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吉岡 幸一さん

性別 男性
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喜びと悲しみが溶け合った味のするケーキ

17/04/27 コンテスト(テーマ):第133回 時空モノガタリ文学賞 【 スイーツ 】 コメント:3件 吉岡 幸一 閲覧数:884

時空モノガタリからの選評

食べ物というのは単に味を感じさせるものにとどまらず、大事な人との思い出とともに、人の歴史を形作っていくものなのだと感じさせられました。人生とは光と影のように、長い目で見ればすべてがハッピーとアンハッピーが混じり合ったものかもしれず、このケーキは人生の苦楽と機微が濃縮されたものではないかと思います。夫との再会の一方で娘とは別れねばならない場面で食すスイーツは、義母にとってまさに相反する自分の感情を代弁し、また娘にそれを説明的でなく的確に伝えることができる、完璧な味わいの食べ物なのかもしれません。この作品もまた自分の親を語るのではなく、妻と義母に対する考察であることが、作品に軽さと客観性をもたらしていたのではないかと感じました。義母への思いを少し距離を置いて見守る主人公の眼差しは優しく、読んでいてホッとさせられます。家族の再会と絆と別れという人生の大事なターニングポイントを象徴するようなスイーツの使い方に、素直に引き込まれる内容でした。

時空モノガタリK

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「喜びと悲しみが溶け合った味のするケーキを探さないといけない」と、妻が急に言い出した。
 いったいどんな味なのか想像することもできない喩えだ。甘くて苦い味なのか、濃厚で堅いケーキなのかさっぱりわからない。言った妻自身も食べたことがないから味なんてわからないという。
 妻の母、僕からみれば義母が亡くなる前に食べたいと言ったのがそのケーキだというのだ。結局そのときはすでに食べ物が喉に通らない状態だったので、妻は探しもしなかったらしい。
 僕らが結婚する三年前に義母は亡くなっていたので、会ったことはなかったが、ケーキが好きで毎日のように食べていたことは何度か聞いていた。
 なぜ急に、と聞く前に妻は答えた。
「夢を見たの。お母さんがあのケーキをお墓に供えてほしいって言ったのよ」
 そういえばそろそろ春のお彼岸だった。義母が食べたがったケーキを持って墓参りにいくのもいいだろう。義母が亡くなる半年前に亡くなった義父には好物だという洋酒を持っていくとしよう。
 妻の実家はいまでは空き家になっていて誰も住んでいないが、かつては妻も暮らしていた家だ。近所のケーキ屋はすべて知っている。いくつか訪ねて歩けば喜びと悲しみが溶け合った味のするケーキが見つかるかもしれない。
 義母が足しげく通っていた実家そばのケーキ屋から妻と一緒に僕は廻った。喜びと悲しみが溶け合ったという名前のケーキがないとしても、似たような名前のケーキはありそうなものだがそれも見つからなかった。
 店の店員に義母のことを聞けば、どこの店でも義母のことをよく覚えていて、うちの店ではよくチーズケーキを買っただの、タルトケーキが好きだっただの、シュークリームを必ず買っただのと答えはするが、僕らが探しているケーキはまるで思い当たらないようだった。
 近所だけのつもりが、妻の記憶をたどり昔義母が行った遠方のケーキ屋まで足を運んでみたが、お目当てのケーキに出会うことはなかった。
「もう諦めて、実家近くのケーキ屋でチーズケーキでも買って供えにいこうか」
 僕の投げやりな言葉に妻は首をふる。諦めきれない気持ちは理解できるが、このまま探しても見つかるような気がしない。
「お家に帰りましょう」
 諦めたというより、何かを思い出したかのように妻は足を早め、バス停に向かう途中でひろったタクシーに乗り込んだ。
 家に着くとすぐにキッチンに向かい、棚から調理器具を出したり冷蔵庫を開けたりと慌ただしく動き始めた。
 妻がしていることは聞くまでもなかった。
 やがて甘い香りがダイニングを満たしていく。ボールの中で激しく動く泡立て器の音、ラム酒の瓶を開ける音、オーブンの蓋が開き閉まる音、そして僕のお腹が鳴る音。
「ラムバターケーキ。お父さんが風邪で寝込んだ後の回復祝いでこのケーキをよく食べたの。お父さんはこのケーキを食べるために病気になるんだってよく言ってたわ」
「このケーキが、喜びと悲しみが溶け合った味のするケーキなのかい?」
 妻の思いつきにケチをつけるつもりはなかったが、僕にはピンとこなかった。
「わたしもね、お母さんのラムバターケーキは大好きだったの。何度も一緒に作ったからレシピは頭に入っているの」
 妻の瞳にはいつの間にか涙が浮かんでいる。
「お父さん言ってた。どんなに手の込んだお店のケーキも母さんの手作りケーキにはかなわないって」
 ここまで聞いても僕にはわからない。
「作ってあげれば良かった。なんで、はっきりラムバターケーキを食べたいって言ってくれなかったのよ」
「ラムバターケーキっていう名前が出てこなかっただけなんじゃないかな。病気で苦しんでいたんだろう、お母さん」
 オーブンのタイマーが切れる音が響いた。妻は泣きながら焼き上がったケーキを取り出した。
「ねえ、見て。きれいに焼けたわよ。ふんわりとして美味しそう」
 妻は湯気のたつケーキに竹串をさしながら笑い、涙をぬぐった。
「お母さんもきっと喜んでくれるよ」
「そうだといいんだけど。……このケーキはね、一日寝かせて味を落ち着かせたほうが美味しいの」
 そう言いながら妻は型からケーキを取りはずしラップをかけた。熱い熱い、と言いながら手に息を吹きかけている。
 僕は思った。義母はラムバターケーキの思い出の中で、再び夫に出逢える喜びと娘と別れる悲しみが溶け合っていったのではないか。そしてあの世で再会した夫と今度は一緒に娘の作ったラムバターケーキを食べたいと、夢に現れて。
 明日は、喜びと悲しみが溶け合った味のするケーキを供えよう。もちろん義父の好きな洋酒を忘れてはいけない。
「明日は晴れるといいね」
 出来上がったばかりのラムバターケーキを包んだラップの隙間から漏れる白い湯気が、妻の頬を撫でるように温めていた。


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このストーリーに関するコメント

17/04/28 まー

喜びと悲しみが溶け合った味のするケーキとは何ぞやと、導入部からぐいぐい引きつけてきますね。
なぜそんな言い方をしたのかも腑に落ちる終わり方でした。

17/06/05 光石七

入賞おめでとうございます!
先週感想を残したつもりでしたが、投稿されていなかったようで……
冒頭の台詞から引き込まれ、切なさが滲む温かい物語に読後感も良かったです。
主人公の優しい目線がいいですね。
素敵なお話をありがとうございます!

17/06/05 吉岡 幸一

まー様
光石七様

コメントをいただきありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

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