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蒼樹里緒さん

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清く淀んだ魂の海

17/07/03 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:1件 蒼樹里緒 閲覧数:226

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 痣だらけの女の腕が、まだ幼かった僕を抱えて海へと導いていく。
 ばしゃばしゃと女の下で波打つ水は、徐々に上がってきて胸の辺りまで浸す。
「おかあさん、どこにいくの? およぐの?」
 純粋に訊いた僕に、女はただ悲しげに微笑むだけで。
 そのまま、二人で沈んでいった。暗い水の中へと。
 頭まで冷たい水に浸かる前に、条件反射で息を吸い込んだけれど。足に錘をつけていた女は、陸へ上がる気配を見せず、僕は息苦しさに顔をしかめた。
 僕を見た女は、口の動きだけで何か呟き、そっと僕を手放す。そうして自分は、深い深い水底へと堕ちていった。群青から漆黒へと徐々に色を濃くしていく、無音の世界へ。
 ごぼり、と水中に出た泡は僕が吐いたものか、あの女のものか。それすらわからないまま、僕はひとりきりで水面へと浮かび上がった。
 白金色にきらめく満月が、静かに僕を見下ろしているようで。
 女は僕と一緒に死ぬつもりだったのだと、波にたゆたいながら漠然と察した。

 ――最後の最後にためらったなら、最初から自分だけで死ねばよかったのに。

 今でも、水を見ると底からあの女が僕を見上げてくるようで。
 それ以来、僕はまったく泳げなくなった。

  ◆

 まだ女子高生だった、ある日の夜中。
 何だか寝つけなくて、わたしは家をこっそり出で散歩した。
 近くの海から、涼しい潮風が吹いてくる。月明かりの下で浜辺を歩くのが、小さい頃から好きだった。
 スニーカーで踏みしめる砂が、さくさくと鳴る。潮の香りも濃くなって、波打ち際にも穏やかな波が往復を繰り返していた。
 けれど、その日はいつもと景色がちがって。浜辺に転がっている何かが、子どものかたちをしていた。
 あわてて駆け寄る。半ズボンを穿いた、五、六歳くらいの男の子。全身ずぶ濡れで、気絶しているみたいだった。
「ねぇ、だいじょうぶ!?」
 肩を強めに叩いて呼びかけても、返事がない。開業医の父から教わった応急処置の仕方を思い出して、紫色の唇にそっと頬を近づけてみる。かすかだけれど、ちゃんと呼気が聞こえてほっとした。
 彼の身体が冷えないよう、自分のパーカーでくるみ、そっとおぶって家に戻った。
 父は、すぐ男の子の診察をしてくれて。わたしの部屋の布団に彼を寝かせて、一晩様子を見ることになった。
 やれやれと言いたげに、父が苦笑する。
「こんな遅くに出歩くおまえもおまえだが、海で子どもを拾って帰ってくるなんてな」
「だって、ほっとけないんだもの」
「まあ、すぐに気づいたのは偉いぞ。命に別状はないし、本人が起きて食事もできるようなら、一応警察には届けよう。迷子か家出かもしれんしな」
「……そうね」
 父が自室へ戻るのを見送って、男の子の顔をわたしは見つめた。女の子にも見える、中性的な顔立ちだ。
 生きていてくれてよかった、本当に。
 そして、翌朝。男の子は自分で起き上がった。朝食の準備をしながら、わたしは簡単に事情を説明して。椅子に座って聴いていた彼は、不思議そうに訊いてきた。
「おかあさんは……?」
「お母さんも一緒だったの?」
「うん。ぼくをかかえて、海に入ったけど――」

 しずんじゃった。

 水滴みたいな響きなのに、その言葉は重い。海底まで沈んでいきそうなほどに。思わず息を呑んで、察した。
 母親は息子との心中を図り、息子だけが奇跡的に生き残ったのだと。
 彼の分のホットミルクをテーブルに置いて、わたしはさりげなく訊いた。
「お父さんはいるの?」
「いる、けど……ぼくにも会いたくないんだと思う。ぼくやおかあさんを、ずっとぶったりけったりしてたし」
 想像以上に、家庭事情は複雑みたいだった。それでも、男の子は淡々と事実を告げるだけで。母親を亡くしたショックで、感情がうまく働いていないのかもしれないと、そのときは感じた。
「わたし、お父さんと二人暮らしなんだけど。みんなで朝ごはん食べたら、一緒に警察に行こうね。あんたが海にいたときのこととか、事情を説明しないといけないから」
「わかった」
 行きたくないと拒むかと思ったけれど、男の子は素直にうなずいた。随分落ち着いてしっかりしている。
 着替えて顔を出した父と食卓について、いただきます、と三人で朝食に口をつける。地元の警察署には、父が事前に電話で連絡することになった。
 いろいろ話すうちに、わたしはふと大事なことに気づいた。向かいでサラダを味わう男の子に訊く。
「そういえば、あんたの名前は?」
 お互いに自己紹介を終えたとき、やっと彼がぎこちなく微笑んでくれたから。一口飲んだホットミルクも、いつもよりずっとあたたかく感じた。
 そしてこの日から、わたしたちは彼と『家族』になったのだった。

 海はすべての命が生まれ、時には喪われ、つないで廻る場所なのだ。


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このストーリーに関するコメント

17/07/31 光石七

拝読しました。
最後の一文に頷きました。海はそういう場所ですね。込められたメッセージと選ばれた題材がマッチしていると思います。
個人的に少し気になったのは、前半の「僕」のパートと後半の「わたし」のパートとの繋がり方でしょうか。前半が悲しく重い雰囲気のまま語られていたので、後半の希望的な結末に若干違和感を覚えたといいますか……。あえて対比を狙われたのであれば、すみません。
深いお話でした。

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