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待井小雨さん

待井久仁子というペンネームで「小説&まんが投稿屋」というサイトで、童話やホラーやよくわからない物語を投稿しています。 ご興味を持っていただけたら、よろしくお願い致します。

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あした海になる

17/06/27 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:6件 待井小雨 閲覧数:585

時空モノガタリからの選評

実際の海ではなく記憶の中の海を描いていた点と、それを美しく幻想的に魅せる技量に感嘆しました。月の青白い光と暗闇の対比的な色彩の中で、死を予感させる水音と潮の香りが際立ち、まるで生々しい死の手触りが直に伝わってくるようでした。死の世界を意味する海は、少なくとも祖母の心の中では現実の庭の池とつながっていたのですね。きっと彼女は生の裏側の「あちら側」を見つめる人生を送ってきたのでしょう。どこか超越した存在感を放つ祖母に対し、「私」にとって「海」や「死」は、魅惑的でありながらも「得体の知れないものへの畏れ」を感じさせるものでもあるわけですが、そうしたアンビバレントな感情を説明的にではなく、光と闇のような対比的色彩や音などの五感を通して、読者に追体験させる優れた文章ではないかと思います。「死」を単に哀しいものとして捉えるのではなく、このように美しいものとして描き切ったところもユニークだと思いました。

時空モノガタリK

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 とぷりと水の音がした。
 吸い寄せられるようにして、私は音の方に首を向ける。閉めきられた障子の向こう、縁側の先は池のある庭だ。
「どうしたの」
 母が怪訝な顔で振り返る。
「いま――潮の香りが」
 ……したような気がして。
「するわけないでしょう、そんなの。ここから海まで何時間かかると思ってるの」
 そんなことより、と母は言う。
「ちゃんと、おばあちゃんの顔を見ておきなさい」
 うん――と白い布団で眠る祖母の顔を見る。
 はじめは夏風邪をこじらせたのだということだった。そのまま体力が落ち、眠る時間の方が長くなったという。
 入院も拒み、家にいたいと祖母は希望した。おそらくもう永くはないだろうと、親戚や普段離れて暮らしている私達も見舞うこととなった。

「まだ寝ないの」
「今日は私が看ることにしたから」
 時間はとうに深夜に差し掛かっていた。看病というほどのことはもはや何もできないけれど、今晩は私が看ることにする。
 あの潮の香りが気にかかっていた。
 祖母が眠りにつく前。現も夢も境の分からないような状態で、祖母は障子を開けて、と呟いた。
 池が見たいの――と。
 そのまま眠ってしまったので誰も障子を開けはしなかった。
 祖母の布団を離れ、障子を開く。夜の中、黒い庭がそこにはあった。月明かりが差し込んで、白い祖母の顔を一層青白く彩る。
「おばあちゃん、見える?」
 暗い庭には何の影も見えない。不安だけが私の心をざわざわと揺らしていた。

 もうずいぶんと昔、祖母に抱き上げてもらえるほどに小さかった頃、不思議な話を聞かされた事がある。
 娘時代に避暑で海辺に言ったのだと、元気だった頃の祖母は語った。
 ――とても綺麗な娘さんがいてね。私はその人のことが大好きだったの。
 ――どこのお嬢さんかも知らなかったけれど、毎日一緒に遊んだわ。綺麗な貝に耳を寄せあったり、波打ち際で寝転んで空を長いこと眺めていたり。
 手を繋いだままで、と祖母は微笑んだ。まるで恋を語るようだと、幼いながらに感じていた。
 ――避暑を終えてこの家に戻らなくてはいけなくなって、私はひどく泣いたのよ。あなたと一緒にずっといたいって。……けれど無理だと。
 異質なほど美しい人は言った。
 ――だってあなたは人間なのだもの――って。
 ――自分は人ではなく、海のものだとその人は言うの。
 とぷりと、記憶の中の池が音を立てる。祖母の語る話に、あの時の私は淡い憧れと、得体の知れないものへの畏れを抱いてはいなかったか。
 ――あなたは人間だから、息をするものだから海には連れていけないと言われた。じゃあどうすればいい、どうすればあなたと一緒に行けるの、って必死になって訊いたわ。
 そうしたらね、と祖母は夢見るような瞳で続けた。
 ――あなたが息をしなくてもよくなったら迎えに行くわ、って。
 そう言ってくれたのよ――。

