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吉岡 幸一さん

性別 男性
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マーラーと工事現場の警備員

17/06/18 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:164

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 静けさを求めて郊外のマンションに引っ越して来たばかりだというのに、彼は昨日から騒音に悩まされていた。
 フリーのDTPデザイナーを自宅でしていた彼は日中だけでなく一日の大半をこのマンションで過ごしていた。
 向いのマンションが取り壊されるなんて不動産屋からは聞いていなかった。
「近くに学校もスーパーも駅もない代わりに静かな環境ですよ」
そんな言葉を真に受けたのが悪いのか。確かに解体工事さえなければ静かな環境に違いない。嘘をついたというのは言い過ぎかもしれないが、朝からうるさく、地震のように揺れるのはたまらなかった。
 窓を閉め、カーテンを閉めても効果はなかった。本当ならマーラーの交響曲第七番を聴きながら優雅に仕事をするつもりでいたのだが……。
文句を言ったところで工事が止むわけでもなかったが、せめて嫌味だけでも言ってやろう、と彼は思って外にでた。
 防音シートで囲まれている中に入るわけにもいかず、仕方なく道で交通誘導をしている警備員に声をかけた。重そうなヘルメットをかぶり反射チョッキを着て、手旗を持っていた警備員は汗をびっしょりかいていた。顔を覗くと化粧をした女だった。彼と同じ二十代後半くらいに見えた。
「なんとかなりませんか。迷惑なんですよね」
「申し訳ありません。細心の注意を払って工事をしておりますので」
「頼みますよ」
 怒っては見せたものの、警備員に文句を言っても仕方がないことくらいわかっていた。
 言い過ぎたと反省しながら部屋に戻ってきたが、そんな気持ちを逆なでるように騒音は無神経に部屋に入ってくる。
 騒音に対抗するために彼は大音量でマーラーの交響曲第七番をかけた。スピーカーからは重厚なオーケストラの音が流れた。
 工事が終わる午後五時までの間、工事の音とマーラーの交響曲は戦い続けた。
 彼の耳はぐったりとして仕事はまったくはかどらなかった。夜になれば静かになるだろうから仕事が出来ると思っていると、午後二十時を過ぎた頃からまた工事の音がし始めた。窓を開けてみると、今度は道路工事が始まっていた。人通りも車の通りもない場所なんだから昼間に道路工事をすればいいものを、と憤っていると昼間と同じ警備員が立っていることに気がついた。
 彼は昼間の償いに、今度は労いの言葉をかけてあげようと思い外にでた。
「大変ですね。夜もお仕事されているんですね」
 冷たい缶コーヒーを渡すと警備員は頭をさげて受け取った。仕事中なので飲むわけにはいかないのだろう。ポケットにしまった。
「私もマーラーが好きなんです。よかったらこれからも聴かせてください」
 ふいに女性らしい笑顔をみせた警備員に彼の心はゆれた。ロードコーンの向こう側で道路を割っている音は響いていたが、このときは不快ではなかった。
 部屋に戻ると彼は再びマーラーの交響曲を繰り返し流した。窓を開け、スピーカーを窓辺まで移動して外にいる警備員に聴かせた。工事の騒音に混ざり響くマーラーの音色は夜の底で騒いでいるようだった。
 午前一時には道路工事も終わったようでドリルの音も聞こえなくなった。スピーカーの音量をゼロにして窓の外に顔をだすと、警備員はまだ立っていた。
「帰らないんですか。工事終わったんですよね」
 上から声をかけると警備員は首を横に振った。
「私ここから動けないんです。足がほらっ」
 ほらっ、と言われても彼の部屋からは暗くてよく見えなかった。階段を駆け下りて警備員の前まで行ってみると、両足が電信柱のように地面に埋まっていた。
「どうしてこんなことに」
「大丈夫ですよ。よくあることですから。そのうち掘り出してもらいますので」
「そのうちって……」彼は戸惑った。
「どうか、マーラーの曲をもっと聴かせてください。七番は第四楽章が一番好きなんです」
「足を掘り出しましょうか。それとも警察を呼びましょうか。工事の会社でも」
「いえ、本当に心配はいりませんから、それよりもマーラーの音楽をもっと」
 納得できないながらも部屋に戻ると、すぐにスピーカーの音量をあげて外の警備員に聴こえるようにした。そしてリピート設定にしたまま彼は朝まで眠った。
 工事の始まる音で彼は目覚めた。マンションは揺れ始める。窓の外からは眩しい朝の光りが注ぎこんでいる。
 起き上がって窓から外をみると警備員はまだ立っていた。心配になって下におりてみると、そこに立っていたのは足が半分折れた警備員の人形だった。
 防音シートから出てきた作業員に聞くと「買い替えるのにも金がなあ」と、吐き捨てるように言ってトラックに工具を取りにいった。
 彼は部屋に戻るとすぐに携帯音楽プレーヤーにマーラーの交響曲第七番を入れて警備員人形の元に向った。イヤホンを耳にあて、プレーヤーを首からぶら下げた。スイッチを押すとイヤホンから音楽が流れ始めた。


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