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草愛やし美さん

時空文学コンテスト開催100回、おめでとうございます。思えば、初めて私が、こちらに投稿したのは2012年5月のこと、もう4年近く経ったのですね。時空モノガタリさまが、創作の場を与えてくださったお陰で楽しい時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。 また、拙い私の作品を読んでくださった方々に感謝しております。 やし美というのは本名です、母がつけてくれた名前、生まれた時にラジオから流れていた、島崎藤村作詞の「椰子の実」にちなんで……大好きな名前です。ツイッター:草藍やし美、https://twitter.com/cocosouai 

性別 女性
将来の夢 いっぱい食べて飲んでも痩せているっての、いいだろうなあ〜〜
座右の銘 今を生きる  

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食べられなかったパン

12/11/21 コンテスト(テーマ):【 兄弟姉妹 】 コメント:12件 草愛やし美 閲覧数:2198

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 昭和30年代、私が、小学校4年の夏休み、姉二人が家出した。家出する前に、上の姉は私に、もうこの家には帰って来ないと言った。それから、真顔になって私をじっと見て諭すように言った。
「あんただけは残り! みんな出て行ったらお母ちゃん可哀想やし」
 一応、止めたが聞く耳持たない姉の強さに、何も言えない私だった。三人姉妹の私たち姉妹の上下関係はしっかりしていた。長姉は、姉妹間で特別な存在で怖かった。私たち妹は、絶対服従だった。でも、強かった姉のお蔭で妹の二人は苛められずにすんできた。姉は、町内でも、学校でも、私たちが苛められたと聞くと、文句を言いに行ってくれた。

 父は、大正生まれで、カッとなるとすぐに暴力を振るう昔タイプの人間。長女だった上の姉はしょっちゅう被害者になっていた。真ん中の姉は、生まれた時、未熟児だったため、少し成長が遅かった。たぶん、長姉の命令で言い成りになって、一緒に家出する羽目になったのだろう。あれほど強い姉も一人では、不安だったのかもしれない。
 中学に入って姉はすぐ不良になり、その頃には、学校中に名の知れ渡った悪になっていた。妹の私たちには、悪行を自慢気に話すことがあったが、親には秘密にしていた。頭のよい姉は親の目をごまかすのも、うまかった。貧しい自営業の親は、生活で精一杯だったのだろう、そこまで姉が悪くなっているとは思っていなかったようだった。

「どこ行くのん?」
 おずおずと聞いた私に、姉は自信ありげに東京に行くとだけ言った。姉が、家を出ていき、刻々と時間が経っていく。親は全く気づかないで、店で黙々と仕事しているだけだ。私は、伝えるべきかどうしょうか悩んでいた。だけど、以前、すぐ上の姉のKちゃんが、小家出を決行した時、そのことを告げたとたん、父に「なんですぐに言わへんのか」と、思い切り殴られた怖い記憶がある私は、どうしても言えない。姉からも、きつく口止めされていたので、どうしようもできないまま時間だけが、過ぎていった。

 夕方、遅くなって親が騒ぎ出しあちこち探しに出かけて行くのを、横目で見て心が痛む。早く言わなくては――そんな近く探してもあかんって、東京行ったんだから。当時はもちろん新幹線はなかった。東京へ行くのは、丸一日がかりだった。
 私は、家出ということに今一つ実感がわかない。そのうち、こっそり帰ってくるのではないかと思っていた。夜更けになっても姉たちは帰って来ない。もう家の前の市電も通らなくなった時間に外へ出て姉の姿を待つ。真夏で暑いはずなのに、空の蒲団を見て心の中を寒さが襲う――何でおらんのやお姉ちゃん。今頃、東京でどうしてるんやろ。東京って、どんなとこ? 仕事見つかったのかなあ――眠れない夜になった。
 夜が明けても、姉たちは帰って来なかった。もう帰って来ないんやろか、急に不安に陥る、心配するとはこういうものだと初めて知った。母が泣いている姿を見て悲しくて堪らなかった。不安が胸を締め付けてくる。
 
 母は、朝ご飯を作る気になれなかったのだろう。パン買っておいでと言って、お金を渡された。菓子パンなんて贅沢品。めったに買えないものだ。その頃、コッペパンに薄いハムをキャベツの千切り少しと一緒にマヨネーズで挟んであるおかずパンが発売されていた。私はそれが大好きでいつも食べたいと願っていた。名前は「オーシャンロール」貰ったお金で私はもちろんそのパンを買った。だけど一口しか食べられない。あれほど食べたかったパンなのに……。その時初めて心配するとお腹が空かないんだと思い知った。
 
 次の日も、親は探しに出かけて行く。私は、東京に行ったんだと言わなければと思うばかりで、何も言えない。父は警察に相談して、少年課の人が事情を聴きにやってきた。とんでもないことになった。私は胸がいっぱいで、心の中で、かんにんしてお母ちゃんと叫んでいた。公開捜査しましょうと、警察の人の話し声が聞こえて来る。当時は、家出は大変な出来事で子供の家出はまだ珍しかった。

 いよいよ、公開捜査されるというその日の朝、東京から、近所のお医者さんの家に電話がかかってきた。個人では電話を引いている家が少なかった時代、我が家の近くでは、そのお医者さんの家にしか電話がなかった。

