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クナリさん

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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週刊絶望月曜フォビア

17/05/08 コンテスト(テーマ):第135回 時空モノガタリ文学賞 【 休日 】 コメント:7件 クナリ 閲覧数:817

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 中学校で教職に就いて三年目になるシナコが、初めて自分のアパートに生徒を連れてきたのは、晩夏の日曜日の昼下がりだった。
 二階にある部屋で、ローテーブルに向かい合って座ると、背筋に少し冷たいものが流れる。
 学校内ではこの子の本音は聞き出せる気がしないし、どこで誰が見ているかも分からない町中のファミレスなども、利用する気になれない。ことがデリケート過ぎる。
 生徒の名は、イトウシンジといった。服で隠れている体には無数の青痣があることを、シナコは今は知っている。
「僕は、平気だと思ってたんです。体の傷は放っておけばいずれ治るけど、粗暴なだけの同級生なんかに屈服してしまえば、心の傷は下手をすれば死ぬまで続く。だから何をされても、自分の心さえ強く持っていれば大丈夫だと。でも体の傷って、心も弱くさせるものなんですね。全部の爪をこうしたら、」
 シンジは、左手を差し出して見せた。人差し指の爪が半分剥がれている。
「次は、歯だそうですよ。ハッタリだといいんですが」
 嘆息交じりにシンジが苦笑した。
 彼が受けている仕打ちをいじめと表現するには、既に行き過ぎている。
「僕が怖いのは、先生。彼らが、発覚をそれほど恐れていないことなんです。つまり、こうした行為がばれたとしても、彼らは無傷で切り抜ける方法を知っている。少なくとも、知っていると思っている。だから歯止めをかける気がない」
 窓の外から、日曜午後の買い物に出かけるらしい親子連れの声が聞こえる。そんな平和な昼間に、中学二年生の少年が屈辱に耐えながら、薄暗い部屋で無残な指先を晒している。赤黒い指の肉の盛り上がりを見ながら、外ではしゃぐ女児の嬌声を耳に入れると、シナコは少し気が遠くなった。
「僕はいじめというのが、人間にとって根源的な喜びを与える行為だということを認めざるを得ません。大人でも、それこそ教師でもきっとやるでしょう。本当に楽しいんでしょうね。僕だっていつかきっとやる。何らかの便利な言い訳を作って、笑いながら」
「イトウ君。親御さんは君のされていることを」
 シナコにすれば、目先を変えるための一言だった。それが最悪に近い選択だと分かっていても、他の話ではまるで、シンジの圧力に太刀打ちできない。
 案の定、シンジは、まなじりに確かに軽蔑を浮かべた。しかしそれをすぐに、表情の奥へしまう。自分の半分程度しか生きていない子供の理性と意志力に、シナコは敗北感さえ覚えた。
「先生。僕は、幽霊も放射能も、テロリストも大して怖くありません。僕が一番怖いのは、月曜日です。日曜日はいつも、時計ばかり見てる。少しでも時間の流れが緩やかに感じられるように、ベッドから出ずに何もしない。月曜日からの僕は、目に見えるもの全部を軽蔑して、どんどん救いがたい奴になっていく。そしてやがて、救いようのない大人になる。僕は、それが怖いんです」
 泣きそうな顔での吐露。この少年はまだ、シナコを信じている。少なくとも信じようとしている。それを感じ取って、シナコは、カラカラになっていた喉を鳴らした。
「助けが必要だわ。私だけじゃなく、もっと――」
「助け? じゃあ、僕が人気のない下校途中の林道で、あいつらにペンチで爪をつままれた時は、誰に助けを求めればいいんです?」
「それは」
「暴力なんて、いつでもどうにでも振るえるんだ。たとえば爪くらいなくても、僕は先生を襲うことができる――……」
 数瞬の沈黙。
 ここまで動揺し通しだったせいで、シナコの想像力は、悪い方へ激しく展開した。
 失言に気まずくなったシンジが、少し身じろぎする。それを見たシナコが、びくりと後ずさった。
 信頼は消えた。
 今まで学校の内外で厳しく課していたシンジの自律が、それで切れた。強い暴力衝動がこみ上げる。
 しかし他傷行為への強烈な嫌悪は、シンジを、激しく自傷行為へと誘導した。元々、自分のコントロールを失った時は、そうしようと決めていた。二階の窓からなら、落ちるのにちょうどいい。足くらい折っても構わない。身動きができなくなれば何でもいい。
 開いた窓に勢いよく駆け寄るシンジに、シナコが組み付く。
「離して先生! 僕を逃がして!」
「だめ!」
 しばらくもみ合っていると、さっきの親子連れらしい二人が戻ってきていて、道路からこちらを見上げていた。
 平和な真昼。平和な家族。シンジの体から力が抜ける。
「……先生。僕は、先生を、傷つけたいわけじゃないんです」
「分かってる。分かってるから……。ごめんね。本当にごめん。でも」
 シナコは、息を切らせながら、シンジの頬を押さえた。 
「もう、だめよ」
「はい」
 そのシナコの人差し指の爪が、今の取っ組み合いでか、少し割れているのがシンジに見えた。
 シンジは急に、その時初めて、シナコに体温のあることを感じた。


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このストーリーに関するコメント

17/05/08 まー

変なとこに注目する奴だなと思うかもしれませんが(笑)、
“赤黒い指の肉の盛り上がりを見ながら、外ではしゃぐ女児の嬌声を耳に入れると、シナコは少し気が遠くなった。”
の一文には驚かされました。対比表現技術が半端ないというか。プロとしては当然のことなのかもしれませんが、正直こんな表現をするっと出せる作家さんが羨ましいです。

17/05/08 クナリ

まーさん>
いえいえいえプロではございませぬ……!
これは掌編ならではと言いますか、限られた文字数のために必要最小限の言葉で表現しようとする意識から生まれたものだと思います。
もっと長くすることが許されていれば、別の無難な書き方になっていたかもしれません。
制約が生む巧妙もある、ということですね〜。
コメント、ありがとうございました!

17/05/26 浅月庵

クナリ様

作品拝読致しました。
教師といえども、明確に救いの道を
示してあげられないやるせなさが悲しく、
またもどかしいと感じました。
シンジの一方的な想いの吐露が、
当事者と傍観者の温度差を生み出していますね。

全体的に暗い雰囲気ですが、最後の一文が
一筋の光のようでいて、素敵だと思いました。
タイトルも含め、とても好みの作品です!

17/05/27 クナリ

浅月庵さん>
すれ違っていて、立場の違いもあってたぶん全然わかり会えないんだろうなあという相手でも、その思いのベクトルが一瞬でも重なることがあるのなら、思いを放ち続けることには意味があるんだろうな……あってほしいな……と思って書きました。
ですので、お言葉大変嬉しいです。
コメント、ありがとうございました!

17/06/03 石蕗亮

拝読いたしました。
休日のワンシーン。しかしこの人間性という熱量。
2人の爪という対比と加害者と味方の人の温もりの対比。流石クナリさんだなぁと思いました。

17/06/03 クナリ

石蕗亮さん>
会話劇は手法としては好きなんですが、動きが少ない分チープになってしまい勝ちなので、上手くいっていれば嬉しいです。
ストーリーにも懲りたいのですが、人間二人のワンシーンがちゃんと書ききれるのも大事ですよね。
コメント、ありがとうございました!

17/06/24 瀧上ルーシー

拝読しました。
あまり気持ちのいい話ではないのに、すっと読めてしまいました。
シナコの一生懸命な感じが良かったと思います。

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