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要崎紫月さん

『精神攻撃系お耽美ホラー』と銘打ち、短編を書いています

性別 女性
将来の夢
座右の銘 一生懸命

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マザー・コンプレックス

17/07/02 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 要崎紫月 閲覧数:225

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日暮れの街、一人の若い女性が喫茶店の前で泣いていた。その先に男性の後ろ姿。
「待って! 私を置いていかないで!」
 彼女は叫ぶ。しかし、男性は振り向く素振りすら見せない。振られてしまったのだな、僕は思った。
「良かったら食事に行きませんか? ご馳走しますよ」
 考えるよりも先に、立ち尽くす彼女に声を掛けた。驚いた表情で僕の顔を見上げると、一歩後ずさった。涙が一筋零れたのが見えた瞬間、ざざざっ、と波の音がノイズの様に聞こえた。
 小奇麗にしていても、相手はただのおじさんだ。だが、彼女は何も知らない。逃げられてもおかしくない、そうなったとしても構わなかった。第一、こんな状況で食事に誘うのは不謹慎だろう。けども、誘わずにはいられなかった。泣いて真っ赤になった瞳に怯えの色を滲ませながら、彼女は乾いた唇をそっと開く。
「はい、行きます」
 今度は僕の方が驚いてしまった。しかし、これで最後の晩餐の相手が見付かった。最後ぐらい女性とゆっくり食事がしたかったのだ。

 喫茶店から十分程歩いた所にあるイタリアンレストランに彼女を連れていった。料理は割とおいしいし、雰囲気も落ち着いていて悪くなかった。ただ、その時一緒だった女性とは以降、逢う事は無かった。
 平日の夜、まばらな店内の壁側の席。お酒が入った彼女はよく喋った。友達の事、ゼミの事、就活の事。彼女は大学の三年生だった
 喋り方に少々荒さが見えたが、食事は綺麗に食べていた。良い色に焼けた子羊のグリルがみるみる皿から消えていく。僕は相槌を打ちながら、次から次へと出てくる彼女の話を聞いていた。遠い記憶と共にまたノイズが混じる。
前菜のサラダを食べ終え、蟹のクリームパスタをフォークで巻きながら彼女の口元を見る。真っ赤な口紅に年甲斐も無く緊張してしまう。相手は一回り以上年の離れた女の子。そう思っても、初めて大人の女性を前にした少年の様な気持ちになっていた。女性の扱いはあまり得意とは言えない、でもそれはもうどうでも良かった。
 彼女は腹いせの様に男性の事を悪く言っていたかと思うと「でも、優しかった」と、デザートをつつきながら話す。その話し振りはまるで激しく打ち寄せる波の様だった。

 食事を終えて店を出ると、軽い酔いを感じながら彼女と並んで歩いた。左に曲がり、路地に入る。彼女は躊躇したのか一瞬立ち止まるも、僕の少し後ろを俯き加減でついてくる。
「帰っても良いんだよ」
 僕は努めて笑顔を作りながら言った。彼女は何も言わず、首を横に振る。
表通りより一段と暗く緩やかに下る坂をゆっくりと歩き、一軒のホテルに入った。部屋に入るとシャワーを浴び、ベッドに横たわる。隣で固くなっている彼女の身体をそっと抱き締めると、彼女は「ひっ」と小さい悲鳴を上げた。僕は透かさず囁く。
「一晩、ここままいさせてくれないか? お願いだ、今夜だけ」
 彼女からの返事は無く、早い息遣いだけが聞こえる。服を脱いだ彼女の身体は見た目よりも肉付きが良かった。しかし、性欲などとうに失っていた。僕はただ、女性の肌のぬくもりと柔らかさだけが欲しかった。彼女の胸に顔を埋め、一度だけ深く呼吸をするとそのままじっとする。悪夢を恐れる子供みたいに。
僕は彼女の中に母親の欠片を探す。
「君が必要なんだ」
 花の優しい香りの間から心臓の音が聞こえる。レストランではあんなによく喋っていたのに、口を閉じた貝の様に一言も発しなかった。ざざざっ、とまた波のノイズ。
僕は明日、海へ行く。幼い頃に出掛けた思い出の海。従兄弟達と波打ち際を駆け回わり、沖に向かって力いっぱい泳いだ。そんな僕達の姿を父親が見守っていた。そこに母親の姿は見えない。いくら思い出そうとしても何一つ思い出せなかった。
「僕には、母親の記憶が無い」
彼女が僕の髪をそっと梳きながら撫でていた。心地良かった。
やはり最後にもう一度、母親の胸に抱かれたい。母親という海、胎児に戻り、そして生まれる前に戻りたい。それは生まれ変わりたい訳じゃなかった。
はじまりの拒絶。
母親のいない過去、八方塞がりの現在、希望の無い未来、全てを無かった事に。
 心音が穏やかになっていた。少しずつ重なり合うと、いつしか眠りに落ちていった。

 翌日、ホテルをチェックアウトすると、彼女は入口の前で無言のまま小さく頭を下げた。そして、僕を振り返る事無く足早に路地を抜けると、道行く多くの人の波に紛れ、見えなくなった。
 もう二度と会う事は無いだろう、そう思うと寂しくもあったが、それで良かった。
彼女の中に母親の欠片も見付けられなかった。ただ海に囚われている。それは僕が欲しているのか、呼ばれているのか分からなかった。
僕は駅へと向かう。また波の音が聞こえる。


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