浜川 流木さん

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失恋

17/07/02 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 浜川 流木 閲覧数:160

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 僕の上着の胸にあるポケットの上には、カウボーイの刺繍が入っている。
 風が吹いているみたいにふわふわと揺れる。
 それで、僕の部屋が海になったのだと気が付いたのだ。空気の代わりに、恐らく海水が満ちている。風が入ってくるみたいに、上着がゆらゆらと揺れている。多分、流れが全くないという訳でもないらしい。
 だから自然、僕の体は軽く、その中が水の中だという事に気が付くまでに多少時間がかかった。僕は、浮かんでいる。廃棄された人工衛星の破片みたいに。

 しばらく無意味に回転していて、本当にこのままでいいのかと、考える。
 呼吸らしきものが出来ていると言っても、いつまで続くか分からないし、僕が気に入っていたゲバラのポスターも、フニャフニャになって、わかめみたいにフニャフニャと踊っている。
 時計を確認しようにも、部屋の中の殆ど全部の電気機器が壊れていた。

 「地球温暖化の影響で、南極の氷が解け始めたでしょう」
 ええ、と僕はジョッキのビールを少し啜った。
 「少しずつだけど、陸地は消滅していってるのよ」
 彼女と話せる、そのことを考えているだけで、胸がわくわくしていたのだけれど、会って、開口一発、地球温暖化だの南極の氷だのと言い始めた彼女を見て、一気に熱が冷めてしまった。
 なんだか、臨時ニュースの原稿を読み上げているアナウンサーみたいな感じだった。
 いつもどこかで誰かと繋がっていたいと、思う事って、これは、なんだか無理な話なのか、とこの時に思った。
 「地球温暖化なんて、そんなことは今どうでもいいよ。そんなことより」
 「そんな無責任なこと言わないでよ」
 咥えたままだった煙草に火をつける。なんだこりゃ。アメリカの大統領だって、温暖化はでっちあげだ、なんて大真面目に語っている時代に、まるでドキュメンタリー映画でも見ているような気持ちになった。
 「無責任って言われても、こればっかりは、俺だけのせいじゃないし」
 はぁ、と溜息をついて、彼女はメニューに目を落とす。
 「私、ジントニックにするわ。料理は私が選んでいい?」
 いいよ、と僕は言った。

 僕は魚になったのか、それとも、満ちてきた海水に体が順応してきたのか、まったく呼吸が苦しいということはなかった。
 歩こうにも歩けないし、寝ようにも寝れないし、青いすりガラスの向こうから、眩しいくらいに、太陽が街を照らしていた。
 街は薄く青みがかっていて、蜃気楼みたいに、遠くのビルが歪んで見える。
 煙草に火を付けようにも、これではライターに火がつくわけでもないだろうし、僕は、全部のことを諦めて、流れる潮の流れにただ横たわっていた。

 あの時、僕と彼女は、全然取り留めのない話を続けた。
 家族の事、乗っている車の事、パンダの事、無理やり、地球温暖化のことを忘れさせるために、取り留めのない話をしていたのだけれど、水族館で見たヒトデの話をすると、彼女は思い出したように再びそのことについて、永延と語り始めた。
 「私ね、一度南極に行ってみたい」
 「南極って、なんで」
 「溶けていく氷を眺めていたい」
 そんなことはどうでもいいんだけどさぁ、と僕は煙草を灰皿に押し付けてビールを啜った。
 「もっと、君自身の話が聞きたいんだけど」
 彼女は溜息を洩らしながら僕の方を見た。
 「私自身の話?」
 「そうだよ。どこの高校を出たとか、将来は何になりたいとか、今こんな仕事をしていて、とか」
 彼女は自分のことをあまり話さなかった。
 僕は彼女のことを、まったくと言っていいほど、知ることができなかった。

 この地球上が全部海の中に沈んでしまったということが、あまりにも大きく、僕の日常を飲み込んでしまった時に、僕はふと、彼女のことを思い出して、寂しいような気持ちになった。
 もう帰ることはできないのかもしれない、とその時に思って、けれども、もしかしたら、彼女も魚になっているのではないかと、根拠もなしに確信して、楽しい気分になった。

 おそらく夜が明けてすぐの時間帯だったんだろうと思う。冷たい流れと温かい流れが渦を巻いて、それが、竜巻みたいに、玄関の向こう側に渦を巻き始めたころに、僕の体はひらりと木の葉みたいに翻って、しゅっと、吸い込まれていった。


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