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麗蘭さん

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ヤマアラシのジレンマ

17/06/10 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 麗蘭 閲覧数:232

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「オレは『ヤマアラシ』だから。それも…ジレンマから抜け出せない…ね」
そう言った彼の真意を、あの頃の私は何も知らなかった。







授業中に懐かしい言葉が聞こえて、私は閉じかけていたまぶたを開いた。
確か、そう、その台詞は彼が。
山中嵐が言っていた言葉だった。
私は先生の話に耳を傾ける。
「ヤマアラシのジレンマとは、ショーペンハウアーの寓話を元に、心理学者のフロイトが考えた話です。
寒い中、二匹のヤマアラシが互いを暖めるために寄り添おうとします。しかし、ヤマアラシは鋭い体の針を持っており相手を傷つけてしまうため、近づけない、というジレンマが発生します。
しかし、ヤマアラシたちは近付いたり離れたりを繰り返しながら丁度いい距離を探し、最終的には寒くもなく、相手を傷つけてしまうこともない場所に落ち着いた、というお話です。
これはしばしば私たちの人間関係に例えられます。時には傷付けそうになったり、または傷付けられそうになったりするかもしれませんが、
試行錯誤を繰り返して自分と相手の関係が良好でいられる距離間を保つ、ということですね」
私はわずかな間呼吸を忘れた。
私は目をニ、三度瞬いて、ゆっくりと息を吐く。
ああ、そうか。
やはり彼は人と関わりくないわけではなかったのだ。
胸の軋みを感じながら、私はかたく目をつむる。
耳の奥で、あの日の波の音が響いた。





私は恐らく彼のことが好きだったのだ。
彼と一度も会話をしたことがなかった時から、視線は彼に向いていた。
あまり人と関わらない、でも作り笑いだけはとても上手な彼。
その性格が幸いしたのか、山中嵐という名前からあだ名として『ヤマアラシ』と呼ばれて親しまれていた。
だが、彼はあだ名で呼ばれても少し困ったように笑うだけだった。
なぜだろう、彼は何を思っているのだろう。
気が付けばそのことばかり考えていた、そんなある日の夕方のことだった。
私は海に来ていた。
押しては引いていく波を見ながら笑っていた。
海は好きだった。
私が人であることを忘れさせてくれるから。
私はふと視線をずらすと、遠くに人影が見えた。
誰だろう、気になった私はおもむろに歩みを進めていく。
すると、見えてきた人物に私は目を見開いた。
(山中くん…?)
そこに立っていたのは紛れもなく山中嵐だった。
そして、彼の頬に一本の筋が入る。
それは、きらきらと光を反射していた。
私は声をかけるべきではなかったのかもしれない。
しかし、その姿に身も心も惹かれてしまったのだ。
「ねえ、山中くんでしょ。何してるの?」
不躾な言い方だと思った。
けれど他にいい言葉がでてこなかった。
彼は瞳に私を映して、ああと声を上げた。
「岸田か」
「…知ってるの?私のこと」
「知ってるも何も…同じクラスだろ」
何を当たり前のことを、と言いたげに彼は眉をひそめる。
もしかしたら、山中くんは人と関わりたくない訳ではないのかもしれない。
私の中で彼のイメージが少しずつ塗り変わっていく。
「それもそうだね」
波の音が耳に響く。
「海、好きなの?」
「嫌い」
「どうして?」
「自分が人であることを忘れてしまうから」
でも、それを心地よく感じてしまうときがある、と彼は続けた。
彼の音が心に入る。
すらすらと並べられる彼の言葉は、まるでテストの答案のようだった。
しばらく二人で海を眺めていた。
黙ったまま立っていた。
夕日を反射する水面を見ると、まるで自分がそれらと一体化するようだった。
先に口を開いたのは彼だった。
「オレは『ヤマアラシ』だから」
「うん…?」
それは彼のあだ名だ。
しかしそれに今、何の意味があるのだろう。
私は分からなかった。
だから彼の表情が見たかった。
何を思ってそれを言おうとしているのか、知ろうとした。
「それも…ジレンマから抜け出せない…ね」
その瞬間、私は勢いよく彼から顔を背けた。
それはとても、私が見ていいものではなかった。
この世の何よりも美しくて、切なくて、苦しい。
自らの矛盾と戦い続けているその姿。
私に彼はまぶしすぎた。





ただそれだけだ。
私と山中嵐の接点はそれだけだった。
でも、あの日見てしまった彼の顔を。
とても美しかったあの海を。
きっと私はずっと忘れられないのだろう。


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