 庭を見つめて立っていると、背後で布の擦れる音がした。寝ていたはずの祖母が私に問いかける。
「――ねぇ?」
「……どうしたの、おばあちゃん」
 目が覚めたの、具合はどう、そんな言葉が頭をよぎる。けれど、どれも声には出なかった。
 月明かりで冷たいほどに白い顔をした祖母が口を開く。
「私は明日、海になるのよ」
 そう、微笑んで。
「え――」

 ――はっと、目が覚める。
 夢を見ていたの……と額をおさえる。
 時計を見れば母が退室してから一時間ほどしか経っていない。祖母が起き出した気配もなかった。
 祖母の口元に手を伸ばす。微かに息が当たるのを感じて安堵した。
 けれど、明日。
 明日、おばあちゃんは海になる――。
 暗いままの庭をじっと睨む。そこにある、池を。
 この池は海に繋がっているんだよ、と言っていた祖母。そんなの嘘だわ、ちっともしょっぱくないもの、と水を舐めて答えた私。
 あの時私を窘めてくれた祖母は、確かに「こちら側」にいてくれたのに。
 池が海に繋がっているはずはない。潮の匂いなどするはずもない。不安を抱いたまま夜が明けるのを待った。
 ――そして空が白み始めた頃、不意に強い眠気に襲われた。瞳を閉じれば引きずり込まれるようにして、ずるずると眠りの淵に落ちていく。
 祖母の布団に倒れこんだ。そこに眠る人の手をせめて握りたいのに、体がすでにいうことをきかない。
 …………。
 ……ぴちゃ――ちゃぽん。
 とぷり。
 耳だけが、水の音を拾う。生き物もいない池から聞こえる、水の音を。
 祖母の願いは果たされるのだと、悟る。希う想いが果たされる時が来たのだと。
 待って、とも連れて行かないで、とも言えなかった。私の祖母が、私の祖母ではないものになることをただ思い知らされる。
 とぷん――と一際大きく水が鳴って。

 ……きつい潮の香りが、部屋を満たした。


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このストーリーに関するコメント

17/06/28 のあみっと二等兵

拝読致しました。
消えて無くなるのではなく、生まれ変わったのだなぁ〜と。亡くなったと言うのに、悲しみを感じさせないお話だなぁと。
現実的でありながら、ファンタジックな世界観がとても素敵だなと思いました。
的外れでしたらスミマセン……
素敵な作品を有り難う御座いました!(*´∀`)

17/06/29 待井小雨

のあみっと二等兵 様

お読みいただきありがとうございます。
夢と現の境を漂うような話を目指しましたので、のあみっとさんのご感想、とても嬉しいです!
ただ死ぬのではなく、主人公の手の届かない側のものになってしまうというのがうまく書けていれば良いのですが……。

17/07/27 木野 道々草

死そのものに「海になる」という物語が与えられていることが、美しく、とても心に残りました。

また想像力をかきたてられました。孫の「私」が眠りに落ちる場面は、海になるイメージと重なりました。死とは、目を閉じて水音を聞き、潮の香りを感じることで海と一体になるような、体はこちら側(陸)にあっても、意識があちら側(海)にあるようなものだろうか、と思いました。

17/07/30 待井小雨

木野道々草 様

お読みいただきありがとうございます。
ずっと「こちら側」にいてくれたはずの身内が、死によって「あちら側」――海へと連れていかれ、一体となってゆく。上手く表現できていたら良いのですが……。
心に残る、想像力をかきたてられるとの評価、大変嬉しく思います。ありがとうございました!

17/07/31 光石七

入賞おめでとうございます!
拝読しました。
「海に帰る」という言葉を連想しましたが、もっと妖しげでどこか甘美で幻想的ですね。
海は生命の始まりであると同時に死も孕んでいて、生と死を繋ぐ場所でもあり…… そんなことを考えました。
素敵なお話をありがとうございます!

17/08/02 待井小雨

光石七 様

お読みいただきありがとうございます。
祖母にとっての「死」を、恐ろしいものではなく「好きな人に再会できる甘やかなもの」として書いてみました。
海は生と死を同時に連想させますよね。
感想ありがとうございました!

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