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吉岡 幸一さん

性別 男性
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嘘つき太郎と名主の娘

17/04/20 コンテスト(テーマ):第132回 時空モノガタリ文学賞 【 浦島太郎 】 コメント:2件 吉岡 幸一 閲覧数:519

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 あれからどれほど月日が流れただろう。
 竜宮城から戻ってきて以来、浦島太郎は毎日朝日がのぼり日も落ちるまで海を眺め続けていた。
 雨の日は傘を差し、雪の日はぼろ布をまとい、夏の日は裸で砂浜に座っていた。海風で白髪は擦り切れ、あご髭も千切れ、日焼けした顔は表情もわからないくらいだった。
 ただ海を一日中ながめている老人を村の人々は気味悪がって近寄ってこなかった。
 行方不明だった浦島太郎が村に戻ってきた当初は村人の誰もが優しく接してくれた。老いて魂の抜けたような姿を哀れんで、住まいを用意し漁の道具を与え着物をめぐんだ。
 しかし海の底にある竜宮城に行った話をするようになってから村人は浦島太郎を避けるようになっていった。嘘つき太郎、そう陰で呼ばれるようになっていた。
 子供というものは残酷なもので、村の大人たちから除け者にされている浦島太郎になら何をしても良いと思ったのだろう。浜辺に座っている浦島太郎を見つけては石を投げたり砂をかけたりしてからかった。
 嘘つき太郎、嘘つき太郎、海の底に人が行けるわけないじゃないか。玉手箱の中は最初から空っぽ、竜宮城なんてあるわけないやーい。
 子供たちに何をされ何を言われようと浦島太郎は反応しなかった。雨風と同じ程度にしか思っていなかったようで、曲がった背中をさらに曲げて子供たちが飽きていなくなるのを待つだけだった。
 あのときから海亀をこの浜で見たことはなかった。もともと海亀の産卵地ではないので海亀を見ることじたい珍しいことなのだ。海は広く穏やかで遠くには島影ひとつ見えない。浦島太郎は海面から何かが顔を出すのを待っているように海を眺め続けていた。
「よい天気ですね」
 春風に乗って背後から声が聞こえてきた。振り返るとそこには若い女が立っていた。
「乙姫様」
 浦島太郎は思わず立ち上がり腰を伸ばした。
「いえ、わたしは千枝と申します。五日前にこの村に戻ってきたばかりなんです。隣村に嫁いでいたんですが、子供が出来ないので離縁されてしまって」
 離縁されたことを喜んでいるような口ぶりだった。着物に汚れもなく漁村の女のようではなかった。
「もしかして、名主さまのとこの娘かい」
「はい。父さまには恥さらしって言われていますけど」
「それで千枝さまはワシになにか用かい」
「母さまから浦島さまの話を聞きまして、直接竜宮城の話を聞きたくなったんです」
「嘘つき太郎の話なんか聞いてもしょうがないじゃろう」
 千枝は黙って微笑んだ。その微笑みは乙姫様にそっくりで息を飲むほどに美しかった。
 虐められていた亀を助けた話から、竜宮城で乙姫様に玉手箱をもらって帰るまでの話を丁寧に話した。老人になった経緯を話すときには知らず知らず浦島太郎は涙を流していた。
「竜宮城から帰ってきたことを後悔しているのですね」
 千枝が慰めるように言うと、浦島太郎は大きく頷いた。
「里心さえつかなければ……。村に戻ったところで独りぼっちだというのにな」
「じっと待っていないで、海に入っていかれたらどうですか。浦島さまならまた竜宮城へ行けますよ」
「そうだろうか」
「ええ、よろしかったらわたしも一緒に行って良いでしょうか。浦島さまとなら海に入っても溺れないで竜宮城に行けそうな気がします」
 千枝は力をこもった手で浦島太郎の手を握った。
 何年ぶりだろうか、笑みがこぼれたのは。
 千枝と浦島太郎は手をとり海へ入っていった。波はやさしく穏やかで、日暮れ前の太陽はまだ朱色に染まってはいなかった。砂を踏む音が消えて、波を分けて進んだ。海水は足首をかくし、膝をかくし、腰をかくし、胸をかくしていった。着物は濡れて重くなっていくが、心は軽くなっていくようだった。
「おーい、千枝や、おおい、千枝や」
 浜辺から男の声が聞こえてきた。千枝の手は声が大きくなるほどに浦島太郎の手をきつく握っていく。
「父さま、ごめんなさい」
 千枝の声は浦島太郎には届かない。浦島太郎は嬉しそうに笑っている。波が顔を覆い、白髪が濡れても笑顔が消えることはない。真っ直ぐに前を向いて深みへと進んでいく。
「おーい、千枝や、おおい、千枝や」
 叫び続ける名主のまわりに体格の良い漁師たちが集まってきた。漁師たちはひとりまたひとりと海に飛び込んでいく。名主の娘を助けようと波をかき分ける。
 千枝は泣きながら海にしずみ、浦島太郎は笑いながら海に潜っていく。
 いつしか真っ赤に染まった空が叫ぶ名主と漁師たちの体を燃えるように染める。赤く赤く、影深く波黒く、海辺を焼いている。



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このストーリーに関するコメント

17/04/21 まー

なんとも哀しい顛末ですが、自分のことを信じてくれる者が誰もいなかった浦島太郎にとってはきっと幸せな終わり方だったのでしょうね。ラスト、千枝と浦島太郎との対比の後の夕焼けの描写には染み入るものがありました。

17/05/02 吉岡 幸一

まー様
コメントをいただきありがとうございます。感謝いたします。

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