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TATAさん

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Scene of Blue

17/07/01 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 TATA 閲覧数:169

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 海は、久しぶりだった。
 天気は良いが、シーズンにはまだ早く、平日でもある。絶好の散歩日和にもかかわらず、人はまばらだ。
 道路から階段を下り、砂浜へ足を踏み入れる。この柔らかい感触はいつ以来だろう。記憶を手繰ることに気を取られていると、ボードを抱えたサーファーがしずくをたらしながらやって来た。私は慌てて笑みを引っ込めた。
 視線を上げると、行く手にぽつんとひとつパラソルがひらいていた。家族らしい。近づくともなしに近づいてゆくうち、私は興味を覚えた。というのは、デッキチェアに座った子供が、海に向かってスケッチブックを広げていたからだ。
 私は少し考えたが、うしろから控えめに声をかけてみた。
 パラソルの日陰の中で振り返ったのは、まだ若い夫婦だった。二人は微笑んで挨拶を返してくれた。子供も手を止めて振り向く。五、六歳の少女だった。
 私はこの時、彼女が呼吸を楽にするためのチューブをつけていることに気づいた。にこりとした私に、少女は微かなはにかみを見せ、また作業に戻った。
 彼女の邪魔にならぬよう声のトーンを落とし、私は夫婦に、自分が絵画教室で講師をしていることを明かした。受け持っているクラスは年配者が多く、子供の絵を見る機会がなかなかないのだということも。不意の訪問の説明になればと思ってのことだ。
 少女は海を描くのが好きで、気がつくと青いクレヨンばかり減っているのだと、二人は静かに話してくれた。ちらりと作品をのぞき込んでみると、白い紙に、ひたすら青い世界が広がっている。いさぎよいくらいの描き方だ。感心してそう伝えると、彼らは嬉しそうに笑った。
 私はふと、海へはよく来るのかと思い、そのことを問うた。父親のほうが、今日が初めてだと答えた。母親は黙っていた。
 それでも、彼らが娘に向けるまなざしはどこまでも穏やかで、愛情に満ちていた。私は、少女の体調には触れぬまま、家族に別れを告げた。
 しばらく砂浜を歩き、再び階段を上がる。アスファルトの道路にたどり着いてから、私は振り返った。海辺に一輪だけ咲いているパラソル。自分のスケッチブックを持っていれば、きっととどめていた光景だった。
 
 それから一年ほどが経った。私は友人である画家の個展の帰り、別の催しへ立ち寄ることにした。長く病院にいる子供たちの描いた絵を集め、活動を支援する団体がギャラリーを借りて展示するというものだった。
 ガラスのドアを開けると、受付の女性が静かに微笑んだ。軽く会釈をし、案内を受け取って中へと進む。
 日常の出来事や好きなもの、望むことなどが、思い思いに描かれていた。作品の下にはタイトルと名前が記されており、彼らを取り巻く状況にも触れられていた。
 ほかに客は四、五人というところか。しん、とした世界を巡っていたが、そのうち私の前に、見覚えのある絵が現れた。
 間違いなく、ちょうど今頃の季節、あの少女がパラソルの下で描いていたものだ。思いがけない邂逅にも驚いたが、すぐそばのテーブルに一緒に展示されていたものを見て、私は息をのんだ。
 真新しい、大きな平たい木箱の中に、何十本というクレヨンがずらりと並んでいる。それらはすべて、我々が「青」と呼んでいる色だった。
 海が好きで、たくさん描いていたため、クレヨンの中でこの色ばかりが減ってゆく。それを両親が買い足すうち、見舞いの品として皆が持ってくるようになった。少女もそれを喜んだため、ここまで集まったのだと説明にはあった。
 一年前に聞いたとおりだな、と笑みが浮かぶ。だが、その先に記されていた彼女の運命に、私は胸を殴られたような痛みを覚えた。これは生涯でただ一度、彼女の望みが叶った日の絵だったのだ。
 水平線に向かい、ひたむきにクレヨンを動かし続ける少女。それを見守る両親のまなざしのあたたかさ。あの日の、穏やかで美しい時間が、波の音とともに思い出された。
 木箱に収められた、青色の断片。少女の愛した色。明るい青、暗い青。緑に近い青。外国製のものや、パステルもある。
 これは少女の海″なのだ。
 彼女がこの世に残していった青い景色の前で、私はいつまでも立ち尽くしていた。

 


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