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糸井翼さん

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海の思い出

17/06/29 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 糸井翼 閲覧数:216

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「お母さんとの思い出は何かある?」
おばさんが尋ねた。なにかの取材みたいだった。私は大切な思い出を話すのはもったいない気がした。でも、誰かに話してしまいたい気もした。
「海に行ったの」

「ねえ、今から海におでかけしよっか」
突然のお母さんの提案に私は驚いた。
私の家はお金がなくて、旅行なんて行ったことがない。行けないものとわかっていたから、行きたいなんて一度も言ったことはなかった。友達が持ってきたお土産もお母さんには見せないようにしていたのに。
お母さんはすがすがしい笑顔でこっちを見た。私はこんなお母さんの顔を見たことがなかった。お金を稼ぐために、毎日必死に働いていたお母さんはいつも疲れきった表情を浮かべていた。それなのに。
「え、仕事は?学校とか・・・」
「いいの。行こう」
私は少し嫌な予感がした。学校も休むことになるし。でも、それ以上は何も言わなかった。初めての旅行に行きたいし、何より、お母さんがこんなに笑顔なのに水を差したくない。こんな風に笑っていられる時間を失いたくないって思った。

ずっと電車に乗っている時間は退屈だった。でも、だんだん海が見えてくると心が高鳴った。
「ねえ、海だよ」
お母さんは電車に乗っている間、考え事をしていたみたいで声をかけにくかったけど、ここでは話しかけた。お母さんも外の海を見て少しにっこりした。きれいな青い海がどこまでも広がる。急な提案には驚いたけど、きっとお母さんも疲れを取りたいと思ったんだろうな。こんなに素敵な海を見たら、確かに疲れは取れる。学校や仕事や、お金や、多少の悩みはどうでもいいことだった。それに世界はこんなに広かったのかと思った。海の向こうでも私たちのようにいろんな人が生活していると思うと、不思議な気持ちになる。
「ねえ、お母さんは海好き?」
お母さんはちょっと寂しそうな笑みを浮かべた。
「そうね。好き」

私たちはとりあえず宿に行って荷物を置いた。荷物といっても、急に出発したのでほとんどたいしたものはなかった。ここではじめて水着がないことに気づいた。旅行なんて行ったことがないから、準備の仕方もよくわかってなかった。
「水着がないよ」
「とりあえず、夕飯を食べよう。何が良い?好きなもの。今日は特別よ」
「えーほんとにいいの」
またお母さんが見たことのない笑顔を見せた。

メニューを見たときはすごく迷った。お金がないのに。でも迷っている私の気持ちとは正反対に、お母さんは一番高いハンバーグステーキを指差して、これにすると言った。私はようやく気付いた。きっと宝くじか何かが当たったんだ。お金はあるに違いない。こんなに迷いなく高いものを頼める。私はオムライスを頼んだ。1200円。
お母さんは一生懸命食べてる私をぼんやりと眺めていた。
「食べないの?」
「えっ、あ、そうね」
お母さんはステーキを切り始めた。

食後のデザートまで食べて、お腹いっぱいだった。のどもとまでご飯が詰まっている。生まれて初めての感覚。
「これまであまり食べさせてあげられなくてごめんね」
お母さんは本当に悲しそうに言った。
「いいよ、これからは食べられるんでしょ」
「そうねきっと、」
何か他にもっと言いたそうな気がした。
「ねえ、今から海に行こうか」

夜の海は誰もいなかった。昼間見た海は青くてきれいだったけど、今は大きくて黒くて不気味だった。波の音も、なんか怖い。
でも、夜空はとてもきれいだった。こんなにきれいな星空は見たことがなかった。まるで、宇宙の中にいるみたい。
「きれい」
お母さんは海のほうをじっと見て私を見ない。
「はいろっか」
「えっ、水着ないよ」
私の声は聞こえなかったのか、私の手を引いて服のまま海に入っていく。足が冷たい。でもどんどん進んでいく。水が腰くらいの高さになっている。
「帰ろうよ。怖いよ」
お母さんは私をちらりと見た。優しい顔で私を抱えあげた。
「わたしがいるよ、怖くないよ」
気付くと、浜は遠く、真っ暗な海の真ん中のようだった。暗い宇宙に私たちが二人だけいるような感覚になった。お母さんの体温が感じられる、この二人だけの空間が、なんだか心地よくなってきた。
流れ星が光った。
「ねえ、お母さん。流れ星っ。お祈りしなきゃ」
「何を祈ったの?」
「お母さんは?」
「ずっとあなたと二人でいられますように」
「私は、お母さんがずっと笑顔でいられますようにって」
お母さんは足を止めた。肩が震えている気がした。鼻をすする音。
「お母さん、寒いの?」
「戻ろっか」

私のお母さんとの大切な思い出を話し終えると、涙が溢れてきた。最初で最後の旅行。
「でもね、私もお母さんもばかだったの。今考えると」
「なんで」
「願い事はね。しゃべっちゃうとだめなの。口に出したら叶わなくなっちゃうの」


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