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木野太景さん

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怒った電車

17/04/10 コンテスト(テーマ):第131回 時空モノガタリ文学賞 【 電車 】 コメント:0件 木野太景 閲覧数:102

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 金曜日の夜、停車している終電車に、若い女性がふらりと近寄った。職場の飲み会に最後まで参加したらしく、随分酔っている。
 これから先のことは誰のせいでもない。ただ飲みすぎた酒が、彼女と電車を喧嘩させてしまった結果である。
「お前、何で毎朝、満員電車なんだ!」
 彼女は車体の側面を蹴飛ばした。
「うっ」
 呻く声がした。電車でも横腹を蹴られれば痛い。
「け、蹴るとはなんだ!毎日運んでやってるんだ、感謝しろ!」電車は怒鳴った。
「なんだお前」
「そっちこそなんだ」
「電車のくせに生意気な!」
「人間のくせに生意気だ!」
「言ったな!」彼女はさらに二発蹴った。
「もう怒ったぞ!!」
 これを聞いた彼女は、後ろに一歩下がり、いつでも来いと構えた――その時、爽やかな男性の声がした。
「大丈夫ですか」駅員だった。「そろそろ発車します」
「発車しますか」
「はい、まもなくです」
 彼女は、こんな腹が立つ電車には乗りたくなかった。だが乗らずに朝帰りすれば、また夫を心配させてしまう。
「乗ります」
 駅員は、まだ話が通じる酔っ払いに安心した様子で去った。
「次、蹴ったらただじゃおかない」電車が低く唸った。
「ふん、やってみろ」
 彼女は憎まれ口を叩くと、ホームとの段差をひょいっと優雅に飛び越え、電車に乗り込んだ。
 車内は空いていた。彼女は広々した座席に座ると気分が良くなった。
 だがしばらくして顔が曇ってきた。押し込んだはずの苛立ちが――今日の昨日の、先週のそれ以前の、あらゆる苛立ちが――また溢れ出てきたのだ。
 一駅目過ぎ、二駅目が過ぎ、長いこと彼女は動かなかった。溢れ出ようとする苛立ちと対峙していた。突然相手が動いた。それを制しようとした時、彼女は右足を振り上げ、車内の床を強く蹴っていた。
「もう許さん!」電車がまた喋り出した。
「え、何」
 彼女は目を凝らした。蹴った辺りの床がたんこぶのように腫れ、彼女の足の裏を下から押し上げている。
 膨らんだ床にスッと切れ目が浮かぶ。口のようにパカッと開くと、彼女の両足を足首から飲み込んだ。一瞬だった。
 彼女は慌てて引き抜こうと足に力を入れたが、床に埋まった両足はピクリとも動かない。
 次に電車が止まる駅は、彼女が降りる駅だ。このまま足が床から抜けないのはまずかった。
「電車、いい加減にしろ!」
 彼女は座席の上を拳で殴った。
「痛い!」電車が叫ぶ。
「痛い!」今度は彼女が殴られた。
 天井からぶら下がったつり革が二本、紐の部分を伸ばして、ひゅんひゅんと腕のように己の体を振り回している。つり革を使って殴ったのだ。彼女が睨むと、握り手の輪が手を振る。一方電車は、
「やーい」と言って楽しそうだ。
 つり革は、構えて軽いパンチを数回繰り返して見せた。それから二本のうち一本が、握り手を上下に動かし相手を招くような仕草をした。
 挑発された彼女は、小さく鼻で笑い立ち上がった。ジャケットを脱ぎ捨てブラウスの両袖をまくる。
「走ってるから足は使えない。わたしも使うな、か」  
 彼女が両腕を高く構えると、二本のつり革も構え直す。
「そういうことだ」電車は言った。
「上等」彼女は顎を引いた。  
 車体の揺れに合わせ、向き合った両者も小刻みに動く。車内アナウンスが流れた。
「まもなく、開始駅に止ま――」
 双方が動いた。
「うっ」
 電車のつり革ストレートが彼女の顔面に直撃する。彼女は腕のリーチが違うことに気付く。不利だ。だが諦めない。
 相手に先手され、つり革ジャブが繰り出された。一発目はかわせなかったが、彼女は器用に上半身を使って攻撃を防ぎ、かわし、自らも攻撃を仕掛けた。
「ずるいぞ!」
 彼女は叫んだ。彼女の拳が届く瞬間、つり革は瞬時に紐を短くして逃げた。両足を動かせない彼女に対し、紐の長さを変えて自由に逃げ回っていいものだろうか。
「ずるくない!」
 電車は答えると、つり革パンチを飛ばした。彼女は辛うじてかわす。それだけではない。負けじと上体を前に出した。つり革よりも速いパンチを繰り出し、握り手をアッパーカットで天井まで飛ばした。手応えがあった。
 つり革は、紐をだらんと伸びきって動かない。電車の動きが緩やかになる。彼女は素早くカウントをとった。
「――8、9、10」 
 電車が完全に止まり、扉が開いた。彼女の両足は床から解放されていた。彼女は顔を上げる。天井の照明が勝者を照らした。
 
「――ということを、帰ってくるなり聞かされたんだ」
 翌日、夫が二日酔いの彼女に説明した。
「うそ、作り話でしょ」
 彼は鏡を彼女に持たせた。彼女は、鏡に映る顔を見て小さく叫ぶ。
「何これ」泣きそうな声できいた。
「君も電車も、怒って大変だったね」
 彼はタオルで巻いた保冷剤を手渡す。彼女の顔には、青い痣ができていた。


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