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土地神さん

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車窓の人形

17/04/10 コンテスト(テーマ):第131回 時空モノガタリ文学賞 【 電車 】 コメント:0件 土地神 閲覧数:266

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 広大な菜の花畑を、一両だけの電車が行く。日差しを受けて輝く黄色の海は春の穏やかな喜びに満ちているようだ。田舎のローカル線に、私以外の乗客はいない。素晴らしい車窓を独り占めにしながら通勤するこの贅沢なひと時は、私にとってかけがえのないものだった。春はこの風景に加えて堤の上の桜並木が鮮やかで、夏には地平線まで続く水田に大きな入道雲、秋には山々の燃えるような紅葉、そして冬には荘厳な雪景色と、飽きることのない感動は季節を移ろいながら続くのだ。
 電車はやがて菜の花畑に風の波を立てながら、スピードを落としゴトゴトと不器用に車体を揺すりつつホームに滑りこんでいった。運転手が到着を短く告げる。無人駅のホームに人影はない。停車時間は一分。車窓には冬の間栄養を貯えた土壌と、そこで逞しく育ちつつあるさまざまな野菜が一面に広がっている。彼≠ヘ、その真ん中を突っ切って伸びる道路沿いに、まるで畑の番人のように、今日も直立不動の姿勢をとっていた。
 警官人形。速度制限を無視するドライバーを驚かせて減速させるための、昭和の遺物。その姿はまさに昭和の時代からやってきた古参兵そのものだった。金属でできた体は全体的に塗装が剥げ、赤錆の地肌が出血のようにあちこちから露出している。腕や腹、足に大きなへこみや裂け目があるのは、心ない者の暴力のしわざだろう。顔面はもう左半分しか肌色が残っておらず、退色で表情を伺い知ることはできない。
 相変わらず頑張ってるなぁ、いやご苦労。現代では珍しい一品となった彼に、心の中で署長のように挨拶するのが私の日課だった。静謐な時間が漂う車内に、ベルがジリリと控え目に響く。電車は再び体を揺すって走り出した。
 ん? 今のはなんだろう。流れる視界の隅の違和感に、私の心はざわついた。だが車窓はすでに森の木々を映している。確認はできない。そんな、ばかな。まだ眠くて、寝ぼけているのだろうか。電車が走り始めた一瞬、私には、その動きに合わせて、彼がこっちを向いたように見えたのだ。後部ドアの向こうの線路を眺めながら、私は困惑に眉を寄せるしかなかった。

 翌朝、異変は奇妙な形で幕を開けた。道路のこちら側にいたはずの彼が、向こう側の反対車線に移動していたのだ。昨日の帰宅時に車内から彼のことをよく確かめたから、位置に間違いはない。警察が夜のうちに移動させたのだろうか。これまで数十年も放置してきたのに?
「ジリリ!」
 ベルの音にびっくりして、私は体を硬直させた。電車が車体を揺らす。誰かのいたずらかな。私はそう思いながら、速度を上げる車窓からなんとなく目を反らした。

 帰り道の、いつもの無人駅。きっと若者のいたずらだ。そう結論づけていた私にさらなる当惑は待ち受けていた。沈みゆく夕日に赤錆をぎらつかせる彼は、反対車線より奥の畑の中にいたのだ。どういういたずらなんだ。私は遠くに離れた彼をよく観察しようと目をこらした。
『!』
 息を飲んで、座席の上で身をかがめる。心臓の鼓動が高鳴り、脇の下に嫌な汗がにじむのを私は感じた。表情のないはずの彼の顔に浮き出た左目が、はっきりと私の目を見たのだ。

 次の日の朝、あれほど心躍らせた車窓は今や戦慄へのカウントダウンと化していた。あの無人駅がだんだん近づいてくる。通勤手段はこれしかないのだ。頼むから何も起こらないでくれ。あれはたちの悪い、いたずらだ……私は勇気を奮って、あえて車窓を凝視した。だが残念ながら、彼は昨日よりさらに畑の奥に移動していた。いたずらだ、いたずらだとも。強くそう思った瞬間、私はあり得ない光景を目撃した。
 おいでおいでと、彼が手招きしているのだ。私は頭を抱えて座席に身を伏せた。嘘だ、恐ろしい。体が震えだす。たたりだろうか。だが……もし、もし本当にただのいたずらだったら……仕掛人は今ごろ笑い転げているだろう。羞恥は怒りを呼んだ。なぜ私がこんな目に遭うんだ。毎朝一人でこの電車に乗るから、標的にしやすかったのか? 許せん。仕事なんか遅刻していい、このまま引き下がると思ったら大間違いだぞ!
 発車を告げるベルが鳴る。私は手動ドアを思い切り開け、外に飛び出した。そのままホームを駆け、改札を抜け、線路を越える。泥と菜葉を蹴散らして畑を走る。道路には、彼が土台ごと移動した跡が赤錆の筋として残っていた。凝ったことをしやがって。私は再び畑に突入し、猛然と彼に迫った。その時だった。
「ファァァーーン!」
 けたたましい警笛音に続いて凄まじい激突音が、私の背後で轟いた。思わずそちらを振り向くと、先ほど発車したばかりの電車が、横から大型ダンプカーに衝突されて転覆していた。もし、あれに乗っていたら……私ははっとして彼の方を振り返った。もしや、彼はこのことを私に……? だが、能面より表情のない彼の顔が、何かを語ることはなかった。


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