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風白高部さん

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若奥さんのプライベートビーチ

17/06/13 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 風白高部 閲覧数:216

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 私の心の中には海がある。
 それも日本海側の黒々とした、ちょっとばっちぃ海じゃない。コバルトブルーに透き通っていて、オシャレでロマンティックな海。うん、これ大事。
 もちろん浜辺にはゴミ一つなく、白い砂の絨毯がどこまでも続いている。私はそんな南国ビーチにパラソル立ててサングラスかけて、ちょっと大胆な赤のビキニでビーチチェアでくつろぐ。そのお供はもちろん、トロピカルジュース。
 まあ、現実には夕食の準備の最中で、お供も野菜ジュースだけどね。
 愛しの旦那の帰りを心待ちにしながら、唐揚げを揚げているところ。結婚生活三年目、順風満帆で倦怠期なんてどこ吹く風。唐揚げは旦那の好物だ。これ一つで幼い子供のように喜んでくれる様は、妙な達成感がある。それでいて調理はさほど難しくなく安価なのだから、なんとも主婦に優しいメニューぢゃないか。
 でも今夜は奮発して、やっすい胸肉じゃなくちょっとお高いもも肉。衣をまとったお肉が油の海で、じゅわわわ泳ぐ様は、見ているだけでなんだか口福を感じる。
 あ、熱っ! ううん、ガスコンロのせいじゃない、跳ねた油のせいでもない。これは砂浜の照り返しのせい。アロハー、オエー?
 お、ラインが来たぞ。どれどれ? お、なんと……旦那からでした!
 なんぞなんぞと、開いてみると。

『……ごめん、まだ仕事が終わらなくて今日はちょっと遅くなる。先に食べてて。ほんとごめん』

「……えっ?」
 急転直下、青天霹靂、お先真っ暗五里霧中。ごめんサンドの報告に、南国の砂浜に一転暗雲が立ちこめた。
 青い砂浜が、一瞬で冬の海に。
 しんしんと降りしきる雪と、けたたましく鳴り響く船の汽笛。場所はきっと、津軽海峡あたり。かもめは凍えるどころか、その辺で氷の彫像と化している。そしてビキニ姿だった私は雪だるまになって、とってつけたような小石の目で呆然と冬の海を見つめる。さっきまで、夏の海だったのに。
 かじかんだように震える手で、私は旦那に返信した。

『あー、うん。仕方ない仕方ない! でもなるべく早く帰ってきてね!』

 努めて明るい文面を心がけたものの、絵文字を使う余裕なし。ざぱぁんっ、と心の中では激しい波しぶきがあがる。そのままふらふらと居間のソファに向かい、ぼすり、と寝そべる。しばらくゾンビのようにうーうー唸ってから、揚げ物の最中だったことを思い出した。台所に火を消しに戻ってから、もう一度ソファでゾンビの真似。旦那が帰ってきたら、襲いかかって噛みつく練習だ。手を前に突き出した状態でふらふらと近づいたら、抱きつくフリをして首筋に噛みつく。よし、この作戦で行こう。
 冬の海が今度はゾンビの海に変貌。
 大勢のゾンビに紛れて、うろうろとあーうーさまよう私である。里芋を煮っ転がした……じゃない、芋を洗うようにゾンビの海を泳ぐ。ちなみにその全員が、私の顔をしたゾンビ。みんな口々に旦那ー旦那ーとつぶやいていた。


 どれぐらいの時間が経ったのか。
 どうやら私は眠りかけていたらしい。
 いつの間にかゾンビの海は、夜の海になっていた。 ざあ、ざざん。夜空に月、薄暗くて、静かで、寄せては返す波の音が聞こえる
。その浜辺で私は一人座り込む。ざぷんとひびく潮騒が、いっそう孤独感をあおる。まるでそのまま私自身も、海に飲み込まれてしまいそうな、そんな感じもする。
 旦那、早く帰ってきて。でないと私、このまま溺れて死んじゃうよ。
 砂浜に文字を書いてみたものの、暗くて見えない。いつ終わるともわからない寂寥感に包まれて、徐々に潮が満ちてきた。足先からひたひたと、冷たい水に浸り始める。それはやがて高さを増し、腰へと到達し、胸元を追い越し、ついには肩にまで届く。それが口に達するには、それほど時間はかからなかった。息苦しさに涙がこぼれそうになった時、チャイムが鳴った。
「おーい、帰ったぞー」
 旦那の声で玄関にダッシュ、鍵を開ける。ドアが開いて、顔が見えた瞬間、私は旦那の胸に飛び
込んでいた。旦那は戸惑っていたものの知るものか。専業主婦の孤独を今こそ思い知らせるべしと、ぎゅばばっとハグする。
「ちょっ、苦し……」
「もう、遅いよ! 奥さんはなぁ、奥さんは寂しいと……」
「死んじゃう?」
「実家に帰ったり別の男を見つけたりする」
「……それは、やめてくれ」
 ぎゅっちょ、と旦那は私を抱きしめる。
 途端、夜の海に朝日が昇る。高く高く、日が昇る。イルカがきょわわわわと鳴いて跳ね、爽やかな風が吹き抜けて、すっと気持ちが軽くなった。
 愛に満ちた、気持ちの良い海だった。

 でもとりあえず、嚙んだ。
「――いったぁっ?!」


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