1. トップページ
  2. MY LOVE LIFE

キューさん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

2

MY LOVE LIFE

17/06/21 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:1件 キュー 閲覧数:331

この作品を評価する

『今日は遅くなります。夕飯は冷蔵庫の中。お父さんもどうせまた遅いでしょうから、先にレンジで温めて食べること。薬も飲み忘れないようにね。戸締りをして、夜更かししないで寝なさい。』

 正午すぎに起き出し、テーブルの上のメモに目を走らせたあと、誰もいないキッチンで僕は新聞をみていた。いつもと同じように。
 テレビ番組の欄からめくっていって何面目かで目が留まる。下半分のカラー写真。
 象が海の中に沈められてる、とっさにそう思った。白い牙だけが黒く重たそうなからだの真ん中で異様に長く、伸びきっている。淡い青緑色の水の中で四肢をくねらせ、鼻から苦しげな泡を出してもがく二頭のあわれな象。
 僕は立ち上がってコーヒーを淹れる。スプーンが立つくらいドロドロの、うんと濃いのを。コーヒーは大嫌いだ、医者がとめるから飲む。1日に5杯、まぬけたでかさのアルミカップになみなみとそそぐ、黒褐色の熱湯。一気に飲み干す。喉が灼けようが心臓が爛れようがかまわない。どっちみち今と大差はない。
 部屋中にたちこめる。むかつくようなコーヒー豆のにおい。我慢できなくなってトイレに駆け込む。便器に顔を近づけて茶色のコーヒー、胃液と交互に吐きながら頭の隅でリピートする。あと4回。あと4杯。

 吐き終わってトイレを流していると、誰かが玄関で大声を張り上げるのが聞こえた。口を拭い、ロックしておかなかった不手際を悔やみつつ、パジャマのまま出て行く。中年の女が二人、すでに閉じられたドアの内側に、パンフレットを手にして立っていた。
「こんにちは。今日は学校お休み?」
まるまると太った背の低い方が、鼻のあたまの汗をふきふき(まだ3月だというのに)声量全開のまま尋ねてくる。
 入って来んなよと心の中で舌を出し、僕はパンフレットの表紙に描かれた、船に乗り込もうとしている一つがいの象に目をやった。もう一人の痩せた方が眼鏡の奥の目を細め、努めてにこやかに切り出す。
「これは『ノアの方舟』という、来るべき危機から人類を救ってくださる守り神です。あなたは中学生? 現在の地球の環境についてどう思いますか。たとえば――」
これはさっき新聞でみた象だ。嵐に遭い方舟から落ちて海の中、溺れる運命の2頭だ。
 そう思った瞬間、左胸に強めのさしこみが来た。崩れ落ちそうになる体をどうにか膝でささえながら、グッド・タイミングって自分の心臓に声をかけてやりたくなる。
「あなた、大丈夫!? 病気なの?」
しらじらしく慌てふためく二人に僕はただうなずいてみせればいい。ばいばい象さん――安らかに眠れ。
 ノアの方舟教徒が去ってドアをロックしたあと、キリキリ暴れる心臓をなだめつつ這ってベッドに転がり込む。きのう薬を全部捨ててしまったことをほんのすこし、後悔して痛みが遠ざかるのをじっと待つ。平気、もう平気。いつものように自分に言い聞かせる。大丈夫、まだ大丈夫。

 少しウトウトしたかな、と思った瞬間、耳をつんざく破壊音。眠気がたちまち吹きとんだ。イヤホンを両耳から外してかなぐり捨てる。跳ね起きて枕元の時計を見ると7:30 P.M
――少しどころか大分寝込んでいたらしい。
 イヤホンからわずかにチェーン・ソーの唸る音が断続的に吐き出される。アインシュテュルツェンデ・ノイバウンテン、僕は声に出してウォークマンの液晶画面に躍る文字を読んでみた。アインシュテュルツェンデ・ノイバウンテン。意味はわからないが口の中で歯がガチガチぶつかり合うようなかんじがいい、と思う。
 音を止めると、僕は今日のノルマをほとんど果たしていないことに気づいてキッチンへ行った。インスタントで済ませようかと弱気になる自分にムチを打ち、コーヒー・メーカーの準備をしてテレビのリモコンのスイッチを押す。
 淡い青緑色の海が画面いっぱいに拡がった。ああ、さっきの。見覚えのある巨大な牙をもった象が2頭――泳いでいる。
 とっさにテーブルの上、広げたままの新聞に載っていた写真と見比べる。右上端に小さな黒い文字を発見した。「泳ぐ象」。泳ぐ……象?
 沈められていたんじゃなかったのか。底なしの海で。溺れていたんじゃなかったのか。おまえたちは。
 画面の中ではまだ2頭がダイナミックに四肢を揺すってもがきながら気持ちよさそうに泳いでいる。耳をつんざくようなパオオオンという鳴き声は断末魔の悲鳴ではない。いま、ぼくら泳いでるんだよおおお。ひたすら歓びの咆哮だった。ハッ、僕は声をあげて笑い出したい気分になった。なあんだ、と言って笑おうとしたら、かわりにぼろりと涙が出てきた。
 なんでだよ。心臓がトクトク高鳴って、身体中がじわじわ火照っていく。熱くなっていく。

 僕はコーヒー・メーカーのプラグをコンセントから引き抜きリビングの窓を開けると、そのままいきおいよく闇の中へ、放り投げた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

17/07/31 光石七

拝読しました。
主人公の心情・感情がとてもリアルで臨場感があり、圧倒されました。
自分の命・体を大事に思えなかった主人公に、象の写真の真実が変化を与えたのですね。
熱量を感じる、素晴らしい作品でした!

ログイン
アドセンス