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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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音楽を喰う男

17/05/27 コンテスト(テーマ):第136回 時空モノガタリ文学賞 【 音楽 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:249

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 まりあのもとへ、酒場の使いがやってきた。
「ご主人が、酔い潰れて」
 いやな顔ひとつみせずにまりあは、使いといっしょに酒場にむかった。
 主人のいきつけの酒場は、朝から晩まで一日中、生バンドの演奏がつづき、酒や料理をもとめてやってくるものにまじって、まりあの夫のように、純粋に音楽に魅せられてくるものもいた。彼じしんもともとテノールの歌手で、以前は舞台にたって、観客相手に自慢の喉を披露していた。料理人の娘だったまりあも、そんな彼の美声に惚れて、知人を介してつきあうようになったのだった。
 最初のデートが、今彼女がむかっている音楽酒場だった。酒をたしなまないまりあだったので、あまり気がすすまなかったのだが、すでに彼といっしょになることをきめていたので、そんな世界もいまからなれておかなくてはと、けなげにも彼に従って入店したというわけだ。
 彼はまりあのために、彼女好みの料理を注文してやった。そしてじぶんは、ビールを注文した。マリアは料理に手をつけながら、彼のまえにおかれたジョッキが、これから何杯おかわりされるのかしらと、ちょっぴり不安げにながめていた。
 酒場の奥からは、ピアノ三重奏によって奏でられるすばらしい音楽が鳴り響いていた。彼の話ではなんでも、名だたる オーケストラの演奏者たちが、生活費目的でここで演じているのだときいていた。
 彼が、はやくも陶然とした顔つきになりだしのをみて彼女は、おやと首をかしげた。彼の前のジョッキにはまだ、つがれたままのピールが泡立っている。さっきから、ほとんど彼は口をつけていなかった。それからもみまもりつづけるうちに、彼がしだいに酩酊状態になっていくのがわかった。ついにはテーブルの上に、酔い潰れたかのようにおおいかぶさってしまった彼をみて、まりあは愕然となってしまった。
「あなた、どうしてしまったのです。まるで何杯もビールをおかわりしたみたいになって―――」
 すると横のテーブルにいた男が、彼女の狼狽ぶりにみかねてか、話しかけてきた。、
「お嬢さん、そいつはいつもそうなんでさ」
「いつもって」
「音楽に酔っているんだよ」
「お酒にじゃないんですか」
「よくみなよ。一滴だって、のんでないじゃないか」
「だけど、音楽でこんなになっちゃうんですか」
「そいつはね、音楽をたべて生きてるんだ。いい音楽なら、ほら、いまみたいに、美酒に酔ったようになってしまう」
 まりあは、男の話に耳を傾けているうちに、だんだん腹がたってきた。きっと私をおぼこ娘だとおもって、からかっているのだわ。
「そんなバカな話、私は信じられません」
「ま、つきあっていけば、そのうちわかるさ」
 そしてそれから半年がたち、そのあいだにまりあは、あのとき男のいったことが、すべて真実だったことを知るのだった。
 彼は実際、音楽を食べて生きていた。それ以外のもの、たとえば酒とか料理とかは添え物、かたちとしてそばによせることはあっても、メインは音楽、あの酒場で聞く三重奏から、道端のアコーデオンひきがかなでるメロディ、そしてコンサート劇場でのオーケストラだったのだ。
「ぼくは、音楽さえたべていれば、ほかにはなにもいらないんだ」
 彼本人からうちあけられて、マリアはとりみだすことなくうけいれた。彼女じしん、魅力的な音楽にふれたりすると、気持が高揚して、生命力が活性化するような心地になることがあった。彼の場合は、もっと直接的に肉体に影響を及ぼして、ほかになにもたべなくてもやっていける体質をもって生まれたということだろう。
 マリアはいちど、彼のまえで、歌ったことがあった。少しは自信があった彼女だったが、彼はそれをきくと、やにわに腹痛を訴え、トイレにかけこむなりそこから、物凄い不協和音をがなりたてた。あとでわかったことだが、まりあの声にあたった彼が、たまらず腹にたまった未消化の音を吐き出したときのそれは音だった。それ以来まりあは二度と、彼のまえで歌うことはやめてしまった。
 彼には、あくまで美しい旋律が、リズムが、きくものを感動させずにおかないメロディが必要だった。それ以外はみな不快で、無意味な、雑音以外のなにものでもなかったのだ。
 マリアは、そんな彼にますます魅了されていった。彼には裕福な祖父がいて、生活に苦労することはなかった。二人はまもなく結婚した。すぐに子どもができ、うまれてきたのは男の子だった。
 はじめてきいた産声が、まるでヴァイオリンのような澄みきった響きだったことに驚くとともにまりあは、この子はきっと、お父さんが食べてきた秀でた音楽を、さらに美しく表現して生きていくにちがいないと満足そうに直観した。まりあはその子に、ベートーベンと名付けて、将来音楽界で活躍する姿を夢みて心をおどらせた。


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