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ツチフルさん

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17/06/25 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 ツチフル 閲覧数:114

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 聞こえてくるのは、枯れ枝を踏む音。草木のさざめき。二人の息づかい。
 時おり、鳥たちの鳴き声。
 それから、波の音。
 木々に囲まれた遊歩道は、少しずつ勾配を増していく。
「大丈夫か?」
「うん」
 心配そうに聞く僕に、紗希は額の汗をぬぐいながら笑ってみせる。
「もう少しだからな」
 波の音はますます大きくなる。
 さらに十分ほど歩くと、ふいに木々が途切れ、辺りはごつごつとした岩場になった。 
 眼前には、空と海。二つの無限が広がっている。
 遊歩道は岩場を裂くように進み、そのまま海へ突き出した岬の灯台へと続く。
 夏場は水平線に沈む夕陽の絶景を見に訪れる観光客で賑わうらしいけれど、深秋の今は誰もいない。
 吹きさらしの風に身を震わせながら、僕たちは歩く。
「…カメラ、持ってくれば良かったな」
 夕陽に染め上げられた空と海に見とれて、紗希が呟く。
 僕は何も言わない。
 それが無意味なことだと、知っているから。

 岬の灯台は鉄柵でぐるりと囲われていた。
 僕たちは海に向かって備え付けられたベンチに腰を下ろす。
 風が冷たい。
「…ごめんね」
 その風に乗せて、紗希が呟く。
「私が、あなたにすがりついたから――」
「選んだのは僕だ」
 赤い海を眺めながら、僕は答える。
「あの女と一緒になれば僕は手に負えない借金から解放されるし、一生困らない生活が保証される」
「………」
「でもそれは、沙希を捨てて、あの女に飼われるってことだ」
 誘いをかけてきたのは、金と暇をもて余している社長夫人。
 ホスト時代の、僕のエース(最上級の得意客)だった女だ。
「私なら、あなたを助けてあげられるわよ」
 誰かが漏らしたのだろう。
 僕が事業に失敗し、返済しきれない借金があることを知った彼女は、
「私のところへ来なさい」
 そう耳元で囁き、僕の身体をなめ回すように眺めて唇を湿らせた。

 僕は、あの女の提案を受け入れるために紗希へ別れ話をつきつけた。
 紗希は受け入れなかった。
 自己破産をしてゼロからやり直せばいいと訴え、絶対に別れないとすがりついた。
 僕は、力なく笑った。
「もう、やり直す気力なんてないよ。だから――」
「…じゃあさ」
 別れを告げようとする僕の言葉を遮って、彼女は穏やかに言った。
「一緒に、終わろうよ」
「え?」
「あなたと別れてまで生きる意味、私にはないもの」
「……」
「そんな無意味な自由を手にするくらいなら、このまま終わりたい」
 そんなことを、笑顔で言う。
 紗希の思いの深さに、僕は言葉を失った。
 例えば立場が逆だったら、僕は彼女のように愛せただろうか。
 できない。絶対にできない。
 沙希を抱きしめる。
「…本気なのか?」
 震える声で聞く僕に、
「本気だよ」
 彼女は優しく頷いた。


  
「道は二つあったんだ」
 沙希の吐息を胸で感じながら、僕は言う。
「沙希を捨てて、あの女に飼われる道。沙希と一緒に、終わる道」
「……」
「僕は、この道を選んだ。後悔はしていない」
「…私も」
 沙希は僕の胸に顔をうずめたまま頷く。
 最悪な結末だということは、わかっている。
 自分が最低な人間だということも、よくわかっている。
 それでも、僕はこの道を選んだ。
「私のところへ来なさい」
 社長夫人の下卑た笑みを思い出す。
 この結末を知ったら、あの女はどんな顔をするだろうか。
 …きっと、笑うだけだろう。
 太陽が海に触れる。星たちとともに、夜が目を覚ます。
「…行こうか」
「…うん」
 僕たちはベンチを離れ、進入禁止の札がぶら下がる鉄柵を越える。
 ここから先は遊歩道のない、ただの岩場だ。
 眼下に広がる海は、まぶたの裏と同じ色をしている。
「何か、してほしいことあるか?」
 僕が聞くと、沙希は少し照れたように言った。
「最後まで、抱きしめていて欲しいな」
「…じゃあ、こうしよう」
 僕は沙希の足を抱えて持ち上げた。
 彼女は小さな悲鳴をあげて僕の首に腕をからませる。
「…あ、お姫様だっこ」
 嬉しそうな声。
「いくらねだっても、してくれなかったのに」
「沙希、重いからな」
「こらっ」
「嘘だよ。軽い。こんなに軽いなら、もっとしてやれば良かった」
 沙希は微笑んで、僕を見つめる。
「…ねえ」
「うん?」
「死んだら、永遠に死んだままよね」
「…ああ」
「じゃあ、愛し合ったまま死んだら、その愛も永遠ってことだよね」
「…そう、だな」
「私、永遠の愛に憧れていたの。だから――幸せよ」
 キスをする。長いキスを。
 沙希の身体から力がぬけ、首に回していた手がほどける。
「行くよ」
 目を閉じたまま、彼女は頷く。
 岬の終わりに立つ。
 僕はゆっくりと身体を海へ乗り出して――
 
 そっと、沙希を投げ入れた。  了


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