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凜灯さん

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海色の演奏

17/06/18 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:0件 凜灯 閲覧数:125

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 「あなたの音楽は、青色ね」
目の前に突然現れた少女はそう呟いた。僕はそれを聞いて目を見開いた。真っ白な鍵盤の上に力なく置いた指先は、すっかり音を奏でるのを止めてしまった。ドクドクと鼓動が加速して、上手く息が出来ない。窓から差し込む夕焼けを浴びて、優美な雰囲気を纏う黒髪ロングの少女は、ずいぶんと大人びた笑みを湛えて僕を見つめていた。
「ずっと聞いていたの?」
「ええ。忘れ物を取りに来たら偶然ピアノの音が聞こえたの。だから試しに来てみたってわけ」
「…そうなんだ。ねぇ、さっきの言葉はどういう意味?」
僕は少女に問いかけた。彼女は僕のピアノの演奏を聞いて”青色”と例えた。それは一体どういう意味なのだろうか。僕は無性に気になったのだ。誰にも注目されないし興味を持たなかった僕の演奏に関心を示したのは、彼女が初めてだったから。
「言葉の通りよ。あなたの演奏は青色って意味」
「あの…よく意味が分からないよ」
「えっと…なんと言ったらいいのかしら…。私、音に色がついて見えるの」
「音に色が…?」
「ええ。今まで色々な音をこの目で見てきたわ。でもどれも欲や嫉妬に塗れたどす黒い色ばかり。もう目が疲れちゃったわ。でも、あなたは違う。あなたの色は素直に綺麗だと思ったの」
「……」
少女は顎に手を当てながら真剣な表情でそう答えた。僕は返す言葉を失った。彼女の言葉が、あまりに真っ直ぐで僕を満たすには十分だったからだ。そんなこと、今まで言われたこともなかった。目の奥が熱くなって唇が震える。胸の奥から湧き上がってくる何かが、僕を支配しようとした。
 僕は昔からピアノを弾くのが好きだった。時間さえあればピアノばかり弾いていたし、練習だって必死にした。だけど、現実は厳しくて、僕の実力は誰にも認めてもらえなかった。周りには僕よりも才能のある人がたくさん居て、いつしか僕は音楽の楽しさを忘れてしまった。褒められもせず、批判もされないのが一番悔しかった。誰でもいいから、僕の演奏を、音楽を聴いてほしかった。
「…あなたの演奏は優しくて、そして正直で好きよ。そうね…例えるなら海だわ。寄せては返す、静かで温かな海。それは青く澄んでいて、聞いている人をそっと包み込むようなもの。だから、私は好き」
少女はその大きな瞳をやんわりと細めてそう言った。僕は込み上げてくるものを堪えながら、少女をじっと見つめた。
「…ありがとう。僕はずっとその言葉が欲しかったんだ。今やっと、ピアノを弾くことの楽しさを思い出せたよ」
「そう。なら良かったわ。ねぇ、お願いがあるのだけれど」
「なにかな?」
「もう一度聞かせてくれない?あなたの演奏がまた聞きたい」
「うん、喜んで」
少女はこれ以上ないほど綺麗に微笑んでお願いした。頬が微かに熱を帯びるのを感じながら、僕は平静を装って返す。そのお願いは素直に嬉しかった。
僕は鍵盤の上に手を置いた。一度深呼吸をすれば、指は撫でるように鍵盤の上を滑っていく。心地よい音が響いては、夕暮れの風に乗って溶けていった。チラリと少女を見れば、目を閉じて僕の演奏に耳を傾けていた。夢中で聞いてくれているであろうその様子を見て、僕は嬉しくなって小さく笑った。今度は、何色に見えているのかな。
 …あぁ、やっぱりピアノを弾くのは楽しい。僕の想いを、音楽を素直に伝えられるから。この感覚を思い出せて良かった。ありがとう、キミのおかげだね。もう少し早く出会えていたら、僕はもっと早くこの感情を思い出すことができたのになぁ。
 窓から差し込む風が、置いてあった楽譜を攫って行った。脳内に刷り込まれた音は僕の指を通して奏でられていく。こんなに幸せな感覚は久しぶりで、僕はしばらく夢中で弾き続けた。たった一人の観客に捧ぐメロディ。観客は、キミ以外にはいらない。
 せめてあともう一曲だけ、キミに聞かせたかったな。



「……」
パチパチと乾いた拍手の音が音楽室にこだまする。床にぶちまけられた楽譜をぼうっと見つめながら私は拍手をし続ける。優しい海の色は、未だ視界に残り続けていた。
「…もう少し早く出会えていたら、あなたの演奏がもっと聞けたのかしら」
私は一人そう小さく呟いた。とは言っても彼の演奏は、もうずいぶん前から聞いていた。密かにファンだったのだ。放課後に音楽室を訪れては、夢中でピアノを弾く彼をこっそり見つめていた。彼の演奏は青色。素直できれいな青色。でもどこかに悲しみを混じえた音色。私はその不安定な色に惹かれたのだ。同時に、ピアノを愛おしげに見つめる彼にも。
「…あなたの演奏は、青色。私の好きな青色よ」
視界に残る青色が滲んで揺れた。胸がひどく苦しいのは、彼の演奏に心を揺さぶられたからに違いない。

ピアノの方を見ても、そこにはもう誰も居なかった。


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