「あんたとこの娘さんから、電話。東京からですよ」
 みんな転がるようにその家に走った。父は仏頂面でたった一言だけ言った。
「明日帰るそうや……」
 母は紅潮した赤い頬で私を見た。
「京都駅に明日の朝、着くって」
 母はそのまま絶句した。帰ってくるという言葉が、頭の中でぐるぐる回っている。ほっとしたら、急に体中の力が抜けていくのを感じた。母は、誰に言うでもなく、怒ったように呟いた。
「東京やなんて、なんでそんな遠いとこまで行ったんや……」
 後は泣き声になっていた。


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このストーリーに関するコメント

12/11/21 メラ

 素晴しいお話でした。ぐっと胸に残る物があります。
 私も田舎者でしたので、中高生位の頃、東京へ家出する夢想をよくしたものです。まあ、せいぜい友達の家を二三日ほっつき歩くのが関の山でしたが。

12/11/21 泡沫恋歌

草藍さん、拝読しました。

実話だけに実感がこもっていて読んでいて、主人公のツライ気持ちがヒシヒシと伝わってきました。
今みたいに子どもの少ない時代と違って、兄弟が多いと上下関係がハッキリしています。私も一番上の姉や兄というのは兄弟と言っても別次元で、すぐ上の姉としか遊びませんでした。

昭和当時の懐かしい風情があって良い作品だと思いました。

12/11/22 そらの珊瑚

草藍さん、拝読しました。

家出という、当時でいったらとんでもない大事件を前にした
少女の心の動揺が手に取るように伝わってきました。
思っていても家出などなかなか出来ないことです。
行動力のあるお姉さんですね。


12/11/23 鮎風 遊

昭和の騒動。
当時は大変だったでしょうが、今では良い味ですね。

情が伝わってきます。

12/11/25 石蕗亮

草藍さん
拝読しました。
昔は街が寝るのも早かったですが今はどこの街もなかなか寝ないですよね。
家出しても隠れる場所が多すぎです。家出に伴う恐怖が少ない時代になってしまったと思います。
昭和を感じるよいお話でした。

12/11/27 ドーナツ

じわっとあったかい涙が出ました。いいお話ですね。
昭和が毛懐かしく思える時代になったんだなぁと、レトロなムードとあったかなおはなしのコンビネーション、楽しませてもらいました。

すぐにカットなる お父さん、なんだか懐かしいですよ。

12/12/01 草愛やし美

メラさん、お読みくださりコメントをありがとうございます。

東京は当時憧れの町でした。でも、とても怖いところと噂がありました。怖いという東京に住まいしていた人々は、どんな気持ちだったことでしょうね。家出はやりたくても、この時代では、そう簡単にできないものでした。勇気も金銭面でも子供はなかったですから。

12/12/01 草愛やし美

泡沫恋歌さん、コメントをありがとうございます。

実話なんです、ほんと行動的な姉にいつも家族は翻弄されていました。私は根性なしのあかんたれなので、足手まといになると姉は考えたのでしょうね。でも誘われてもたぶん行かなかったと思います。怖いですからそんな勇気ありませんでした(苦笑)

12/12/01 草愛やし美

そらの珊瑚さん、お立ち寄りくださいましてコメントをありがとうございます。

家出は当時の感覚では重罪でしたね。行動力はあったのですが、さすがに中学生では、何ともならずというところだったようです。
すぐ上の姉に聞いたところでは、家出はして東京駅に着いたけれど構内からは一歩も出られなかったようです。中学生が二人だけなんて、すぐに補導されてしまうでしょうから。
車内で検問があって、真中の姉は、長姉に言われた言葉を答えたそうです。たぶん「祖母のいる実家にいくとこ」なんて言ったのでしょう。」結局、そういうので無理だと考えたのかもしれませんね。案外怖がりだった姉の気持ちを思うと、親が帰って来いと言ってくれてほっとしてたのかもしれませんわ。

12/12/01 草愛やし美

鮎風 遊さん、ありがとうございます。

大騒動でした、親の心労はいかほどだったかと思います。今は亡き両親は姉の非行で大変でした。
私は子供を授かった時、どうか不良にだけはならないで欲しいと切望しました。息子はお蔭さまでその道にはいきませんでした。私は親が泣いているや苦労しているのを見てきたので、子供が不良にさえならなければ、どんな子でもいいと思っていたくらいです。

12/12/01 草愛やし美

石蕗亮さん、お読みくださりコメントをありがとうございます。
そうですね、今はコンビニやファミレスなど24時間営業のお店があるので、夜中の町に恐怖を感じなくなりました。
この時代は、子供は9時には就寝していました。夜泣きそばのチャルメラの音が物悲しくって、私たち姉妹は、かってに「子取り」の笛の音だと勘違いしてました。子取りに連れていかれたら、サーカス小屋か見世物小屋に売られてしまうんだと、かたくなに信じてました。今思うと滑稽な話ですね。でも当時はマジ思い込んで怖がっていました。

12/12/01 草愛やし美

ドーナツさん、コメントありがとうございます。
当時を知る方には、たぶんこういう事態のこと、理解が早いのではないかと思います。
今の時代はお父さん権威がなくなったと言われますが、私は優しくていいなって思います。お父さんの立場ではどうなんでしょうね、一度聞いてみないといけないかもしれませんね。(笑)

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