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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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甘すぎるゆえ

17/05/06 コンテスト(テーマ):第133回 時空モノガタリ文学賞 【 スイーツ 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:506

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 深さのあるバットに、フィロと呼ばれる紙のように薄い生地を、間に溶かしバターを挟みながら幾重にも重ねていく。オーブンで焼き上げ、ひたひたになるまで全体にシロップをかける。
 小皿にのって出て来たそれは、小さなパイ菓子。覚悟を決めてフォークを刺すと、数十の層からじゅわ、とシロップが染み出す。
 世界で最も甘い菓子のひとつと言われる、トルコのバクラヴァ。

「いぃーーーーー」
 これを食べる時はいつも口が目一杯左右に伸びる。なんとなく、こうすることで甘さが緩和される気がするのだ。噛めばシロップが染み出す。噛みたくない。歯が融ける。でも、
「オイシーでショ?」
 彼が愉快そうに私を見つめる。
 アシルはトルコから来た25歳。彫が深く、熱っぽい漆黒の瞳、文句なしの美男子が私を好きだ好きだと惜しみなく愛を注ぐ。
 彼は際限なく甘いバクラヴァを私に教え、私は見事にそれにハマった。
 30という歳ゆえに、わりと短期的なゴールを夢見てしまうが、アシルだってそれを望んでいるように思えた。

 ところが、である。
 マコ、に恋をしたからもう私とは会えない、と言われた。
 マコ、は私の10年来の親友。いつの間に。
 アシルは泣きそうな顔をして「ゴメンネ」と言った。だが言った途端に、謝罪が言葉と共にぽろりと剥がれ落ちたかのように、ケロっと普通の顔に戻る。
 ふざけんな、と拳を脇で握り締める。私の憤怒を感じ取ったのか、アシルはまた許しを請う仔犬みたいな顔をした。
 感情任せに激昂することも、意地と皮肉を込めた痛恨のひと言をくれてやることもできず、私は失敗した福笑いみたいな顔で「じゃあバイバイ」とだけ告げた。



 あれから3年。よもやまたこの激甘菓子を口にする日がこようとは。
 披露宴の食事が終わると、私たち招待客は広い庭に案内された。パディオに並ぶスイーツビュッフェの一角に艶々と光るそのトルコ菓子を見つけ、悔しいが、私は一切れ皿にのせてしまう。
 皮肉なことに、この菓子を今日の「新婦」に教えたのはまぎれもない私なのだ。披露宴でこんな風に「これが新郎のお国の味です」と皆に振舞うのは、私だったかもしれないのに。 
 
 食べるのも負け、食べないのも負けな気がした。
 少し端に寄り、一人立ったままフォークを握る。まずは上からぎゅうぎゅうとシロップを押し出す。
「来てくれて、ありがとう」
 隣で声がした。
 淡いピンクのドレスをまとい、花嫁が立っていた。手には、バクラヴァの皿。
 私はシロップを押し出す行為を止めない。押しても押しても、染み出してくる。
 この機会を狙っていたのだろう。唐突に、彼女が言った。
「正直、欠席されると思ってた」
 手元に集中しながら、私はわざと話を逸らす。 
「私はこの3年このお菓子を避けてきたけど、あろうことかこうして披露宴に出せるっていうのはやっぱりあれかな、フラれた者とフッた者の違いかな」
 自分で放った痛烈な厭味に、自分で傷ついた。
 遠方で新郎が友人たちと大笑いしている。あの美しい男を半年で捨てて、細長い猿みたいな日本男児を選んだ彼女。でも本当はちょっと嬉しかったのだ。トルコ野郎、ザマーミロと。
 花嫁は無理やり頬を上げ、次いで派手な付け爪の手で菓子をつまみ上げたかと思うと、大口を開けてかぶりついた。
「ぃいーーーーー」
 ぎゅっと閉じた花嫁の目尻に皺が寄る。舌にからむ強烈な蜜に悶絶する彼女を見て、期せず吹き出した。
 多分、私もずっとこんな顔をして食べていたのだ。それを「カワイイ」と目を細めていた美形の顔を久しぶりに思い出し、だが意外なほど何も胸に引っかからないことに気がつく。
「だって、好きなんだもん」
 「い」の口のまま彼女が言い、私もまた、フォークを置いて手で口に放り込む。
「いぃーーーーー」
 ねっとりとした容赦ない甘さが逃げ場のない口内に広がる。噛みたくない。噛めばますますシロップが染み出す。
 ふたりでドタドタと水を求め、口の中が落ち着いてから、私はぽつりと言った。
「怖いもの見たさみたいな中毒性があるよね」
「デザートは好きにしていいって言われたからさ、じゃあってリクエストした。昔よく一緒に食べたじゃん。なんか、あたしの中でバクラヴァと言えばあんたなんだよね」
 あのトルコ人じゃなく、と彼女がつぶやく。ちょっと勝手で調子がいい。でも、腹が立つほど同感だ。
 あの美男子も、バクラヴァも、私が教えてふたりして好きになった。結果的に、ふたりとも美男子を手放し、甘い甘いお菓子だけが残る。しみしみと、どこまでも甘い蜜。すっぱり切れる男との情愛よりも、女の友情に近い。
「結婚おめでとう、マコ」
 言うと、思っていたよりずっとすっきりした。
「私、もう1個」
 歩き出した私の後に、「私も」とマコが続いた。 


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