秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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門出

17/06/23 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:153

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 中途半端に大きくて、子供の数の割りに小中高まで揃い、なんとなく大人になって、高卒でも島に残れば働き手として重宝され、結婚して子供を生んで、それなりに何不自由なく一生を過ごせてしまうこの島で私は生まれた。
 私は小さい頃からここが大嫌いだった。
 それは多分、本土から嫁にきた母がここを嫌っていたからだ。つまらない、下品、閉塞的。それが呪詛のように生まれる前から私の隅々に染み込んでいるのだと思う。島に馴染めない母に父が優しくなかったことも、早くここを出たい理由のひとつだ。
 
 そんな家庭環境のおかげで、高3の今日まで私は友達が少ない。
 唯一の話し相手は幼馴染で同い歳のダイ。母子家庭だが、父親が村長であることは公然の秘密だ。
 ダイと私は神社の裏山の頂上からよく島と海と空を眺めて過ごす。今日は時化てもやがかかり、雲間から慰め程度に差し込む冬の終わりの細い光に、波が喰らいついている。
 この辺りは年中水温が低く波が荒いため、海水浴は無理。人に優しくない。だから余計に海が私たちを拒み、閉じ込めているような印象がある。
「住み込みの仕事、決まった。卒業式終わったらいつでも来いって」
 朽ちかけたベンチに腰掛け、私は嬉しさに口元を緩めつつ報告した。卒業まであと一ヶ月。そしたら私はこの海を渡り都会へ行く。
「働いてお金貯めて、専門学校とか行くかも。それかOLになる」
 島を出ることが最大の目標で、それ以降の夢や将来は我ながらショボい。ダイを見ると、黒縁眼鏡の奥で笑っていた。思わず「何」と睨む。
「いえ、ただ、良かっですねと」
 ダイは誰にでも敬語を使うので、学校では変人扱いだ。村長の妾の子、という烙印から他人の気を逸らすためわざと奇天烈なキャラクターを作っているのではないかと、私は思う。
「戻ってこないからね。私に会いたかったらそっちから来てよ」
 ダイは、ただ困ったように微笑んだ。

 うちの学校には妙な慣わしがあり、卒業式の後、男は皆褌一丁で海に入る。海が荒波をもって人を拒んでいるのに、何故あえて飛び込んでいくのか。
 正直、ダイは参加しないと思っていた。弟を見守るような気持ちで、砂浜で屈伸しているダイの細い身体を眺める。同級生がよってたかってダイの横腹を小突き、「やめてくださいよ痛いです」とダイがくねくね動く。隣で女子が「キモー」と笑った。
 先生が「位置について、用意」と声をあげ、ダイがちらりとこちらを振り返る。不安だらけの目と視線がぶつかった。情けない。男ならばーんと行け。
「卒業ぉーーー」
 先生が叫ぶと、咆哮をあげて男たちが波に突進していく。
 最初はケタケタ笑っていた女子たちが、何人か「うわ、なんか感動」と涙ぐみ始めた。
 ダイは農協で就職が決まっている。本人は島を出たがっているが、本妻に息子のいない村長が首に縄をつけているのだ。ダイは小心者で、それを振り払えない。私みたいに、鼻息荒く周囲をなぎ倒して生きればいいのに。
 見ると、ダイが誰よりも大声をあげ、潜ったり飛び出したりを繰り返している。
 あの子が何かに立ち向かうのを見たのはこれが初めてだ。「僕はひとりで大丈夫」と言おうとしていたりして、と考え、それは少女漫画すぎる、と苦笑した。
 
 弱っちいダイは寒中水泳でしっかり風邪をひき、島を出る日は見送りどころか、私から会いに行かねばならなかった。
「今日は晴れるから波は静かですよ」
 玄関先でしわ枯れた声を出し、ダイが「これ」と私の手の平に何か押し込む。やけに分厚い紫のお守りだった。
「携帯もったら連絡するから。あと私の住所失くさないでよ」
 お礼の代わりに早口で返した言葉に、ダイはこの前と同じ困ったような顔で笑った。


 いよいよ、島を出る。
 中型船がうなりをあげ、海原を突き進む。子供のように興奮して甲板へ出た。なんだ、渡るのなんて楽じゃん。海なんてたいしたことない。
 しかし、手すりから海面を覗き込み、唖然とした。
 陸から離れた海は、どうしようもないほど圧倒的に厚く、深く、荒く、こんなものがあのちっぽけな島と憧れの本土の間に横たわっているのでは、もう二度と帰れないかもしれない、などと理屈を越えた不安が胸を襲う。
 私は咄嗟に振り返った。島が遠い。
 情けないほどあっけなく、生まれて初めて島を恋しく思う気持ちが早くも芽生えた。
 呼吸器を求めるようにお守りを取り出す。奇妙な厚みを探ると、四つ折りの小さなメモ。几帳面な右上がりの文字で、「帰るも勇気、帰らざるも勇気」と書かれていた。
 もう指先ほどの大きさしかない島に目を凝らす。山裾の神社、けもの道を登った先に、きっといる。朽ちたベンチの上に立ち、ダイが。
 
 声が、聞こえた気がした。
 その瞬間、波が大きく跳ねて頬を濡らした。


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