1. トップページ
  2. 2万分の1という愛と夢

秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

性別 女性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

2万分の1という愛と夢

17/06/27 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:100

この作品を評価する

「これを作ってほしい」
 老人がWに差し出した色褪せた写真は、どこかの海岸線。濃い色の海を臨む丘の上には灯台が建つ。入り江に沿って小さな漁村が広がり、山から単線列車が出てきたところだ。
 いかつい電動車椅子に身を納めた老人は、干し柿のような顔と、異様に細い足が不気味な威圧感を放つ。足の付け根で血が止まってしまわないか心配になるほど太い猫が、太ももの上にのっていた。
 
 Wはジオラマ作家である。と言えば聞こえはいいが、単に30手前、ニートのジオラマオタク男だ。
 ふざけてネットで「パトロン募集」したところ、あの老人から声がかかった。
 あれよあれよと言う間に黒塗りの車が迎えにきて山奥の豪邸に招かれ、製作依頼と共に破格の「謝礼」が提示された。
 すべてが冗談としか思えないこの依頼を引き受けたのは、ネット上では散々強気に振舞うくせに、いざ生身の人間を前にすると「否」と言えない腑抜けな性格のためである。
 
 老人は海にこだわった。
「この辺りの海流は南から北へ流れる。だから波はこれじゃいかん」
「ここは浅瀬なんだ。で、ここからどーんと下がる。だから色の境目がある」
 事細かに注文する。人に指示されることが大嫌いなWは指摘される度にムッとしたが、ジオラマへの情熱は誰より深い。完璧にしてやろうじゃないかと逆にのめりこんだ。
 場所がわかれば地形や建造物を調べて反映できる。そのため「これ、どこの海なんすか」と尋ねてみたが、「忘れた」と見え見えの嘘しか返ってこなかった。
 Wは写真をパソコンに取り込み、片っ端から掲示板で情報収集を呼びかけてみた。おそらく老人の生まれ故郷とかそういうことなのだろう。より本物そっくりに作って驚かせようと思った。
 ――しかし、Wはその結果に言葉を失う。


「じゃじゃーん」
 2ヵ月後、子供っぽい擬音と共にWは完成作品にかけた布を取っ払った。
 隣で老人が息を飲む様子が伝わる。
 300cm×150cm。実に博物館並みの大作だ。旅好きから鉄道オタク、地理マニアにいたるまで、ネット住人から寄せられた情報をもとに、可能な限り忠実に再現した。
 季節は夏。紺碧の海と青々とした草に覆われた丘のコントラストが美しい。
 言っていいものかどうか迷ったが、Wは口にした。
「F県のH村なんすよね、ここ。40年前に津波で壊滅した」
 老人の目が見開き、思わず「スミマセン」と謝る。
「船も家も人もほとんど流されて、結局村は再建されなかったんすよね。いま残ってるのは線路と使われていない灯台だけ」
 色とかも結構再現したつもりなんすけど、どうすかね、と早口で説明したが、老人は硬い表情で黙ったままだ。
「あのう、それでこれ、ちょっとオマケなんすけど」
 Wはどぎまぎしながら指でつまんだそれを掲げてみせた。
「余計なお世話かと思ったんすけど、なんか、あった方がいいかなって」
 言いながら、海原を見渡す丘の上にそっと置いた。
 それは、老人の人形だった。ただし、両足がちゃんとある。英国風のスーツに杖、帽子もそろえた。男前な紳士だ。
「で、こいつはオマケのオマケ」
 へへ、と照れ笑いし、Wはぽってり太った猫の人形も老人の足元に置く。
 海辺の景色に主人公が入り込んだことで、突如として世界に命が吹き込まれたような気がした。沖から吹いてくる潮風の温度や、波の音に混じるウミドリの声が五感を揺らす。Wは老人を振り返る。
 老人は目を閉じていた。そして、震える声で「嗚呼」とだけ言った。

 結果的に、それが老人の最期の言葉となった。彼は身体を病んでいた。
 礼も褒め言葉もついに一度も聞けなかったが、天国とか空の上ではなく、あの紺碧の海に寄り添う小さな村へ老人は還って行ったのだと、Wは思う。
 老人は埋葬され、ジオラマは村の跡地を管轄する町へ寄贈されることになった。
 その引渡しのため、いまWはかつて村があった入り江を見下ろせる国道に立つ。
 製作中にここに来れば良かった、と激しく後悔した。風が、想像より強い。あの崖にぶつかる波も、思っていたより高い。老人がここに来られずジオラマを求めるなら、その世界をそっくり縮小するのは自分だ。
 頭の中で、何かがぱちんと光った。
 人生で初めて、ようやく、青臭く熱い夢のようなものが見えた気がした。



 足元で揺れる草の感触、濃い潮の香りがたまらなく懐かしい。
 老人は、ゆっくりと視線を水平線から入り江へと移す。
 浜で女たちが干物を作っている。その向こうで船の修理をする機械音がここまで届く。と、1日に3本しかないオレンジ色の列車がトンネルから顔を出した。反射的にわくわくして、子供の頃そうしたように大きく手を振る。
 記憶にあるより風も波も穏やかなこの世界に、老人は満足して足元の猫を抱き上げた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン
アドセンス