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本宮晃樹さん

ふつうにサラリーマンをしております。 春夏秋冬、いつでも登山のナイスガイ。 よろしくお願いします。

性別 男性
将来の夢 魁! 不労所得!
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エンドレス・ウォール

17/04/01 コンテスト(テーマ):第102回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:509

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〈壁〉は高かった、とてつもなく。
「父ちゃん」子どものころのわたしは折に触れて聞いたものだ。「〈壁〉はどこまで続いてるの」
「どこまでもだ」父はしかつめらしい表情で答えたものだ。「終わりなんてありゃせんのさ」
 父は無骨な男で口数も少なく、わたしは小さいながらも息苦しさを感じていたと思う。ようやく自力で〈壁〉にしがみつけるようにはなっていたものの、彼は自分の登攀ペースを乱されるのが嫌いだった。どんどん先に登っていって、わたしをはるか下に置き去りにしてからはたと気づく。そして口をへの字に曲げてむっつり待ち構えている。無我夢中で彼に追いつく。万事こんな調子だった。
「なんでぼくたちは〈壁〉を登ってるのかな」
「それは登るためにある。俺たちはずっとそうしてきた」
「俺たちって誰」
「俺の父ちゃんや父ちゃんの父ちゃん。そのまた父ちゃんたち。わかるか、坊主」
 当時のわたしにはさっぱりわからなかった。だからそう言った。「わからない」
「実を言うとな」めずらしく秘密めかした笑みを漏らした。「俺もわからないんだ」
 わたしは〈壁〉の窪みにしがみつきながら、器用に首を曲げて登ってきたほうをなんとはなしに見る。〈壁〉ははるか下まで続いていて、乳白色のもやにかすんでいる。上も同様。どこまでも続いているように見える。もう見慣れたとはいえ、それでも肝をつぶす光景にはちがいない。
 三点確保を心がけながら、ひとつ、またひとつと窪みに手をかけ足を固定し、少しずつ身体を押し上げていく。
 父は地図を広げて低くうなっている。「ちょっと遠いが、あと百メートルほどいったところに待避所がある。そこで今日は寝るぞ。いけるか、坊主」
「いけると思う」
「よおしいい子だ」父の力強い登攀。「俺についてこい」

     *     *     *

 目を覚ました。狭苦しい待避所――〈壁〉に穿たれた無数の穴――の奥、淀んだ暗がり。柔軟体操をやる。異常なし。合成食を義務のごとく口へ放り込み、待避所の外へ。
〈壁〉に再び取りつくのはけっこう骨だ。横ばいに移動して足のとっかかりを見つける。次は手だ。わたしほどのベテランになれば二点確保でも十分だから、あとはほとんど自動的に次のとっかかりを見つけている。そうやって今日も上へ。上へ。また上へ。
 父と別れて十年以上は経つだろうか。わたしが生まれてからだいたい二十五年と少し。それだけの年月にわたって登っているにもかかわらず、終わりは見えない。あるいは父の言う通りなのかもしれない。〈壁〉に終わりなどないのだ。それでもわたしは登り続ける。父がそうしてきたからだ。
「坊主、決して諦めるな」別れ際、父はめずらしく饒舌になっていたと思う。「俺たちは〈壁〉を登る。俺もお前もたぶん、頂上がどうなってるかを知ることはないだろう。だがきっとお前の子どもが、そのまた子どもの子どもがそれを知る。いつかは誰かがそれを知るはずだ。俺はそう信じてる」
 なぜ父は町にとどまらなかったのだろう。わたしたちのような〈クライマー〉は、実はかなり少数だ。その証拠にほかの〈クライマー〉に〈壁〉の表面で会うことはめったにない。大多数の人間は町で暮らしている。〈壁〉に穿たれた超特大の待避所に群生する人びと。登るのをやめ、〈壁〉の内部に安住する人びと。
 わたしははるか下にあるどこかの町で生まれた。母もたぶんそこにいるのだろう。父が愛する女性を置いてまで〈壁〉になぜ挑戦する道を選んだのか、わたしにはわからない。

