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かめかめさん

http://ameblo.jp/kamekame1976/ ブログデシセイカツバクロチウ

性別 女性
将来の夢 印税生活
座右の銘 ハワイに行きたいと思ったら、一歩踏み出さないといけない。 ハワイは向こうから近づいてこない。

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ああなたが遺した北極星

17/06/16 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:0件 かめかめ 閲覧数:200

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「久保、よく顔が出せたな」
 こっそり去ろうと足早に向かった葬儀場の出口で林の声が背中に刺さった。見なくてもわかる。林はあの頃と変わらず僕を見下しきった目をしている。僕は見えない鎖に縛られて動けなくなった。
「フルートの才能なんかこれっぽっちもないお前を見捨てなかった先生を裏切ったくせに」
 葬儀の間に奏された林のフルートは圧倒的な力で荘厳な空気を会場いっぱいに響かせた。先生の奥さんはこらえていた涙をぼろぼろとこぼした。僕のフルートにそんな力はない。教室にいた頃から気付いてた。そんなこと自分が一番よく知ってた。ずっと思い知らされていたんだ。
 けれど先生は才能あふれる生徒たちと同じように僕にもレッスンをつけてくれた。周囲の人間が口をそろえて言うようにピアノの世界へ帰れとは言わなかった。初心者のくせにプロを目指す者と一緒にレッスンを受けるなんてどうかしてるなんて言わなかった。
 なのに僕は結局、ピアノの道を選んでしまった。プロを目指せないなら音楽なんかやめてしまえと言う父を説得できなかった。いや、説得しようとさえしなかった。
「どうせピアノだって中途半端なんだろ。売れてるのは指揮者の父親の七光りだろ」
 何もかもお見通しだ。林の言うことはどれも当たってる。僕の中身は空っぽで反論なんかできなかった。
「優斗くん?」
 びくりと震えた。この声。
「やっぱり優斗くん、久しぶりねえ」
 教室をやめたときと比べると声は格段に老いていた。先生の長い闘病生活を支え続けた奥さんの苦労がその声に滲みでているのだ。
「ずいぶん背が伸びたのね。手も大きくなって」
 フルートを吹くには小さ過ぎた手、先生がいつも心配してくれていた。
「優斗くんが教室に寄付してくれたフルート、今でも大切に使っているのよ。あなたのフルートで学んだ子が何人も音楽大学に通ってて、今日も来てるの。ぜひ、顔を見てやって」
「僕は……」
 僕はやっぱり振り返れない。優しい奥さんに薄汚い世渡りだけに長けてしまった僕の顔を見て欲しくはなかった。
「ここに来たのは間違いでした。もう帰ります」
 駆け出そうとした僕の前に小柄な女性が飛び出した。
「あの! あなたが優斗さんなんですよね」
 二十歳前後だろうか、意志の強そうな目をしている。
「私ずっと会いたかったんです。これ」
 彼女はしっかりと抱きしめていたケースを開けた。そこに入っていたのは僕のフルートだった。僕が見捨てた僕の夢だった。
「このフルート、色んな子が使ったのに全然クセがつかない、不思議だって先生が言ってたんです」
 それはまだ僕のフルートに期待していた頃に父が金にあかせて買った高級品だからだろう。けれど女の子は言った。
「最初に使った子がまっすぐに愛情をかけて吹いたから、このフルートはその子のことを覚えてるんだって。その子を待ってるんだって先生が言ってました」
 ケースの中でフルートがきらりと光った。まるで『そうだ』と言ったかのように。
「優斗くん、主人のために吹いてくれない? あなたが来てくれたこと、主人に教えてあげてちょうだい」
 フルートは昔と変わらず磨きこまれていた。僕が手放した後も大事にされてきたんだ。色んな子がこのフルートで先生に音楽を教わって今日この場所で先生を見送った。このフルートは僕の代わりにずっと教室で僕の夢を子どもたちに伝えてくれたんだ。
 僕は女の子からフルートを受け取り唇をつけた。口輪筋はフルートを吹かなくなってすっかり硬くなっていた。それでも出来る限り軟らかくなるように口笛を吹く。先生が教えてくれた準備運動。それからゆっくりとフルートに息を吹き込む。
 フルートは生きていた。僕の想いを優しく歌った。僕は懐かしい曲を吹く。宮沢賢治の『星めぐりの歌』を。先生が大好きだった、僕が一番はじめに吹けるようになった曲を。
 僕にできる精いっぱいで、ほんとうのさいわいを思って先生のために奏でた。
 星はたった一つの北極星を目当てにめぐりゆく。僕は、僕たちは、先生という北極星の周りをめぐっていたんだ。そのめぐりは先生と共に消えてしまって……。
 吹き終わって目を上げると、たくさんの人が僕を取り囲んでいた。みんな穏やかな顔をしていた。それはまるで先生を亡くした悲しみを胸の底から全部、昇華してしまったかのようで。
「優斗くん、あなたは音楽と生きているのね」
 僕が顔を向けると奥さんは笑顔だった。
「来て、優斗くん」
 招かれるままに僕は先生の棺の側に立った。白百合に包まれた先生は微笑んでいた。
「この人、優斗くんの音楽を聴いて笑ったのよ」
 このとき僕は先生から最後のレッスンを受けたんだ。僕の星は音楽という北極星の周りをいつまでもめぐるのだと。
 僕は先生に最後のさようならを言うために、もう一度フルートに唇をのせた。


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