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ちほさん

心のあたたかくなるお話を じっくりと書いてみたいです。

性別 女性
将来の夢 図書館にある子どもの本を全て読むこと。 童話作家になること。
座右の銘 たいせつなのは、どれだけたくさんのことを したかではなく、どれだけ心をこめたかです。(マザー・テレサ)

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彼とピアノとわたし

17/06/07 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:0件 ちほ 閲覧数:168

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 7歳のわたしは、ピアノは大好きだが勉強は大嫌いだった。特に、母が自宅で催すパーティーは何よりも大嫌いだった。パーティーでは誰もが母の美貌を賛美し、ついでにわたしのことも「お母様に似て、将来が楽しみね」などと言う。そんなお世辞は嫌いだったし、化粧の匂いや香水、煙草には息が詰まりそうだった。
  お客様に対して礼儀正しく愛想笑いをしていたが、疲れてしまった。ピアノの演奏も終わったことだし、自分の部屋で休むことにした。エントランスから続く2階への大階段を上る途中、お客様方を見下ろしてみた。人々の中に、周りと違う空気を醸し出す1人の若い男性を見つけた。ただ静かに立っているだけだったが、その佇まいは森の精霊のよう。彼に話しかける人もいたが、彼は困ったように首を横に振って遠慮がちに微笑むだけ。私の視線に気がつくと、ふわふわと優しく彼は微笑んだ。なんだか恥ずかしくなって、勢いよく階段を駆け上った。
  ベッドに入っても、夢見るような眼差しをしていた彼を思い出した。……何者だったのだろう? ぐるぐる考えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。
 真夜中に、ふと目が覚めた。さざ波が押し寄せるような階下のパーティーの騒がしさの中で、ピアノの音が聴こえてきた。雑音が邪魔をするため、ピアノの音は飛び飛びに聴こえてくる。形にならない無数の弾かれた音。わたしはベッドから起き上がると、しばらく耳を澄ませた。そして、ガウンを羽織って部屋を出た。途端に、ピアノの音は繋がって1つの旋律となり、1本の線のように廊下を流れていく。
 ピアノ室の防音扉を押し開けると、あの森の精霊のような青年が、グランドピアノに向かって『小犬のワルツ』を弾いていた。弾き終わると彼はそっと立ち上がり、わたしに微笑んだ。そして、ピアノを弾いてほしいとジェスチャーしてきた。わたしは素直に頷いて、ピアノの椅子に腰を下ろす。彼の姿が、いきなり消えた。立ち上がって見回すと……いた! しゃがんでグランドピアノの側面に右耳を当てている。かなり真剣な顏で。ピアノに耳を押し当てでもしないと、彼の耳は音を捉えられないらしい。そんな彼が可哀相で泣きそうになってしまったわたしに、彼は左手をぐるぐる回して、ピアノを弾くようにと合図した。
 演奏は、わたしと彼の間で交互に行われた。わたしの番になると、彼はいつもピアノに耳を当てた。言葉の一切ない演奏会。通じ合うのは、ピアノの音だけ。交互に弾いているだけだったものが、だんだん旋律が絡み合って会話に変化していった。穏やかな彼も、深い哀しみや怒りを旋律に変化させて弾くことがあった。わたしは、それを慰める優しい旋律を彼に贈った。その優しい旋律のお返しが、少しずつ明るさを増していく温かな旋律に繋がった。言葉を使うよりも簡単な会話。ピアノは心で弾くもの。心が、そのまま相手の懐に飛び込む。わたしたちに言葉は必要なかった。この安心感を失いたくなくて、長い時間、必死に眠気と闘っていたけれど、いつの間にか鍵盤に顔を伏せ、わたしは眠りの底に落ちていった。
 翌朝、自分のベッドで目を覚ました。あれは夢だったのかしら? と困惑しながらクマのぬいぐるみを抱いていると、陽気に歌いながら母がやって来た。
「もうお昼よ。それにしても、昨夜はどうしたの? クーンに運ばれてくるなんて」
「クーン?」
「あなたの伯父さんよ。あたしの母親の前の夫との子ども。彼は、フランスに住んでるの。連絡をほとんどくれなかったから、耳が悪いなんて知らなかったわ」
 わたしは、激しく動揺した。彼の名前がわかった。森の精霊ではなかった。それどこか身内だった! 
「あなたの名前を教えておいたわよ」
「彼の部屋は、どこ?」
「もういないわよ。今朝フランスに発ったの。あら、どうしたの? そんなに会いたかったの?」
 わたしは泣いていた。彼は、わたしにとって特別な存在なのに。母が、そんなわたしの髪をなでて慰めてくれる。
「さぁ、元気を出して。きっと、また会えるわよ」
「そんなこと信じられないわ!」
 母は、ふくれっ面になっているわたしの顔の前で、懐から取り出した1枚のメッセージカードをひらひらと意味ありげに振った。
「なぁに?」
「クーンからあなたへのお手紙。欲しい?」
 わたしは、彼女に飛びついてメッセージカードを奪った。そして、読もうとするが──。
「……どこの言葉?」
「勉強不足ね。まぁ、フランス語の辞典を片手に頑張りなさい」
 母は、楽しそうにカラカラ笑った。
 
『優しい私の友 ゲルトルート・E・ベークさま
   昨夜は楽しかったです。ありがとう。
   ご迷惑でなければ、来月の秋の園遊会でお会いしましょう。  
                          クーン・ガルドネック』


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