     *     *     *

「ねえちょっと!」だしぬけに声がした。驚きのあまり足を踏み外すところだった。「こっちこっち」
 声のしたほうを見ると、歳のころ二十歳くらいの娘が〈壁〉にしがみついていた。言うまでもないだろうが、女〈クライマー〉というのはたいへんめずらしい。
「あなた、どこの町の人なの」じりじりとにじり寄ってくる。
「ぼくはどこの町の人間でもない」
 彼女は目を見開いた。密着せんばかりの距離だ。「あなた、〈クライマー〉?」
「ぼくの家系はみんなそうなんだ」
「あたしは貿易商人なの」背中のザックからぼろぼろの紙切れを取り出してみせる。「〈壁〉の地図。こういうのをあなたみたいな人に売って生計を立ててる」
「というと、近くに町があるのか」
 彼女はにっこりほほえんだ。「疲れてるでしょ。ついてこれば横になって眠れるよ」

     *     *     *

 結論から言うと、わたしはその町に定住した。
 子どもが二人もできたし、彼女はいつまでも魅力的だった。ふと〈壁〉を見上げて妙な衝動に駆られることもあるにはあるが、貿易の仕事のおかげで欲求不満はいくぶん解消された。物怖じせずに町から町へ〈壁〉を伝うことのできる人間が重宝がられたというのも、足を止めるに十分な理由だった。
「ねえ、もう〈壁〉はいいの」ある風の強い日、上の息子と下の娘を寝かしつけながら妻が言った。「若いころのあなたは、しきりに〈壁〉を見上げてため息ついてたけど」
「ぼくも歳を取った。それに」子どもたちの横にごろりと寝転がった。「こいつらもいる」
「朝起きたらいなくなってた。そういうのは勘弁してよ」
「大丈夫だって」
 心地よい沈黙。
「でも結局、〈壁〉の上にはなにがあるのかなあ」
「さてね。案外なにもないんじゃないか。〈壁〉が続いてるのさ、ずっと。終わることなくずっとね」
 わたしはそれを想像してみようとした。とてもできない。何世代もかけて登っても終わりの見えない〈壁〉とはいったいなんなのか? これの頂を極めた人間はいるのだろうか? もしいないのなら、それを極めるのは……。
「もう寝ましょう」妻が不安げに言った。「明日はとなり町まで仕事があるし。あなたいってきてくれる?」
「お安いご用さ」
 その夜は眠れなかった。

     *     *     *

 となり町までのおつかい。そのはずだった。
 ではなぜわたしは地図と合成食生成装置――周りの気体から有機物を作り出す〈クライマー〉家系の家宝――なんぞを持ち出したのだろう。これらは超長距離移動のための装備だ。
 妻はこれらがなくなっているのに気づいていたのだろうか。出発間際の台詞を思い出す。潤んだ瞳だった。「あなた、いってらっしゃい」
 気づいていたのだ。わたしは涙をこらえながら、上へのとっかかりを探り出し、力強く掴む。わたしは父ほど(自分の子どもまでこの気ちがい沙汰に巻き込まないという意味で)強引ではなかったが、それでもやっぱり自分勝手な男であることに変わりはない。
 だが〈壁〉が……〈壁〉が待っているのだ!
 三点確保をしながら、だらりと表面にぶら下がって後ろを振り返る。見える限り、目に痛いほど一色の青。若かったころの高揚感が戻ってくる。〈壁〉の頂を極めたい、たとえ何十世代かかってもだ!
「あなた」そのとき、わずかに下から声が聞こえた。「ちょっと待って」
 町への未練が幻聴になったのかと思った矢先、今度ははっきりと、「あたしたちも連れてって」
 乳白色のもやに包まれた〈壁〉の底から人影が三人分、這い上がってくる。大きいのがひとつ、小さいのがふたつ。
「ごめんなさい、どうしても別れるのがつらくって」妻は茶目っ気たっぷりに舌を出してみせた。「一家総出でついてきちゃった」
「父ちゃん」上の息子は歯を見せて笑った。「ぼくも〈壁〉がどうなってるか、気になるんだ」
「父ちゃん」下の娘は早くもぐずついている。「あたし、疲れた」
「よおし、父ちゃんが負ぶってやるからな」わたしは慣れた手つきで娘を肩におんぶし、ザイルで固定した。涙を拭う。「家族旅行としゃれ込もうじゃないか!」


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