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田中あららさん

性別 女性
将来の夢
座右の銘 仏ほっとけ、神かまうな

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アキラ

17/06/09 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:2件 田中あらら 閲覧数:198

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 一枚の集合写真がある。30人余りの男女がカメラを見て笑っている。背景には白い砂が写っていて、どこのビーチかわかる人にはわかる。もちろん私にもわかる。だが、そこに私はいない。

 アキラは東京に住んでいた。古い都営アパートを借りていて、60歳に届こうという年齢で一人暮らしだった。両親の顔を知らず、唯一の親族だった祖母が他界してからは天涯孤独の身の上だったが、友達は多かった。

 アキラは癌治療をしていた。病気を抱えた中年が働く場所を見つけるのは難しい。でもアキラは働きたかった。まだ元気だと自覚していた。そして、伊豆で小さなリゾートホテルを経営している友人に電話をした。「半年間、住み込みで働かせてくれないか」すぐに来いと言われ、次の日にはホテルに着いていた。過去なんども長逗留をし、その地域にも友達がたくさんいた。小さな町では、アキラがきたことが友人知人にすぐに伝わった。
 ホテルは白砂のビーチから徒歩3分のところにあり、夏は海水浴客が大勢訪れるが、実は波が荒くサーファーの領域だった。水平線から朝日が上がる早朝の海が、アキラは好きだった。アキラにとって、この町はホームだった。
 
 周りの人たちはアキラを知っていたが、勤め始めたばかりの私にとって、アキラは初対面だった。大柄で気さくで、まっすぐな目をしたアキラは働き者だった。その当時私は40代後半だった。アキラとはひとまわり離れていたと思うが、敬語も使わず言いたいことを言い、すぐに打ち解けた。楽しい話もしたが、腹の立つ客の話もして、そして笑った。

 夏は忙しかった。健康な私でさえ、激務に体調を崩しかねなかったが、アキラは明らかに痩せた。秋が訪れ、客の数はまばらになり、経営者にとっては従業員の存在が負担になる時期にさしかかった。アキラと私は一度だけバスケットにお茶セットを持って、徒歩3分のビーチで水平線を見ながらお茶を飲んだ。アキラは、約束の半年間が終わったからと言って、ホテルを去り東京に帰った。

 客足の途絶える冬が終わり、春が来て再びアキラが来た。さらに痩せていた。
「生活保護を申請して、治療に専念したほうがいい」と私が言うと、「治療のしようがないんだよ。それに、生き延びてもどうせ俺だけの人生だから、いいんだ。嫁さんも子供もいないから、俺が死んだってそれだけのことだから。天涯孤独って気楽なもんだよ」と笑った。
 ゴールデンウィークが過ぎ、梅雨に入ると客が少ない。アキラは一度東京に戻ると言って去っていき、帰ってくることはなかった。

 アキラが入院したことは、秋が深まってから聞いた。私は東京に行ったとき、自分が一番美味しいと思っている国産蜂蜜を持ってアキラを見舞った。アキラは私が来たことを喜んだ。「今は治療じゃなくて、痛みを和らげてもらっている」「身の回りのことは、できるだけ整理して、あとは東京の友達に任せたんだ」など、笑いながらよく話した。私は病人の前でこそにこやかにしなくてはという思いがあり、ニコニコしながら頷いていた。
「それにしてもここまでよく来てくれたなあ。本当にありがとう、ありがとう」アキラは何度も礼を言った。
 それからまもなくアキラから電話があった。明るい声で「あのさ、あの蜂蜜すごいね。俺、他のものは何も受け付けないんだけど、あれだけは喉が通って美味しいんだよ。久しぶりに美味しいって感覚を思い出したよ」私は、なんとか奇跡が起きないものかと祈りながら、追加の蜂蜜を送った。

 しばらくして、知らない名前の人から電話があった。「アキラの友達ですが…」訃報だとすぐにわかった。アキラの友人は、一通り葬儀の日程などを伝えたあと「失礼ですが…」と前置きをして、「アキラとはどういうご関係だったのでしょうか」と聞いた。死亡を伝えて欲しい人のリストの中に、聞いたことがない私の名前が入っていたので不思議に思ったらしい。「同僚です。いい友人でした」と答えた。そして、「私が持って行った蜂蜜が美味しかったようです」と付け加えた。

 遺骨は伊豆に運ばれた。アキラの伊豆の友人であるサーファーが、沖に向かってパドリングした。アキラの灰は集まった友人知人がビーチから見守る中、ボードの上から海に撒かれた。持ち寄ったものを食べながらアキラの思い出話をし、とてもいい葬式だったと後で聞いた。私はいなかった。他県に住んでいた父の葬儀と重なってしまったのだ。
 2週間後、行きつけのカフェのカウンターに立てかけられた集合写真をみたとき、その場にいなくて良かったと思った。そして一人静かにアキラを思うために、ひと気のないビーチに行った。
 アキラが最後に口にしたのは蜂蜜だっただろうと思った。そして何度も「ありがとう」を繰り返すアキラが目に浮かんだ。気がつくと水平線が涙でかすんでいた。光り輝く午後の海だった。


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このストーリーに関するコメント

17/07/31 光石七

拝読しました。
淡々とした語り口にアキラの人柄や主人公との関係性が滲んでいて、引き込まれました。
素敵なお話をありがとうございます!

17/07/31 田中あらら

光石七様
このストーリーは一人称にするか、三人称にするか迷いましたが、海はいつも私の身近にあったものですから、思い入れがあり一人称になりました。拙文にコメントくださったこと、感謝いたします。ありがとうございました。

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