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吉岡 幸一さん

性別 男性
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アポリネールの鐘は鳴る

17/03/28 コンテスト(テーマ):第131回 時空モノガタリ文学賞 【 電車 】 コメント:4件 吉岡 幸一 閲覧数:495

時空モノガタリからの選評

黄昏の風景の中、緩やかに流れる時間が印象的でした。人々を乗せて走る電車や車窓から過ぎ去る風景は、詩の中の「セーヌ川」の流れと、「月日」の流れと重なります。過ぎ去っていくもの、変わらないもの、その対比が美しく、まるで絵画のような静的な風景が浮かびました。またいくつかのシュールな要素が現実的風景の中に紛れこんでいるために、作品に時間的・意味的な広がり生まれているのではないでしょうか。年齢を超越したかのような黒猫を連れた少女は、まるで現実の中に紛れ込んだトリックスターかアニマのようです。その他の要素、「月」と「猫」は、女性と関連したシンボルとされることが多いですが、特に「月」は「臨月」という言葉の通り、妻の妊娠と重なってみえます。もしかしたら少女は彼らの未来の子供を暗示なのでは、と想像しました。このように、この作品では抽象性が現実的な空間の中に程よく挿入され、そのバランスの良さから独自の魅力が生まれていると思いますが、こうした手法はやはり吉岡さんの得意とされるところなのかもしれませんね。

時空モノガタリK

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 今日も僕は博多駅発の快速電車に乗って家に帰っている。午後六時過ぎの車内は仕事帰りの人々で溢れている。話す人は少なく、誰もが黙って目的地の方角を向いている。
 立っている人も多かった車内は一駅ごとに減っていき、ちらほらと空席も増えていく。
 僕は一人この一番前の車両で座ることもせず立っている。車窓に広がっていた賑やかなビルの群れも減ってきて、背の低いマンションや一軒家の地域を過ぎていく。工場の明かりは弱々しく、学校の校庭を照らす明かりは眩しい。道を歩く人、バイクで走る人、自転車をこぐ人、立ち話をしている人、何台もの車が列をなしてどこかに向かっている。
 運転席の背中越しに前を見れば細長い線路がどこまでも続いている。線路沿いに名前も知らない花が咲いている。木々が繁っている。
 ポケットから擦り切れたアポリネールの詩集を取り出して「ミラボー橋のしたセーヌは流れる」と呟いてみる。走る音に消されて声は溶けていく。
 混んでいた車内から人が減っていき、街明かりが遠くになって、夜空が広がっていくこの時間が僕は好きだ。仕事疲れで眠っている人、ゲームをする人、誰かにメールをする人、イヤホンをして動画を見ている人、天井からつり下げられた広告を見つめている人、小さな声で隣の人と話している人。このひとつの車両のなかでそれぞれの人がそれぞれの想いで乗っている。同じ方向に向かい、どこかの駅で降りていく。この当たり前の風景が心を静めてくれる。
 僕の降りる駅は小倉駅だ。街中の駅から乗って、田舎の駅を通過して、また街中の駅で降りる。およそ一時間十五分の道のりだ。移りゆく景色と共に僕の心は仕事から解放されていく。この距離と時間が僕を自分らしい世界へと戻してくれる。
ちょうど中間の青間駅でその女の子は乗り込んできた。赤いランドセルを背負い、長い髪をリボンで結んでいる。
いくつも席が空いているにもかかわらず女の子は車内を見回した後、一番前にいた僕の隣にやってきた。運転席の後ろの窓から外を眺め、飽きるとドアの窓から景色をながめている。
塾にでも行っているんだろうか。そう思いながら見ていると、女の子と目が合った。
「日も暮れよ、鐘も鳴れ、月日も流れ、私は残る」
 本の表紙を見てアポリネールの詩の一節を女の子は即座に言って笑った。
「詳しいね」と、僕が驚くと女の子は気分を良くしたのかランドセルを床におろして冠を開いた。中には真っ黒な猫が入っていた。
 抱きかかえると「ほらっ」と、女の子は言って僕の胸に黒猫を押しつけてきた。
 反射的に黒猫を受け取ってしまった。黒猫はおとなしく身を任せている。丸い目を向けてじっと僕を見つめている。けっこうな歳なんだろうか。猫の背を撫でながら思った。電車に猫を乗せたらいけないんじゃないか、などと言うつもりはない。そんなこと、きっとこの子はわかっている。
 僕はそっと黒猫をランドセルの中に戻して抱えると女の子に渡した。女の子は胸のまえで抱えている。黒猫は顔だけを外に出してきょろきょろと周りを確認している。
「塾に行くわけじゃないんだよね。猫ちゃんしか入っていないし」
「教えない。知らない人にお家のこと話したら駄目ってお母さんが言ってたから」
 意地悪っぽく答えた女の子の目は笑っている。
 車内の幾人かの目が女の子と黒猫に注がれている。好奇心で眺めている人もいれば、どこか怒っているような人もいる。僕は背中で女の子を隠すようにして立った。車掌が来なければいいが、と思いながら。
 次の駅に着くと女の子はランドセルの冠を閉めて黒猫をしまった。そして思い出したように僕の袖を引っ張ると、
「日が暮れ、電車が止まり、月日も流れ、私は降りる」と、アポリネールの詩をもじった言葉を言いながら降りていった。
 ドアが閉まり、女の子は一度だけ手を振ると改札口に向かって駆けだしていった。改札口の向こう側にむかって何か叫んでいたが、遠ざかる車中の僕には聞き取れなかった。
 電車は進む。徐々に田舎から再び都会へ入っていく。騒ぎになる前に女の子が降りてくれたことにほっとしながら車窓に心を飛ばす。
 見上げれば美しい満月が輝いている。兎ではなく猫がいるかもしれない、などとくだらないことを考えてみる。横を走る車の中で男が歌っている。大きな口を開け、拳を握っている。車の男はきっと楽しい場所にむかっているのだろう。
 小倉駅に着き電車を降りた僕は詩集をポケットにしまい改札口に向かう。いつもと同じ時間だ。詩集は開いたが今日は読むこともしなかった。
 改札口を出ると妻がいつものように待っている。臨月間近の大きなお腹を左手で摩りながら右手で僕に向かって手を振っている。
 電車の出発を合図するベルが鐘の音のように遠くから聞こえてくる。
「日も暮れよ、鐘も鳴れ、月日も流れ、僕は妻といる」


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このストーリーに関するコメント

17/03/29 まー

主人公の哀愁が漂っていて心地いい読後感でした。
ミラボー橋の一節を暗唱する女の子とか、もうそれだけで不思議な空間です。(いや、暗唱用のテキストとして結構使われてるのかな……?)

17/03/30 吉岡 幸一

まー様
コメントをいただきありがとうございます。
感謝します。
暗唱用のテキストとしては使われていないと思います。たぶん・・・おそらく・・・ですが。

17/04/29 光石七

拝読しました。
帰宅時の電車内の様子が丁寧に描かれていて、情景が目に浮かぶようでした。
日常の一コマといえばそうなのですが、女の子と猫が仄かなファンタジーを感じさせますね。
アポリネールの詩も効果的に使われていて、作品全体に品があると思います。
上質な純文学作品、堪能させていただきました!

17/05/02 吉岡 幸一

光石七様
コメントをいただきありがとうございます。心より感謝いたします。

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