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クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

性別
将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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舟渡り

17/06/09 コンテスト(テーマ):第137回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:4件 クナリ 閲覧数:295

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 年号が昭和になってから少々経った頃の、海沿いの村のことである。
 そのさびれた漁村の片隅に。洋館が建っていた。
 四十がらみの男が一人、白髪の館主に迎えられ、夜中に二人でショットグラスをつまんでいた。
「ウォッカだ。色こそ透明だが、強い」
「恐縮です。ところで先生、なぜ今日は自分めを招いてくださったのですか」
 二人は、物書きと編集者である。館主は、歳も素性も不明ながら、様々な筆致で多様な文章を書くので、小さな出版社では重宝されていた。普段は郵便と電話でやりとりしているのだが、編集者が珍しくこんな辺鄙な場所まで呼ばれて来たのは、ご機嫌伺いでもある。
「君、舟渡りというのを知っているかね」
「何かの遊びですか」
「この辺に伝わる妖怪の名前だ。夜中に舟遊びをする者の舟を次から次にひっくり返していくという、海難の暗示だな」
 編集者は肩をすくめる。
「ただ、困ったことにね。舟渡りは、作り話ではない」
「先生、生憎自分めはそういったお話は」
「いや、元々はれっきとした人間の仕業だ。海上というのは、板子一枚下は地獄と言うだろう。つまり、日頃恨んでいる相手を、夜中の舟遊びに誘うのさ。沖へ出たところで己は海に潜り、海中から舟を転覆させて溺れさせるってわけだ」
 家の外は、しんと静まり返っている。波の音もか細く、虫さえ鳴かない。
「しかしだ、そんな禁忌を犯した人間の方も罰を受けることになる」
「罰」
「海で外道をやれば海の呪いに囚われる。二度と海から上がることはできない。それはもう、人ではなく妖怪だ。だから死ぬこともない」
 低い声で淡々と告げる壮年の作家の目は、ウォッカのグラスに注がれている。作家がひっきりなしに、指で酒を直にかき回しているのが、編集者には不快だった。
「せいぜい、気をつけますよ。でもですね、海から上がれんのじゃ、我々にはむしろ有り難い。頼まれたって夜に沖へなど」
「体が濡れとる間は、陸の上でも動けるらしい」
「そりゃ、……たまらんです。しかし、陸にいるうちに体が乾いてしまったらどうなるんです?」
「死なないからな。ただ、死ぬほど苦しいだけだ」
 編集者の喉がまた鳴った。どうも、この作家の重い語り口は、胸に悪い。
「その呪いというのは、解きようがないのです?」
「ある。別の人間に、己を殺させることだ」
「さっき、死なないと」
「殺さん限り死なん。そして殺されれば、舟渡りの呪いは、その殺人者に受け継がれる。……そこの水差しから水をコップに注いでくれんか。少し飲み疲れた」
 言われるがままに、編集者は水を作家に差し出した。
「しかし、そんな種々の決まりごと、どうやって世の人は知ったのですかね」
「世というほど知られた話ではないが、妖怪なりに、色々試したのだろうな。私のように。最初の質問に答えよう。君をここへ呼んだのは、私を殺してもらうためだ」
 コップを受け取りながら、作家が言う。
「先生。ですから自分めは、そうしたお話は」
「お話ではない。私は舟渡りだ。なぜこんなにもこの漁村がさびれたと思う。私が、殺し過ぎたためだよ」
 作家は、右手にショットグラス、左手に水のコップを掲げた。
「君、私のことを、『海水に濡れてもいないのに平気で地上にいるじゃあないか、話が違う。』……そう思っているのだろう」
 編集者は、腰を浮かせていた。しかし、逃げればもっとまずいことになる気がした。
「色々試したと言ったろう。体の一部が海水に触れていればね、陸でも不自由なく過ごせる。私のこれは、そこの入り江の水だ」
 作家はショットグラスから指を引き抜いた。するとすぐに、苦しげにその顔がゆがみ歯ぎしりを始めた。
「先生。そうだとして、私は先生を殺したりしません!」
 編集者は、泣きそうな声で叫ぶ。
「君も試してみようじゃないか。舟渡りは、真水に触れさせられると死ぬ。このコップの水は君が注いで、私によこしたな。どれ」
 言うが早いか、作家はコップの水を頭からかぶった。そして、絶叫。
 編集者もまた、叫んでいた。
 目の前で、作家の体が不自然に歪み、やがて床の上にくずおれた。そしてもう、二度と動くことがなくなった。
 とたんに、編集者の喉がひどく乾いた。いや、全身の皮膚が、乾いてひび割れていく苦痛に見舞われていた。
 編集者は、作家がさっきまで掲げていたグラスの中に指を突っ込んだ。
 指先だというのに、海水の塩辛い味が感じられた。
 そして、体の渇きが収まる……

 編集者は、グラスを持ったまま、「人間」のいなくなった洋館を出た。
 少し歩くと、すぐに入り江に着く。
 そのまま海に踏み入り、頭まで海に沈んだ。
 ショットグラスが手から離れて、海に漂い出す。
 息が苦しくもならない中、彼は、黒い海水の向こうに消えていくガラスを、なす術もなく見つめていた。


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このストーリーに関するコメント

17/06/12 待井小雨

拝読させていただきました。
その底に何がいるのかすらも分からない恐ろしい海。その海に由縁を持つ妖怪。
じっとりと怪しい上質のホラー(というより、怪談かもですが)の世界観を楽しませていただきました。

17/06/17 クナリ

待井小雨さん>
海ってロマンも科学もたっぷり内包してますけど、ホラーともすごく相性がいいんですよね(^^;)。
ホラーの肝は雰囲気作りだと思うので(でないと警察と病院の介入でホラー世界は簡単に崩れてしまうので)、雰囲気作りができていれば嬉しいです!

17/06/27 あずみの白馬

拝読させて頂きました。
淡々と語られる怪談、海に潜む不気味さが見事に伝わってくる良作だと思います。

17/07/30 光石七

海って引きずり込まれそうな、底の知れない何か、不気味さを感じる側面もありますね。
そこが妖怪とマッチして、重苦しさや侘しさ、虚しさなどを孕んだ雰囲気のあるホラーに仕上がっていて、さすがだと思いました。
舟渡りの始まり(?)が人間の悪行という点がなんとも……
どうすることもできない無力感がひしひしと伝わってくるラストは秀逸ですね。
堪能させていただきました!

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