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本宮晃樹さん

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海の底のお節介焼き

17/07/02 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:112

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「これはこれは」核融合炉技術者の物腰は柔らかかった。「ようこそこんな辺鄙なところにおいでくださいました」
 お茶が出た。日本から定期的に取り寄せているという。驚くべきことにここマリアナ海溝の底、水深一万メートル付近にさえ、物流サービスがいき届いているのだ(運賃・保険料込条件、CFS-DOOR契約で海上運賃はざっと二百三十万円なり。お茶っ葉一袋がだよ……)。
「一人よこしてくれるとは聞いてたが、こんな若い娘さんとはねえ」
 まさに〈こんな辺鄙なところ〉である。わたしはいま、耐圧構造の狭苦しい球殻モジュールですさまじい水圧の恐怖に怯えている。千気圧もの海水がずっしりと頭上にのしかかっているのだ。思わず感想を口にしていた。「あたし閉所恐怖症になりそうです」
「じきに慣れるよ。こないだ休暇で二日ばかり陸に揚がったんだけどね、どうも尻の据わりが悪い。なんでだったと思う」彼は答えを待っていなかった。「あまりにも空間が広すぎるんだな」
「あたしもそんなふうになっちゃいますかね」
「居心地がよくなりだしたらもう赤信号だ」彼は自嘲気味に笑った。「そうなったら悪いことは言わん、可及的速やかに陸に揚がるこった」

     *     *     *

マリアナ海溝核融合プラントについて知ろう!
・そもそも核融合ってなに?
 核融合は重水もしくは三重水素を超高温・超高圧化で反応させた際に放射される莫大な熱エネルギーを利用する発電方式です。反応炉内の温度は一千万度を超えており、これはもはや人工の小型太陽と言えます。
・どうしてマリアナ海溝に建設したの?
 同海溝は水深およそ一万メートル、水圧は千気圧にもなります。この圧力は核融合現象の惹起におあつらえ向きです。また中性子が水素に余分にくっついた重水および三重水素は重いため、海底へ滞留する傾向があります。これらを踏まえると、マリアナ海溝は核融合プラント建設にもってこいの環境だと結論できます。
・どうやって送電してるの?
 プラントから海上まで一万メートルにもおよぶ送電線が敷設されています。ケーブルは送電ロスを防ぐため超伝導状態になっており、それは液体ヘリウムの冷却効果にて維持されています。

     *     *     *

 数か月後、わたしはまだ海の底にいた。どうも赤信号を無視してしまったらしい。「日下部さん、ひとつ聞いてもいいですか」
「なんだね」猫の額ほどの休憩室にお茶の香りが立ち昇っている。「いよいよ帰りたくなったとか?」
「聞きたいのはまさにそれなんです。日下部さんは帰りたくならないの。十年以上もひとりぼっちだったんでしょ」
「そういうきみはどうなのさ。若い女の子が興味を示す場所とは思えんが」
「あたしはずっと海の底に憧れてたんです」一杯およそ七千六百円の煎茶をすする。おいしい。「宇宙のかなたまで電波望遠鏡で見られるのに、たったの一万メートル下はまるでわからない。まだこんな領域があるんですよ、それも地球に!」
 彼は居心地が悪そうに座り直した。「立派だね実に。佐伯さんらしいとも言えるが」
「で、日下部さんのほうの動機はなんなんですか。今日こそ教えてもらうから」
 めがねをはずして息を吹きかけ、布でこすってまたかける。目を薄く閉じた。「むかしまだぼくが陸で海洋研究をやってたころ、同じ研究所に好きな娘がいてね」
 彼はすっかり過去に没入しているようだ。
「ぼくは見ての通り無精者だから、デートも下手でさ。もたもたしてるあいだに同僚にとられちまった。もちろん彼女には選ぶ権利があるし、同僚はうまいことやったにすぎん。でも当時のぼくは視野が狭かったんだろうな。なにもかもがいやになっちまった」鼻からゆっくり息を吐き出す。「ちょうどそのころプラントが完成して、管理者を公募してた。一も二もなく飛びついたよ、これで人間界から逃げられるぞって」
 ようやく言葉を絞り出した。「つらかったんですね」
「笑っちまうだろ、たかが女の子にフラれたくらいで世の中に絶望して、こんな海の底にまで逃げてきたんだから」
 わたしはハンカチで涙を拭ってやった。「あたしは笑おうなんて思いません」
 心地よい沈黙。思い切って提案してみた。「日下部さん、陸に揚がってみたら?」
 技術者は目を丸くしている。「なんでまた?」
「いまなら歳を取って視野が広くなってるはずでしょ。陸のよさがわかるかもしれませんよ」
「しかしなあ」
「悔しくないんですか。負けたまま海の底でうじうじしてるなんて」
 瞳に炎が宿った。「いまのは聞き捨てならんな」
「その意気ですよ。ちょうど明日お茶っ葉の輸送艇がくるし」
「ふうむ……」
 いまだに渋っている彼の背中をどやしつけてやった。「知らないなら教えてあげますけど、陸には素敵なことだっていっぱいあるんですよ」


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