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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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音楽などヨコに置いた浅く広い底の底

17/06/09 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:168

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 誰かを信用するきっかけというのは、案外情けないほど青臭かったりするのかもしれない。
 タカノの場合、サダが同郷出身、卒業と同時に同じようにギター片手に上京し、夢破れて今に至る、という話を聞いた瞬間、取引を決めた。
 特に気に入ったのは、サダもまた、自分と同じくかつて馬鹿にして嫌っていた星の数ほどある無名の音楽事務所に就職し、デビューを夢見る若い連中を喰い物に日銭を稼いでいる、という点だ。
 
 取引の話は、ある日突然「KRミュージック営業主任」を名乗るサダが持ちかけてきた。タカノの事務所に所属する歌手志望のナナミを「うちに移籍させたい」というのだ。
「うちの社長が先日ナナミさんのライブを見てすっかり気に入っちゃったんですよ」
 ナナミはタカノの事務所が抱える「登録者」の一人で、2ヶ月前に「オーディション」にやってきた。
 最初の段階で褒めちぎり、デビューの可能性を大いにちらつかせて登録に導く。登録させたが最後、ボイトレだPV製作だととことん金を搾り取るのがタカノの仕事。
 ナナミは金を渋ることが多く、まだ登録費の50万とライブの「参加費(ノルマ制チケット)」3万しか取れていない。
 金を払わないヤツに価値はない。そんな女にサダは高額の移籍料を匂わせてきた。タカノが理由を尋ねると、サダは「ここだけの話」と苦笑した。
「社長が『気に入った』のは彼女の歌だけじゃない、ということですよ」
 ざっくばらんで朗らかな微笑みの底に覚えのある業界嫌悪を垣間見て、タカノは好感をもった。

「うちも表向きにはカタギの商売やってますが、裏は汚いものです。移籍料、破格でしょう? どうやって回収すると思います? 枕営業だけじゃない。ちょっとでも売れれば会社の搾取はそりゃあ非道いですよ」
 3度目の打ち合わせで、サダは笑いながら溜息をついた。
 タカノいきつけのバーである。他人の夢を喰い潰すこの仕事は、友人には気軽に話せない。その点、同業のサダは話しやすかった。
「それでもおたくは実際に業界に売り込める力があるだけまだいいですよ」
 と、タカノはウイスキーをあおる。「うちなんか業界に何のコネもないから、売る気ゼロ。衣装アドバイスだのダンス指導だのわけのわからん名目で金を搾れるだけ搾ってポイです」
「なまじ一度は目指してただけに、盲目的に金を出す彼らの気持ちもわからなくはないんですよね」
 サダが遠い目をしてつぶやいた。それはタカノが日々感じていることで、熱くなった胸を慌てて自身の言葉で鎮火させる。
「所詮、会社員なんで。でも後悔するくらいなら初めからやらなきゃいいとも思ってて、だから仕事と割り切ってますけどね」
「右に同じです」
 ふたりは軽くグラスを合わせた。


 ナナミの事務所移籍のため、本人に慰謝料400万を払い登録解除した。自社の契約書などまともに読んだこともないタカノは知らなかったが、事務所都合の登録解除は慰謝料が発生するらしい。
 だが、来週にはその倍の移籍料が入ってくる。タカノの上司は「鴨が白鳥に化けた」と上機嫌だ。
 タカノやサダ個人の損得はこれにからまず、ふたりともどこか他人事だった。
 タカノは移籍準備完了の連絡がてら、サダをまた呑みに誘ってみようか、と電話をかける。
『おかけになった電話番号は現在使われておりません……』
 不思議なことに、何度かけてもその音声だけが流れた。



「ざまーみろ」
 ナナミは狭い飛行機の座席で400万が入った通帳をぎゅっと胸に抱いた。
「400は予想以上だったな」
 ナナミの隣で離陸を待つサダが言った。坊主頭に無精髭。「KRミュージック営業主任サダ」とはまるで別人だ。
 サダがかつて音楽青年だったという話は嘘ではない。
 3年前、20歳の時に親から借りた150万を見事に騙し取られた。その相手が、タカノが勤める音楽事務所。
 ナナミとはネットの「音楽詐欺被害者の会」で出会った。彼女もまた、別の事務所に金を騙し取られた過去をもつ。
 自分が150、ナナミに100、ナナミを「仕掛け」として払った登録料やライブ料を差し引いても、十分余りある。
 飛行機がうなり出すとサダは窓の外に目をやり、タカノのことを考えた。
 悪い奴ではなかった。アイツ個人に恨みはないがアイツの組織には、大いにある。今頃、大ヘマを叱責されているだろうか。叱責で済めばいいが。
「着いたらぱーっと豪遊しようよ。楽しみ」
 計画が成功すれば、ナナミのように心沸き立つものだと思っていた。だが、金を手にしてから自分はたぶん一度も笑っていない。
「俺の150万は親に返すから使えないぞ」
 チクリと釘をさし、サダは通帳を取り上げる。
 後悔するくらいなら初めからやらなきゃいい、というタカノの言葉が4,000,000の向こうから浮かび上がってきた。


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