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小石につまずいた女

17/03/26 コンテスト(テーマ):第130回 時空モノガタリ文学賞 【 失敗 】 コメント:0件 ケイジロウ 閲覧数:213

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 田口修二の吐き出した煙が週刊誌のグラビア写真にぶつかり、角度を変えて天井へ向かっていった。スタンドライトのオレンジ色の明かりが、その煙の行方を照らしている。
 ガラガラガラ
 斎藤亜希が突然職員室に飛び込んできた。新人の英語教師だ。斎藤はデスクにふんぞり返る田口の方を一瞬見たが、すぐに目を伏せ、自分のデスクに速足で向かった。その目は濡れていた。
 田口は煙を深く吸い込み窓の外を見た。小粒だが、当分やみそうにない雨が音もたてず静かに降っていた。汚い窓には、ハンカチで顔を覆った新人教師が音もたてず泣いているのが映っていた。
 田口はわざとぶっきらぼうに言った。
「おい、新人、まだ授業中じゃねぇのか?」
「……」
 その時、○×中学校の職員室には、田口と斎藤しかいなかった。この職員室は禁煙であったが、田口は一人しかいないときは煙草を吸っていた。定年まじかのたぬきジジ的存在と見られていることを田口は知っていたが、大して気にしてなかった。
「おい、新人、どうしたってんだよ」
 田口は面倒くさそうに席を立つと、斎藤の隣に腰を下ろした。
「もう、いいんです。私、向いてないんです。もう辞めます」
「だから、何があったんだよ」
 斎藤はハンカチをとり、真っ赤に燃えた目で田口を睨みつけた。意外と本降りだったことに田口は気付き、火をつける手を止めた。
「理科を教えてる田口先生には関係ないことです。これは英語教育の話なので」
「なに言ってやがんでぇい、生意気に」
 田口は煙草に火をつけた。
「いいか、お前に辞められたら困るんだよ。この職員室の平均年齢がまた50代にもどっちまうじゃねーかよ。ハッハッハッ」
 斎藤の肩に入った力が少し解放されたのを田口は感じた。
「なんだよお前、オレが辞めたら、平均年齢はまたもとにもどる、って考えただろう、チキチョーメェ。それは数学教育の話、ってんだよ」
「そんなこと考えてません」
 斎藤の真っ赤な顔が柔らかくなっていた。田口は目をそらすと、窓の外を見て待った。
「徹夜したんです」
 斎藤がぽつりと言った。田口は黙って待った。
「ゲームを作ろうと思って。楽しく英語を学んでもらおうと思って。そして、試行錯誤して、いろいろカードやメダルやらを工作して。気付いたら、朝でした」
「いいじゃねーか。新人」
「でも、クラスでルールを説明していたら、言われたんです。『つまなんそー』って。それでも、私は無視してゲームを始めました。そしたら、いろんな方向から『これ、超つまんねえーな』って聞こえてきたんです。それでも私は耐えました。でも……」
 斎藤はまたハンカチをつかむと、癇癪を起し始めた。
「でも、ある生徒がカードを破いたんです。そして、段ボールで作ったメダルを私にぶつけ始めたんです。『おもしれー』と言って、他の男子生徒も、メダルを投げ始めたんです」
「そりゃぁ、おだやかじゃねーなぁ」
「私、どうしていいかわからなくなって、逃げ出してしまったんです。大失敗です。教師になったこと自体が、大失敗なんです」
 田口は、逃げ出さずに『PPAP』でも踊りぁよかったんじゃねぇか、と言おうとしたがやめた。田口が足を組み替えると、イスから錆びついた音が湿気た職員室内に重く響いた。
「理科的に言えばな、」
 田口の声が教師っぽく転調したのに斎藤は気付いた。
「失敗、が在る、ってえのは、想定していた成功が、在る、ってことになるけど、お前の想定していた成功ってぇのは一体なんだったの」
「だから……、楽しく英語を学んでいる姿、です」
「オレに言わせれば、そこがまずおかしいってぇの」
「だから、理科の先生に何がわかるんですか」
「理科だとか英語だとか、体育だとか、図工だとか、なんでもいいんだよ。その想定している成功を本気で信じているか、てぇ話をしてんだよ。いいか、お前、楽しく英語を学んで、他人さまの言語をモノにできると本気で思ってんのか。そもそも、お前、英語を楽しく学んできたのか。単純作業の反復反復反復反復、じゃなかったか、えぇ?」
「……」
「手抜きなんだよ。徹夜だとか、そんなこと関係ねぇんだ。手抜きは、ばれんだよ」
 斎藤は姿勢を正し、田口を直視した。
「お前が本当に信じるもの、それをクラスという戦場でぶちまけろ。それで、お前の思想なり信念なりが生徒の心に響かなかったら、そこで初めて『失敗』って言葉を口にしろ。いいか」
 ガラガラガラ
 学級委員とメダルを最初に投げた男子生徒が職員室の入口に立っていた。男子生徒は下を向いていた。
 斎藤は立ち上がった。
 生徒の方に向かった。
 田口は斎藤の背中を黙って見送った。
 その背中は明らかにエベレストの頂上を目指していた。登山口の小石につまずいたくらいで決して揺らぐことのない、決意とロマンが生々しく漂っていた。


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