1. トップページ
  2. リ・ボーン

奈尚さん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

リ・ボーン

17/06/17 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 奈尚 閲覧数:316

この作品を評価する

 ごぼごぼと耳の横であぶくがはじけた。
 頭のてっぺんからつま先まで、一つの大きな液体に包まれる。
 涙よりも、血よりも濃い生命の水。思わず大きく口を開け、身体の隅々までその液体で満たしてしまいたくなる。
 太陽と海底。納戸色の美しいグラデーション。陽の破片が海面に満ち、水中を優しく照らしている。
 その中にゆらりと広がる白いワンピース。長い亜麻色の毛髪が、白い布の上でまるで生き物のようにうごめく。
 ――夏輝。
 そっと名を呼ぶと、射干玉の瞳がこちらを見上げた。丁寧に紅をひいた唇がかすかに動く。
 頷いて、彼女の喉にかけていた手を離す。二人をつないでいたリボンがぷつりと切れた。
 浮力に従って昇り始める身体。反対に、夏輝はどんどん底へと落ちていく。
 透き通った闇の奥に彼女が消えるのを見届けたところで、背中が海面を突き破った。

「ぷはっ」
 波の上に顔を出し、荒々しく呼吸を繰り返す。縮こまっていた肺に酸素が送られていく。
 塩味の強い水が鼻や口に入って思わずむせた。
 泣きながら生まれてくる赤ん坊も、実はこんな風に羊水にむせているんじゃないか。そんなことをちらりと思う。
 そうだ。この塩水は羊水だ。自分は、生まれ変わるための羊水がほしかったんだ。


 自分と夏輝は、いつでもどこでも一緒だった。二人で一人の人間。二人の腕にはリボンが結ばれていて、自分達はそれでつながっていた。
「ねえ、そんなださいシャツ脱ぎなさいよ」
 自分と違って、夏輝はとても【聞き分けのいい】子だった。
「ほら、小さくなった私のワンピース、あげるから。かわいいでしょう」
 まだ幼かった頃。そう言って姉がさしだしたのは、ふりふりのレースがついた白のワンピースだった。
 けれど自分は、ワンピースなんかよりシャツとズボンが着たかった。
 代わりに夏輝が答えた。
「うん。着る! ワンピース大好き!」
「あと髪も。伸ばした方がかわいいよ。整え方、教えてあげようか」
 母にも言われたことがある。お姉ちゃんを真似してみたら。顔は似ているんだし、きっと似合うわよと。
 でも自分は、ショートカットの方が好きだった。
 夏輝は言った。
「うん。伸ばす! お姉ちゃんみたいになりたい!」

 夏輝とはこのまま、一生一緒にいるのだろうと思っていた。物心ついた時から隣にいたし、自分で答えるより彼女に応えてもらった方が楽だったからだ。
 ……けれど、楽というのはその実、とても退屈だった。

 先日、十八歳の誕生日を迎えた。
 横浜で働く姉から、お祝いしたいから遊びに来いとメールがきた。ありがたくお言葉に甘える。
 久しぶりに会った姉は、相変わらず美人だった。
 二人で街を歩き、近況報告で盛りあがる。姉の案内してくれる店はどれもかわいらしくて、洗練されていて、そして退屈だった。
 そんな時だった。一枚の看板が目にとまったのは。
「ちょっと、あっちを見てくるね」
 断って姉から離れる。見つけたのは、美容院の看板だった。
『カットモデル募集。この機会にイメチェンしませんか』
 夏輝と目が合った。腰を過ぎた亜麻色の髪。姉にそっくりだ。申し訳ないが、姉ほど似合っていない。
 だめよ。
 夏輝の唇がそう動いた気がした。けれど、
 ちょっと、整えるだけだから。
 そう言い訳して、気がつくと美容院のドアに手をかけていた。
「カット、カットお願いします」

「できましたよ」
 声をかけられ、ぎゅっとつむっていた目を開く。
 短くなった髪を目にした途端、何かが切れる音がした。
「すてき、です」
 そうだ。きっとあれは、夏輝のリボンが裂けた音だったのだろう。
「とても、すてき、です」
 たまらなくなって、彼女を引きずるようにして美容院を飛び出した。
 気になっていた店に駆け寄る。姉なら目もくれないだろうスポーティなブティック。そう思って、さっきは素通りしたのだが。
 そして両手がすっかり紙袋でふさがったところで、姉に電話をかけた。
「ちょっと、海を見てくる」


 あえぎながら浜辺へと這いあがる。重い身体をなんとか持ち上げて、柔らかい砂の上を歩き始めた。
 腕に結んだリボンが、へその緒のようにずるずると垂れながら後を追ってくる。戒めを解くと、あっけなく外れて地面にうずくまった。
 消波ブロックの間に隠しておいた鞄を手にとる。見計らったように携帯電話が震えた。
『気がすんだ?』
 姉だった。
「うん」
 亜麻色の前髪をそっとつまむ。
「さっぱりした」
『そう。じゃあ、晩ご飯食べに行きましょう』
 幼い頃から変わらない口調で、姉は呼んだ。

『夏輝』

 はいと答えて通話を切った。シャツをしぼって雫を切り、ズボンのポケットに携帯電話をねじ込んで歩き出す。
 振り返ると、蒼い波に白いワンピースが浮かんでいた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン