貞治参さん

 短い小説を書いています。「小説家になろう」に投稿したり、ブログ『彼女は魔法を信じない』(teijisan.blog.fc2.com/)で公開したりしております。ブログには小説執筆に関する雑感なども記しております。よろしくお願いします。twitter: @takagisol

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M氏

17/03/31 コンテスト(テーマ):第131回 時空モノガタリ文学賞 【 電車 】 コメント:2件 貞治参 閲覧数:177

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 目の前に、一人の女性が後ろを向いて立っている。
 私は、人の波に揺られながら、彼女とつかず離れずの距離を保っている。ふとした瞬間に、うなじのあたりから香りが漂ってくる感覚を覚えるも、実際は周りの有象無象の放つ匂いで何が何やらわかりはしない。
 額から汗が流れ落ちる。暖房が効きすぎだ。それともこれほど人が密集しているせいだろうか。あるいは、これは心因性の……?
 顎を引いた私の頭はずっと下を向き続けていた。
 誰でもよかった、などとは言うまい。事実、何日もかけてターゲットを選定してきた。せっかくのチャンスなのだ。これを捧げるべき対象は、選りすぐらねばなるまい。
 私は、いったい、何をしようとしているのか? 興奮により血のたまった脳で自問する。ほんとうに事の重大さがわかっているのか? 馬鹿げている。こんな、大それた……。
 しかし、後ろ向きな自分を弄びつつも、私は視線をある一点からはがすことができずにいた。身体は正直だ。こんな魅力にとても抗うことなど、もとより不可能だったのだ。
 ゴツゴツした男の手が視界の外から現れ、今まさに彼女の臀部に這いよりつつあった。

 *

 結婚はしていない。彼女ができた経験もない。そんな三十男の私が、自分の欲求を満たすためには、こうするしかない。あるいは、お金を払えばそういうサービスをしてくれる店もあるのだろうか。詳しくは知らないし、突撃する勇気もない。
 彼女のことは、何度も駅のホームで見かけていた。いつもスマホの画面を眺めている若いオフィスレディ。初めの印象はそれだけだった。しかし、事を起こすと決めてから、彼女ほどの適任はいないと思うようになった。日がたつにつれて、彼女はますます魅力的に、私の目には映った。
 20代半ばだろうか。シャツに紺のニット、その上にライトグレーのアウターを羽織っている。白のフレアスカートからは、タイツに包まれた健康的な足が伸びる。鈍く光を放っているのはヒールの高いパンプス。決行日の彼女は、また一段と美しく見えた。
 いつもの時刻にいつもの電車に押し込まれながら乗る。いつもと違うのは、彼女の真後ろという立ち位置だった。第一段階は成功したと言える。
 ここからいくつか狙い目のポイントがある。そこまでは我慢し、この位置を死守し続け、隙あらば、すぐさま行動に移す。
 ベストポジションで態勢を整えた私は、チャンスが来るまでの間、一心に祈った。

 *

「こいつッ……。痴漢だァ、痴漢!」
 声が電車内に響いた。と同時に、彼女に迫っていた手は、隣に立っていた男に強くつかまれ、ひねりあげられた。
「いだだ!」
「観念しろ! 次の駅で警察に突き出してやる!」
「すみません、もうやりませんから、それだけは……!」
 二人のやり取りが続いている間、彼女はまさに自分の身に起こりつつあったことを知り、両手で自身を抱き、乗車口のほうへとそそくさと移動していった。
 私は、その様子を目の端で確認しながら、たった今捕まえた男の両腕をがっちりと拘束していた。
 
 計画は失敗に終わってしまった。
 あんなイレギュラーな要素が発生すると、どうして予想できただろう? まさか、決行日のまさに今日、ターゲットの女性に痴漢を働く男がいるだなんて。
 駅員に連れられて行った男をぼんやりと見送りながら、私は途中下車した駅のホームにたたずんでいた。
 なんにせよ、これで終わりか。あっけなかったな……。
 ゆっくりと首を左右に振って、次の電車を待つべく列に並ぼうとしたそのとき。
「さきほどは、ありがとうございました」
 ターゲットが目の前で頭を下げていた。
 罪悪感が膨らんだ。いや、端から見れば、私は彼女を痴漢の魔の手から救った男なのだ。全く気に病む必要はない。しかし、彼女を計画に巻き込もうとしていた私は、もう純粋な気持ちで彼女を見ることはできないのだった。
「いえ、いいんですよ。当たり前のことをしただけですから」
 軽く頭を下げて列を離れ、彼女から逃げるように、駅のトイレに駆け込んだ。
 この日のために奮い立たせてきた欲求が、急速にしぼんでいくのを感じた。

 私は、彼女に、足を踏んでほしかった。あの堅そうなヒールで私のつま先を思い切り踏んでほしかったのだ。ただそれだけのために、何日も苦労して自分を奮い立たせ、シミュレーションを繰り返し、やっと今日、実行にこぎつけようとした。
 急カーブや駅の付近では、電車内の人はよろめく。場合によっては態勢をくずすこともある。そんなときを狙って、私は足をすっと、彼女の浮き上がった足の下に差し出すつもりだった。

 長いため息をついた。もう当分気力は湧き起こらないに違いない。
 用も足さずに水を流した私は、ストレスと圧迫感だけが待ち受けている日常へと、肩を落とし帰って行った。


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このストーリーに関するコメント

17/04/01 家永真早

痴漢か!?と思いきや、まさかの…いや、タイトルそのまんまですが、予想外でした。
面白かったです。

17/04/08 貞治参

家永真早さん
コメントありがとうございます!(気づくのが遅れて申し訳ないです)

ちょっとした引っ掛けを入れてみました。
作品の狙い通りに読んでいただけたようで、うれしい限りです!

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