。
 潮風を吸い込まないよう、呼吸を止めてコンクリートへと駆けあがる。家にたどりついた時には息があがっていた。
「なんでだよ、なんで」
 手を見る。悲鳴をあげた。人さし指に塩がついているではないか。
 慌てて蛇口を力いっぱい開く。ごしごしと狂ったように手を洗った。
 おそるおそる指を確認する。
「嘘だろ」
 人さし指の爪が、はがれ落ちていた。痛みはない。
「まさか」
 塩になって、流れていってしまったのか。
 彼女の指先が一本だけ、淡いピンク色だったのを思い出した。背筋が寒くなる。

 取り返しに行かなくては。でないと、きっと自分も――。




「聞きました? あそこの息子さん、失踪ですって」
「噂は本当だったのね。あの海は……」


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