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山野薫さん

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この曲は永遠に輝き続ける

17/06/18 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:2件 山野薫 閲覧数:271

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 重い瞼を持ち上げると真っ白な天井が視界に入る。辺りはカーテンから差し込む淡い光で満ちていて、頭を傾ければ中身のない花瓶が棚に置かれている。
 周囲の様子から、ここが病院なんだろうということだけはわかった。頭の中が空洞になったみたいだ。思い出せることがあまりない。自分が誰なのかさえわからなかった。
 天井をぼっと眺めているとどこからかピアノの旋律が聞こえてくる。
 不揃いの音の連鎖が病室の中でぎこちなく響き、やがて消えていく。
 誰が演奏しているのだろう。上手くはないけど、不思議と惹かれるものがある。弾いているのは何の曲だろうか。知らない曲だ。
 すると唐突に演奏が止まる。しばらく待ってみたけど、それっきりピアノの音は聞こえなかった。

 看護師さんが持ってきた朝食を食べ終え、それからしばらく眠った後、一人の女性が病室にやってきた。知らない人だった。
「今日もいい天気ね」
「ええ」
 適当な返事が思いつかなかったから、機械的に言葉を返した。
 彼女は少しうつむいた後、わずかに口角を上げた。彼女の視線の先には病室の白い壁があった。
 僕が自分のことを紹介すると(話すことはほとんどなかった)彼女は口元を堅く結び、黙って僕の話を聞いていた。
「それであなたは」
 僕は今し方浮かんだ疑問を口にした。
 彼女は眉尻を下げて、弱々しい笑みを浮かべる。
「私はボランティアよ」
 一瞬の間はあったけど、「おはよう」と誰かに言われて、反射的に「おはよう」と返すみたいな要領で彼女は言った。
「ボランティア……ですか」
「そう。実際に慈善事業をしているわけじゃないけど、ボランティア的存在……かな」
「すみません。僕は記憶があいまいで理解できないところもあるのですが、ボランティア的存在とはなんですか?」
 彼女はほとんど考える素振りもなく、前から用意されていた文面を読み上げるみたいに淡々と話した。
「当事者でない私が終わってしまった災害の後片づけをしているの。報われない作業」
 何かを例えているらしかったけど、それが何かはわからなかった。
 すると彼女は唐突に会話の流れを切り替えた。
「私の大好きな人はね」
 彼女はなぜか僕の目をじっと見つめる。
「ピアノが大好きで、私が祖母の付き添いで病院に行くと、いつもロビーからその人の演奏が聞こえてきた。でも彼は途中で演奏をやめてしまうの。私はある日勇気を振り絞って彼に聞いてみた。彼は悲しそうに笑ってこう言ったわ。『それは未完成の曲を弾いているからだよ。作曲者さえ覚えていてやれない曲を完成させたら、曲がかわいそうで』」
 彼女が何者で、どうして僕の病室まで来てこんな話をしているのか。腑に落ちない点はあったけど、僕は彼女の話に聞き入っていた。内容はあまり理解できなかったけど。
「よくわかりません」
 僕は正直な気持ちを伝えた。
 彼女は反射的に頷く。
「彼は脳に障害を抱えていてね。そんな人間が生みの親になったりしたら、作った曲に申し訳ないって言っていたわ。曲名だってなかった」
 そこで話が途切れた。僕には元々話すことはなく、彼女はこれ以上話すつもりがないのか、口を閉じてしまったからだ。僕に元々話すことがなかったのは事実だけど、今は話せることや話したいことがあるはずだ。そう思うと、自然と唇は言葉を紡いでいた。
「その方は今」
「え?」
「いえ。不謹慎かもしれませんが、僕と彼はどこか似ている気がしたので」
 彼女は戸惑うように目を見開く。まるで予定外の事態でも起こったかのように。
 彼女は若干声を震わせながら質問に答える。
「彼は療養中よ。日に日に彼の記憶が蒸発していく気がするの」
 彼女の揺れる瞳には僕が映っていた。
 手を震わせながらも僕から目を離さない彼女に言った。
「あなたは彼の看病を?」
「ええ。仕事の合間を縫って。それからピアノを練習したり……」
「ピアノの練習?」
「え、ええ。少しだけど、弾ける曲もあるわ」
 彼女の額には汗が滲んでいた。
「聴いてみたいです。あなたのピアノ」
 僕は今し方思いついたことを口にした。彼女は心底信じられないといった顔をしている。特段深い考えはなく、どういうわけか僕にはそれを聴く義務があると感じた。
 それから短い会話を交わすと、彼女は慌てて病室を出ていった。


 美しいピアノの旋律に促され、重い瞼を持ち上げる。
 目をこするとぼやけた視界が晴れていく。周囲の様子からここが病室だとわかった。
「あっ、起きたの」
 不意の声に顔だけ向けると、窓際に電子ピアノを弾く女性がいた。知らない人だった。
「いい曲ですね。曲名は?」
 かすれた低い声で尋ねると彼女はこちらに向かって照れたように微笑む。
「完成したばかりなの。よかったら一緒に考えてくれない?」
 


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このストーリーに関するコメント

17/07/29 光石七

拝読しました。
読み進める中で明らかになる主人公の状況と彼女との関係。
切なさを覚えましたが、彼女の前向きな決意を感じる台詞で希望的に締めくくられ、温かい気持ちになりました。タイトル通り、この曲は永遠に輝き続けるでしょう。
素敵なお話をありがとうございます!

17/07/30 山野薫

光石七さま
素敵なコメントありがとうございます。
あたたかいお言葉が心に染み渡りました。

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