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八王子さん

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彼女はきっと

17/06/11 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:0件 八王子 閲覧数:142

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「この先の丘の上には人魚がいる」
 保育園から一緒の大輔が小学校からの帰り道、正面に見える広場を指さして言う。
「あそこはただの広場だよ」
 小さい子供を連れた親子がレジャーシートを広げてピクニックをするには程よい場所だが、小学生ぐらいになるとボールを蹴って遊べるような平らな場所ではなく、小高い丘のようになっているため足が遠ざかる。
「母ちゃんが言ってたから間違いない」
 プールバックを、ボフッボフッ、と音をさせて蹴っ飛ばして歩く大輔が鼻の穴を広げて得意げに言う。
「大輔のお母さん、プールバック蹴るなって昨日怒ってたじゃん」
「俺、プールよりサッカーの方が好きだし。でもクラブ遠いからやらせてくれないんだよサッカー。俺サッカー好きなのに」
 夏はプールバックを蹴り、それ以外の季節は体操着の袋を蹴っては、母親に怒られているのを誰もが知っている。
「あそこの公園はサッカーできないからクソだし、クソだから人魚出るんだよ」
 幼馴染であり親友として大輔の言っていることが時々わからなくなる。
「そういえば明日歌のテストじゃん。歌のテストとかクソじゃん。どうせなら全部プールでいいのに」
「こら大輔!」
 どこからか、と探さなくてもすぐ近くの大輔の住むアパートのベランダから、大輔の母親の怒鳴り声がセミの鳴き声にも負けないぐらい大きく聞こえる。
「プールバック蹴るなって言ってんでしょうが!」
 いつも家の近くに来ると見つかって怒られるのに大輔は懲りず、毎日のようになにかしら怒鳴られているので、近所の風物詩となっている。

 夏の日差しが強く、セミが元気に叫ぶように鳴く夏の昼過ぎ。
 丘の上の一本の木ぐらいしか日陰のない広場には誰も近づかない。
 広場の手前を右に折れて自宅が見えた時、セミの鳴き声の中に、音色を刻んだ声音が聞こえた。
「まさか人魚?」
 この近くには海はもちろん、川のひとつもない。
 僕はその歌声に引き寄せられるように、何年振りか広場に踏み込み、靴下の上から刺さる雑草のチクチクに行く手を遮られながら、どんどん声のする方に導かれていく。
「あ」
 背中に背負ったランドセルの重さと、日差しと傾斜に体力を奪われながら登り切った先に、制服姿の女の人がいた。
「聞かれちゃった」
 彼女は僕が登り切るまで静かに歌い続けていた。
 すぐ隣の木で鳴くセミの声にも負けないような声で。
「お姉さん、なにしてるの?」
「歌の練習をしていたの」
「テストでもあるの?」
「テスト……そうね。そういうものかしらね」
「そうなんだ」
「君はどうしたの? プールに入ったばかり?」
 女の人は僕の前髪を摘まんでぐりぐりと絞ってから、その指を自分の鼻に近づけた。
「消毒の匂いがする」
 へへ、と大輔が悪戯した時みたいに笑った。
「僕も明日、歌のテストがあるんだ」
「へえ、それは偶然ね」
「でも、みんなの前で一人ずつ歌わなきゃいけないから恥ずかしいんだ。お姉さんみたいに上手く歌えないし」
 国語や算数のテストと違って100点がわからないし、みんなに見られるのはやっぱり照れてしまう。なにより大輔が変な顔をして笑わせてくる。
「なんで恥ずかしいの?」
「下手だからだよ」
「誰かに下手って言われた?」
「そういうことはないけど」
 合唱コンクールのようなみんなで歌うのはまだいいのだけれど、一人で歌うのは恥ずかしい。人前で歌うことには変わりないのに、一人と集団では、まったく違うのだ。
「ならいいじゃない。むしろ、下手って言われたって音痴って言われたって、歌は自分の好きなように歌う。算数や漢字のテストみたいに正解はない」
「うん……」
「音楽は音を楽しむって書くのよ。楽しんだ人が勝ち」
「そっか」
「小学生は単純だね」
 つん、とその人は僕のおでこを細くて長い人差し指で突く。
「お姉さんも音楽が好きなんでしょ? ここで歌を歌ってるの、ちょっとだけど有名になってるし、さっきの歌も上手かった」
 彼女は目を丸くして僕を見下ろしていたが、すぐに大輔とは違う風に鼻から息を抜いた。
「お世辞をありがとう。でも、君の方が歌は上手くなるわよ」
「なんで? 僕の歌ってるの聞いたことないじゃん」
「私は音楽を楽しめないから、上手くはなれない」
 そう言って彼女は丘の向こう側へと歩き出す。
「私は歌が好きだけど、好きでもないピアノの才能があるみたいなのね」
 彼女が上げた右手の指にはテーピングのようなものがされていた。

 それから人魚の歌声が聞こえることはなくなったが、この数年後、僕は彼女をテレビで見かけることになる。
 なんでも海外のピアノコンクールで優勝をしたとか。
 でも、インタビューを受ける彼女は笑っていなかった。
 きっと人魚の歌声は別の才能のせいで奪われてしまったのだ。

(了)


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