じゅんこさん

文芸部部長引退。 文章を書く練習の場としてここをつかわせていただいてます。 ご指摘、感想等お待ちしてます。

性別 女性
将来の夢 本に携わる仕事
座右の銘

投稿済みの作品

0

気泡

17/06/25 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 じゅんこ 閲覧数:105

この作品を評価する


 自分の名前というのは、ひとが心理的にいちばん聞き取りやすいものなんだそうだ。つい振りかえって、がっかりしてしまった。
「傘忘れちゃって。よかったら、いれてもらっていいかな……」
 同じクラスの女の子。仕方ないなあと笑って、傘の花びら部分をうごかし二人分のスペースをつくる。それを確認し、彼女は礼をいって玄関から走り寄ってきた。
 ありがとう、を引き出させておきながら言われると申し訳なくなる。つまりこの子が苦手なんだ。
 そういえば、最近さあ。
 動きだした唇、はしの方に溜まっていく唾液。
 彼女のはなしはじめはいつも同じだし、内容も譜面に従った演奏をきいているときの気持ちにさせる。
 赤べこのように無心になって頷きつつ、携帯をポケットから出す。待ち受け画面を表示したタイミングで液晶に環礁ができて、いそいでむらさきいろの口をみた。垂れていない。ただ雨が本降りになっただけだった。
「わたし、話すの苦手だけど、ちゃんときいてくれるから嬉しいな」
 口角に泡を生成させつつ、ささやくように言う。
 ひとの声がいちばん美しく聴こえる雨の日の傘のなか、彼女の言葉は響かない。このせかいを飲み込む動作が苦手だから、身体からすこしずつ、言葉を発するたびに中身がこぼれてしまうんだろう。彼女の言葉は波釘のようで、でも周りは雨だから、逃げ場のないまま息苦しさだけが増していく。
 あ、ごめん。
 声と共に水が跳ねて靴下にしがみついてきた。足が水溜まりにはいってしまったようだ。泡の浮いたその場所と同化してしまった彼女。おそろしいと思った。
 この子は魚になれるんだろう。ここは海だ。このからだじゃ、きっと隣で泳げない。だから突き放せない。うかつに言葉を雨に交じらせて、彼女の足元に放ることもできない。傘はひとつしかない。ただのクラスメイトが巨大なかいぶつのように思えて、傘の茎を握る指がほどけそうになる。タイヤに撹拌された空気がゆるやかな泡となって、路面をすべっていった。




コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン
アドセンス