1. トップページ
  2. 父を迎えに

宮下 倖さん

宮下 倖です。 楽しくたくさん書いていきたいです。

性別 女性
将来の夢 誰かの心にひとつでも響く言葉が紡げたら幸せです。
座右の銘 臨機応変

投稿済みの作品

1

父を迎えに

17/04/10 コンテスト(テーマ):第131回 時空モノガタリ文学賞 【 電車 】 コメント:2件 宮下 倖 閲覧数:247

この作品を評価する

 おとうちゃん! と叫んで美加が改札のほうへ駆け出していく。その背中を私はかろうじて抱きとめた。不服そうに手足をばたつかせる美加に「だめだよ」と言うと「おねえちゃんのケチ!」と舌を出される。改札を抜けてくる人にぶつかったら、小さな美加が危ないのに。 
 ため息をついたとき「千鶴子、美加」と私たちを呼ぶ優しい声がした。
 父が改札を抜けてこちらへ来る。「ふたりで来てくれたのかあ」と笑顔で頭を撫でてくれ、私はほっと体の力を抜いた。

 父は国鉄の保線区で仕事をしていた。
 電車で通勤する父を、ときどき母と妹と三人で駅に迎えに行っていたのだが、小学校三年生になって妹とふたりで行くことを許された。急に大人になったようで嬉しくて、私は毎日三歳違いの妹の手を引いて駅に向かった。
 父を乗せてきた電車を柵越しに見送るのが好きだったし、改札で駅員さんがリズミカルに切符にハサミを入れる様子や、狭い改札を抜けた人々がぱあっと広がって駅から出て行く光景も楽しかった。
「千鶴子、美加。ひとつずつだぞ。おかあちゃんには内緒な」
 帰り道、父がそう言ってたまに道脇の駄菓子屋を指さすときがある。きなこ棒やラムネ菓子をひとつだけ買ってもらえた。どうしたって母にばれて「夕飯前なのに」と三人そろって叱られるのだが、それもまた楽しいひとときだった。
 けれど、小学校も高学年になると私は父を迎えに行かなくなった。
 思春期の入口に立った私の目には、あれほど好きだった電車も駅も駄菓子屋も、そして父さえもどこかつまらなく見えるようになってしまっていたのだ。私が行かないので美加も行かなくなった。
 父が淋しそうなのはわかっていたし、母に「たまには行ってみたら」と言われたこともあったが、私は見ないふり聞かないふりをした。そういう年頃だったと言うほかなかった。
 
 私たちが駅に行かなくなって数年、国鉄民営化が発表された。
 JRと名を変えても仕事に変化はないだろうと思っていたが、父は退職を決めた。理由はわからない。次の職場に町役場を選んだ父は、もう電車に乗って仕事に行かない。そのことが無性に心を揺さぶった。電車と父が切り離された気がした。
 父が国鉄での仕事を終える日。私はひとり、父を駅まで迎えに行った。
「おとうさん」
 やや俯き加減で、私に気づかず通り過ぎようとした父を呼び止める。父は弾かれたように顔を上げ、心底驚いたように目を見開いた。
「迎えに……来てくれたのか? 美加は?」
「塾。ごめん、私ひとりだけど……」
「いや。ありがとう千鶴子」
 照れくさそうな父と並んで自宅まで七分ばかりの田舎道を歩く。
 どうして仕事を辞めるのかと訊きかけて、私は言葉を変えた。
「おとうさんはどうして保線区の仕事を選んだの?」
 父はわずかに目を瞠ったが、それは自然な笑みになって目尻に皺が寄った。
「単純だよ。小さい頃から電車が好きだったんだ」
「電車のどういうとこが?」
 そうだなあと呟き、白髪の目立つようになった頭を指で掻きながら、父はふっと空を仰いだ。
「電車は人生のようだと思うんだ。ときに各停、ときに特急。流れる風景は目まぐるしく変わり、様々な人と乗り合わせては別れていく。自分の意志で分岐を選び、走りきった先には誰にもそれぞれの終点がある。何だかすごいと思わないか? 電車は単なる乗り物じゃない気がしてなあ。だから電車に関わる仕事がしたかったんだよ」
 話しているうちに父の目がきらきらと輝き出した。夢を熱く語る少年のようだと思った。
 私は「そっか」と頷き、父の話を聞きながら一緒に歩いた。ゆっくりゆっくり歩いた。
 そんなに好きな電車の仕事をどうして辞めてしまうのか。聞きたかったけれど私は言葉を飲み込んだ。きっと簡単には話せない深い理由があるのだと思う。娘でも触れてはいけない気がする。
 私は唐突に後悔した。
 もっと父を迎えに駅に行けばよかった。電車を見て、一緒に歩いて、もっと話をすればよかった。
 もう遅いということに気づき、私は唇を噛んで父の背中を見つめるばかりだった。

 * * * 

 じいじ! と叫んで陽太が改札のほうへ駆け出していく。その背中を私はかろうじて抱きとめた。不服そうに手足をばたつかせる陽太に「危ないよ」と言うと、「やーだー」と身を捩る。
「陽太、千鶴子」
 父が改札を抜けてこちらへ来る。その歩みはゆっくりだ。
 数年前、町役場を定年退職した父の目下の趣味は電車の旅。
 県外に嫁いだ私の町へもこうして遊びに来る。
「おとうさん、来月は一緒に仙台だね」
「ああ。東北本線だな」
 父は笑って初孫である陽太を抱き上げた。「おっ、重くなったな」と驚く父に陽太がはしゃぐ。
 途切れた気がしていた父と電車の縁がまた繋がった。その縁に、いま私もときどき同乗している。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

17/05/05 光石七

拝読しました。
ご自分の経験をもとに書かれたのでしょうか。
素直で丁寧な文章が心地よく、読後温かいものがじんわり胸に広がりました。
素敵なお話をありがとうございます!

17/06/13 宮下 倖

【光石七さま】
ご明察です。私たち姉妹と父の話です。
エッセイとして書こうか迷ったのですが、どうしてもストレートに書けない部分があり、脚色したうえで小説としました。
作品を読んでいただき、コメントもくださりとても嬉しいです。
ありがとうございました!

ログイン
アドセンス