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宮下 倖さん

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透明ブレス

17/06/19 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:0件 宮下 倖 閲覧数:207

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「菖子先輩、これ受け取ってください!」
 おじぎをしながら高々と両手をさしだすと、菖子先輩はわたしの勢いに押されたのか「え?」と言いながらもすんなりとそれを手にした。
「受け取りましたね? それもう先輩のですから! 返品不可ですよ!」
 跳ぶように一歩後ろへ下がる。受け取ったものを訝しげに見た先輩の表情がみるみる険しくなった。
 わたしがさしだして先輩が受け取ったもの。それは楽譜だ。
『吹奏楽のための抒情詩“月華”』とタイトルが打たれ、右上に「1st Horn」とある。
「私のってどういうこと? これは遥の譜面でしょ?」
「いえ、1stは先輩が吹いたほうがいいんです」
「何言ってるの。県大会は来週なんだよ!」
 放課後の校舎。空き教室のどこかから、パァーンとトランペットの音出しが始まった。


 全日本吹奏楽コンクール高校の部地区大会。
 今年度の課題曲でわたしは1st Hornに抜擢された。技術的な高さが求められ、今回はソロまである1stに、三年生の菖子先輩をさしおいて二年のわたしが選ばれてしまった。
 最初わたしはひどく戸惑ったのだけれど、菖子先輩はじめ同パートの仲間が励ましてくれたことが力になり夢中で練習に取り組んでこれた。
 その成果もあってか、わたしたちは地区予選を突破し県大会に進むことができた。
 けれど、地区大会でほかの高校の演奏を聴いたわたしは完全に自信をなくしてしまった。
 課題曲の「月華」には「Solo Fake」という表記がついた1st Hornのソロがある。
 Fakeとは、書かれた譜面通りではなく少しくずして吹けという意味で、アドリブ寄りの演奏になる。
 わたしは「月華」というタイトルから青白い静謐な月光をイメージし、音に芯を残してクリアな演奏を選んだ。
 けれど地区大会で「月華」を課題曲にした他校の演奏はやさしくなめらかな音づくりのソロが多かったのだ。
 わたしは途端に自信を失った。自分の解釈は間違っていたのではないか。やわらかな月明かりのイメージのほうが作曲者の意図したものなのではないか。
 もしそうなら、やさしい音質の菖子先輩のホルンの音のほうがこのソロに向いているに違いない。
 どうして先生はわたしを1stにしたのだろう。どうして菖子先輩じゃなかったんだろう。


「私が推したからだよ」
 ホルンケースの取っ手をかたかたさせながらぐずぐずと話すわたしに先輩が事もなげに言った。
「課題曲に月華を選んだときソロは遥の音がいいと思った。パートで話したとき、ソロに対する遥の解釈もいいと感じた。だから推した」
「だって先輩……高校最後のコンクールソロじゃないですか」
 見くびらないでよ、と菖子先輩は鼻の頭にきゅっと皺をよせた。ショートカットの前髪がさらりと目の上にかかる。
 それをうるさそうに手で払い、先輩は1stの楽譜に目をやった。
「パート内ではさ、私が1stで遥が2ndを担当することが多かったでしょ。で、よく隣に座るじゃない? そうすると遥のブレスの音もわかるんだよね。とくに最初の一音をだすための遥のブレスは誰よりも丁寧。月華のソロに入るときのブレスなんか音に対してすごく真摯だと思う。透明な息づかいが、一瞬で音に色をつけるような気がする。遥の演奏は、ブレスからもう音楽なんだよね」
「菖子先輩……ポエマー……」
「うるさいな。楽器弾いてるやつなんて大概ポエマーだしドリーマーだよ」
 照れくさそうに前髪をくしゃっと引っ張った先輩は、まっすぐにわたしに向き直った。 
「他校の演奏で焦ったり自分を見失ったりする気もちはよくわかる。私も経験してるから。でも、音楽で落ちこんだら音楽で立ち直るしかない。私はこの譜面は受け取らないよ。私は遥のソロがいい。このコンクールを高校最後っていうなら、遥のソロを聴きながら最後のコンクールを終えたい。そういう気もちで私は遥を推したんだからね」
 そう言って「はい」とさしだされた楽譜をわたしは素直に受け取った。
 自分の音を、音楽を、こんなに肯定してもらって奮起しない楽器吹きなんかいない。
 音楽で落ちこんだら音楽で立ち直るしかない。
 菖子先輩の言葉を胸の中で反芻し、わたしは「1st Horn」と「Solo Fake」の表記をじっと見つめた。
 これはわたしの楽譜だ。
 パァーンとトランペットの音出しが高くなる。
「さあ、うちらも音出しと基礎練するよ」
「はい!」
 わたしは大きくうなずいて、ホルンケースを開ける。
 金色に光る相棒が、ケースの中から「待ってたよ」と笑ってくれた気がした。


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